在るがよりしっかりすることで、様々な展開、流れもよりスムーズになっていく

受講者
人と関わっていて、どう対応したらいいのだろう、など少し行き詰った時に在るを意識したら、なんとなく展開していったことがありました。
こうしたらこうなる、といった効果を求めるものではないのでしょうが、在るを意識できると、ふわふわしていたところに軸がしっかり通る感じがしています。



とてもよい感じですね。

在るを意識することを繰り返していくことにより、それはよりしっかりしたものとなっていきます。
在るはすべての土台でもあり、すべてはそこから展開していきます。
在るがよりしっかりすることで、(全体的な環境、状況等もあり、またそれを含めながら全体としてですが)
様々な展開、流れもよりスムーズになっていくでしょう。

マインド的な意味ではないが、在るはもっとも欲張り、無限に欲張りということもできる

受講者
ハートの共鳴
「欲張り」という言葉が浮かんできました。何かを体験すると、それだけ感情も動くし、思考も活発になるけれど、実はそれを望んでいるのかもなあと感じました。



セッションでもお話ししましたが、在るも体験したいんです(自然本性からのそれです)。

無限そのもの、無限の可能性そのものであるそれは、個人体験もしたいし、思考も、感情も、本質であるそれ自身も、そして、それが現れと統合されたトータルなそれも、

さらに未知なる深み、広がり、すでにそこに在り、それであるけれど、未だ具体的には知られていない、開かれていないそれ自身、無限であるそれ自身を

どこまでも無限に体験し、実現し、知っていきたいんです。

(「これでいい」、「知っている」、「不動不変」、「絶対」等の質、在り方も同時にあります。

無限の深まり、無限の開かれ、無限の更新等よりも、こちらの在り方の方が強いケースもあります。

参考:「I<わたし> 真実と主観性 デヴィッド・R・ホーキンズ著」 より

けれども、これレベルの進化は通常あまり起こりません。意識レベルが600に達した時点でそこで止まり、
残りの生涯をそのまま過ごす場合がほとんどです。
各レベルの啓示はそれだけで完結していて深い満足を与えるので、その達成感がさらなる意識の進化を停止させてしまうのです。
ほとんどの覚者が600を超えたところで完結するのはそれが理由です。
その状態の至福があまりにも完全なので、さらにその先があるようには見えないのです。
しかしある意味では、その結論は正解です。
というのも、各レベルはそのレベルにおいて完全かつ完璧だからです。
そのような達成感や完了感は、500台の上位以上から現れます。
そこには好奇心も未完了感も残っていないので、先に進もうという探求心が起こりません。
わたしの場合、そこから先の各レベルにおいても、真理に対する開放性は持続していました。
ですからどこかで、完璧に完結しているのではなく、進行中の過程であるということを認識していたのです。
おそらく「自己」がさらなる進化の中で自らの本質と潜在的可能性を表現するために、前進しようとする意志を働かせたのでしょう。
そして、何よりも、おのずと起こる進化の過程に身を明け渡したいという意志が決定的な要素でした。
創造は条件が整ったとき、その潜在的可能性を表現するのです。)

そのような視点から言うと、マインド的な意味ではないですが、在るはもっとも欲張り、無限に欲張りということもできます。

ただそれは、それ自身であり、ひとつであるものですので、けっしてその欲、望み、願い、自然本性により起こってくるものがどれほど多くても、

それ自身からはみ出すことはなく、それ自身の中に収まりきらないということは絶対的にありません。

その欲張りは、同時に、適切で的確であり、分相応、無限の在るにふさわしいものです。

理解が進み、深まり、よりトータルになっていくと、真の自然、真の在るがままが実現されていく

受講者
ハートの共鳴では、私自身は在るに徹底していましたが



“徹底” とてもいいですね。


受講者
ハートチャクラがふわぁ~っと温かく反応していて、
ハートに意識を持って行ってないのに反応していた事が
印象的でした。



はい、在るは無限そのものでもあり、無限の側面、無限の在り方があります。
どのような環境、状況(関係性等含む)であるか、
どのような認識、角度、視点、立ち位置、理解等であるかにより、
それ自身から起こる反応、見え方、感じ方、体験等が変わってきます。

全体であり、ニュートラルであり、何ものでもない在るは、
自発的に起こる(あるいは在る)それ自身への気づきからの連鎖、展開、
あるいは、それ自身における無限の反射、無限の振動、無限の相関関係の中で、
そのように振る舞います。

それは、常にいかようにでも振る舞う(起こる、反応、応答する)準備ができています。
在る、無為、真の何もしない、は、空虚にただそこにあるのではなく、
満ち満ちて、“これでいい”と自己充足しながら、
同時に、それ自身から起こる何か、それ自身の中で起こる何かに対して、
常に即座に反応、応答する準備ができている状態、在り方で在ります。


