存在の自然

受講者
日常では、ストレスを感じていました。



存在の自然、
それにより、在るがより確かなものとなっていきます。

後から起こってくるマインド

受講者
この一週間も先週に引き続き、マインドを追っかけてしまう週でした。



より気づけるようになっているからとも言えますね。
マインドを追っかけてしまうマインドにもただ気づいていることにより、
徐々に追っかけなくなるようになってくるでしょう。


受講者
メールをする際に言葉を慎重に選びながらも、はっきりと自分の考えを述べました。

後からいろいろ考えが起こるのですが、お返事をする際に「はっきりと伝えよう」と感じた気持ちを思い出し。。。の繰り返しでした。



それ(はっきりと伝えよう)が必要なときには起こるでしょう。
純粋に自然に起こったことに対して、後からマインドが起こってくるということはよくあります。

一瞥体験の後に起こってくるマインドなどもそうですね。

ただ気づいて在りましょう。

共鳴伝授

受講者
セッション後、目を閉じると、私の中にいるみたいに感じました。



はい、本質的には、わたし(真の自己、純粋な主観性、自覚できるそれ)だけが在ります。


受講者
無空さんが穏やかで温かい感じなので、それが感覚として残るような感じがしました。
頭がボーっとして、目が閉じてしまう感じがありました。



共鳴伝授という表現を使えるかもしれませんね。
開かれている質や理解、在り方等が、共鳴により活性化され、感覚され、そして、浸透していきます。

(それは、現れた存在としてまったく同じようになるということではありません。
皆同じようになるということは、現れた自然な多様性にとってまったく不自然なことで、そのようにはなりません。
それは無限の可能性そのものでもある在るの後退です。
無限の更新を続ける在るにとってそのようなことは起こりません。
本質そのものはひとつであり、また、現れた存在にとって共通のものではありますが、
その現れ方はそれぞれがユニークで、それぞれ独特の素晴らしさ、それぞれ独特の美しさ等があります。)

現れ

受講者
1共鳴
目の前が少し遠くなり、目の前の現れを「在る」が
見ているような感覚でした。

2アイコンタクト
焦点が合わず、周囲が明るく見えました。
机が歪んで見えたり、
無空さんのお顔も歪んで見えたりしていました。



自分自身である在るの方により焦点が当たっている時、
そのような感じになることがあります。


受講者
3瞑想
空間が広がっていて、
その空間そのものが「在る」であり、
外から聴こえてくる音や
自分の思考の声が
「在る」の空間の外側に感じました。



源と現れ、
本質である源として在るの立ち位置にあるときには、
そこから現れる現れは、はじめの共鳴のときのように遠く感じられたり、
今回のように外側というか、けっして触れられない、けっして影響を受けない在り方
(けっして破られることのない静寂、平和、けっして侵されることのない自由等)
絶対安心、絶対安全、絶対大丈夫の在り方であるというように感じられることがあります。


受講者
4ハートの共鳴
「在る」の空間を無空さんと二人で共有し、
1つの空間の「在る」にいるような感覚でした。



一であり、同時に多である。
また、3の瞑想のときとは別の在り方で、現れ、あるいは、それ自身からの起こりも
それ自身の中で起こっている、
すべてはそれであり、すべてはただそれとして起こっており、
本当は何も起こっていない、

(何も起こっていない、それだけが在る、自分自身だけがある
絶対安心、絶対安全の中で、すべては起こっていて、
そこでの体験、実感、気づき、理解の積み重ねを通し、
在るは不変不動のまま、無限に成長していきます。
そこでの理解の深まり、広がりは、そのまま存在の深まり、拡大になります。
無限そのものでもある在るは、無限のまま、無限に深まり、無限に拡大していきます。
それが無限そのものでもある在るの自然本性です。)


受講者
一人一人にそれぞれに「在る」があるわけではなくて、
「在る」しか存在していなく、
二人が個別の人として見えてるのはただの現れであるという
お話がありましたが、
それを体感したのだと思いました。



そうですね。
それは、“ただ”の現れ、在るにとって(普通そのもの、自然そのものでもある在るにとって)、
“普通”の現れ、自然の現れ、自然な現れ、
そしてまた、不思議な現れ、玄妙、霊妙、神妙な現れ、
けっして現れることのない在るにとって、奇跡の現れ、
既知である実在であり、同時に未知、無限の可能性そのものである在るにとって、
自分自身を様々に体験し、
(本質としてのそれ、現れとしてのそれ、トータルなそれなど、
それ自身を様々な角度、側面、在り方、関係性等を通し様々に体験し)
自分自身に無限に気づき、自分自身を無限に知っていくこと、
自分自身を無限に表現し、自分自身を無限に実現していくことを可能にする、
とても貴重で、ありがたい現れです。

本質であるそれにとって、まったく取るに足らない現れ、
(これも無限の在り方である在るの理解の一側面の表現でしかありませんが。)
本性(ほんせい)そのものであるそれにとって、これ以上なく貴重でありがたい現れ、

本質も愛であり、本性もまた愛である。

愛だけが在ります。

どのような在り方、どのような立ち位置、理解であって、何に意識を向けるか、ということが大切

受講者