受講者
途中、身体の中のうねりのあるチャクラに反応しかけましたが
焦点を当てずに見送りました。

チャクラにしても光にしても過ぎていく体験なので
とらわれずに、ほっときました(笑)



はい、反応、焦点が当たること、見送ること、
それも自然に起こりますが、
生まれてからこれまで、起こったものに焦点が当たる習慣がついていますから、
ほっとく練習もしましょう(笑)。

動かないもの、いつも在るもの、ずっと当たり前に在るもの、静かなもの、
すべてに気づいている意識そのもの、自分自身、真の自己には、
焦点が当たりにくいですし、焦点を当てる習慣がありませんので、
そこに焦点を当てる練習、それそのものである実践を重ねていきましょう。

理解が進み、深まり、よりトータルになっていくと、
それ自身から起こる現れ、現象もまた、それである、
すべてはそれである、という理解のもと、

そのときどきで、起こったものに(必要なだけ、必要な配分、必要な強さで)焦点が当たること、
見送られること、
反応すること、無反応等、
真の自然、真の在るがままが実現されていきます。

(すべてが同時に進んでいくという側面もありますが、分かりやすく言えば、
まず変わらない本質、源に確立し、それからその現れが統合されていく━統合の前には、源と現れ等の識別も必要です━、というプロセスであるとも言えます。)

それ自身をシェアすること、それは在るのよろこび

受講者
外にも内にもない感じと答えた後に、
無空さん に「いい感じですね」と言われ、
感じている言葉に出来ないこの感覚をシェアして頂いた事が
とても嬉しかったです。



それはよかったです。
シェアされることによって、それはより確かなものになっていきます。
焦点が当てられ、感じられ、表現され、確認、再認識されることで、それはより確かなものとなっていきます。

そして、今回、あなたが嬉しかったと同時に、在るが嬉しかったという表現もできますね。
あるいは、個として現れたあなたを含めた在るが嬉しかった、
さらには、在るそのものであるあなたが嬉しかった、という言い方もできます。

それ自身を自覚すること、それ自身を感じること、それ自身を知ること、
無限に知っていくこと(初めて知るという感覚と同時に、すでに知っているという感覚が在ります。
ただひとつであるものは、そのような在り方をしています。
とても不十分ではありますが、現れ的なひとつの表現をすれば、
知そのものであるそれが、具体的に開かれていく、
ある意味、相対的な“知らない”も含んだ絶対的、全体的、総体的な“知”、
“知っている”がすでに在り、
その“知っているという事実”、“知っているという感じ”はそのままで、それが具体的に開かれていく、という感じでしょうか。)
それ自身をシェアすること、それは在るのよろこびです。

一なるものが一なるまま多であることで、シェアは可能になります。

すべてはただひとつであるものの中で、ただひとつであるものとして繋がっている

受講者
最初の共鳴
外に向かって広がっていく、全体。途中で家の外で会話している声が耳に入りましたが、その声も全体だと感じました。
また途中で先週起きた出来事が出てきましたが、その過去の出来事も全体と感じました。



はい、全体とはまさに全体、すべてのすべて、あらゆるものを含み、あらゆるものを包み込みます。
在るは、全体そのものであり(その他、同時に全体の一部として自己認識される在り方や、よろこびそのもの、
平和そのもの、自由そのもの等、無限の在り方があります。)、それは愛としての在り方とも言えます。


受講者
アイコンタクト
広がっていくのを感じていたら、身体が気になり、「身体が制限」「思うようにならない身体」というのが出てきました。
ぼわーっとした感じになったのですが、アイコンタクトだったことを思い出したところ、在るに戻ってきました。



はい、そのように自然に広がり等を感じられたり、在るに戻ったり等を繰り返していかれるといいですね。


受講者
瞑想
上下左右のない、無重力の広がり。その中で急に寒気を感じ、そうしたら身体に焦点が移った感じになりました。



上下左右のない・・・というところは、「何ものでもない(あるいは、何ものでもない何か)」というところの本質(無、空)でもあり
それ自身を支えるそれ自身とは別の対象(セルフイメージ、自己観念や記憶等も含め)がない状態、
他の何かを通して自己を認識するということがない在り方、
直接的な在り方、
自らに虚しく(空しく)在り、自らに満ちて在る、
それ自身がすべてであり、それだけで在れるもの、他の何ものも必要とせず、それ自身から始まれるもの、
在るですね。

寒気は、本質的に在ることで、何か浄化的なものが起こったのかもしれませんね。


受講者
在るは全体でもあるけれど、身体や個人で区切られることによって、違った感じ方や体験を味わえるのかなと思いました。



はい、在るは全体であり、また無限ですが、その在り方、立ち位置、視点、理解等により、
それぞれに違った感じ方や体験が可能となり、無限であるそれ自身を無限に知っていくことができます。


受講者
ハートの共鳴
暖かく広がっていく感じとそれを包み込む感じの両方を感じました。



ただひとつであるもの、あるいは、すべてのすべてであるものは、そのような在り方をしています。
トータルな感じですね。
(いつも両方というわけではなく、片方だけが感じられる場合もあります。)


受講者
日常生活では、一つ一つあったことを思い出すと、不快感だったり、胸に嫌な感じが残るようなこともあったのですが、
それらの感情や感覚を長く引っ張らないようになってきたかなと思います。全体として見ると「大丈夫な感じ」がしました。



在るが意識されることで、その質(本質)がより開かれ、活性化し、存在全体、そして、それそのものである日常に、
より浸透してきている感じがありますね。


受講者
生活の中で在るを意識することが、だいぶできるようになってきた感じがある一方で、
これは本当に在るを感じられているのだろうかという疑問になって現れたり、
またある時は、在るって前から普通に自然にそこにあったのに、在ると認識していなかっただけじゃないかという思いが出てきたりしました。



それがそうであると、在るが在るであると認識されること、自覚されること、

さらには、自分自身、自己が在るであると自覚、そして、理解されることがとても大切です。

そのことにより、その本質は存在全体により開かれてくるようになります。

それまでは、在るの自己覚醒が起きていない状態、あるいは、在るの自己覚醒を認識できていない状態、

在るがそれ自身を自覚できていない状態、在るが自分自身に目覚めていない在り方であるということもできます。

(「在る」の直接的な自覚がなくても、あるいは、在るが開かれてあることの自覚がなくても、本質が活性化され、

また、様々な経験により存在全体が成熟し、ご自身なりの自己理解、世界についての理解を持たれ、

素晴らしい在り方をされている方はいらっしゃいます。

存在の在り様は、無限に多様です。)


受講者
「在る」が、すごく特別なものでもない、と感じられたことは、自分にとってはほっとすることでもありました。



はい、すべてであり、また、すべてを支え、すべてを育み、すべてに浸透し、すべてを包み込んでいるもの、

時空次元を超え、不変不動、普遍的であるものは、普通そのもの、当たり前そのもの、自然そのもの、日常そのものとして、存在、実在しています。

本質的なもの、普遍的なものは、(特別なものとしても現れることはありますが)特別なものとして存在することはできません。

在るということ、存在している、ということは、存在するすべての存在にとって、特別なことではありません。


受講者
自分がこれまで学んできたことや体験してきたことの中に「在る」が元々あったことに気づき、繋がっている感覚を覚えました。



ただひとつであるものの中ですべてが起こり、流れ、循環、(そのときどきで個々別々に見え、感じられる)展開そのものが、
ひとつであるものとしてのそれである、という理解の助けになるかもしれませんね。

これまで学んでこられたこと、体験されてこられたことは、すべて繋がっていて、どの一つの学び、どの一つの体験も、
他のすべての学び、他のすべての体験のためになっており、すべてが(すべてである)自分自身のためになっています。
すべてが何一つ例外なく、すべてが何一つ排除されることなく、すべてのためになっています。

(ただひとつであるものである在る、ただひとつであるすべての中で起こるひとつひとつも、すべてそのものです。
全体そのものが減じられることはけっしてありません。
その視点、立ち位置、理解等により、一部と感じたり、様々な角度を体験することは可能ですが、
その本質自体は変わることがありません。
全体から起こることすべては、全体そのものであり、そして、ひとつひとつがそれ自身で完結しているとも言えます。
━そのような視点からは、全体から起こるひとつひとつが完結していて独立していると見ることができ、
また、同時に、すべてが繫がっていて、すべてが無限に関係している、という在るの
マインドではとらえきれない大きく奥深い在り方を理解する助けになるのではないかと思います。
それは、絶対的に独立していて、そして、自分自身であるすべてと無限に関係しています。
無限に関係していながら、絶対的に自由です。
自らに由るそれは、そのような在り方で在ります。━
あるいは、同時に起こっているすべての関係性そのものとして完結しているとも言えます。
そして、時間の流れ、物事の展開という視点から見れば、起こったそれが存在に吸収され、叡智となり、種となり、
そこから新たな起こり、創造、誕生があります。
そのような視点からは、前述したことと重なる部分もありますが、
起こる一つひとつは、それ自身がすべてであり、それ自身で完結していると同時に、
時間の流れ、時空の中で起こっているすべてと繋がっている、すべてはただひとつであるものの中で、
ただひとつであるものとして繋がっている、ということができます。)

プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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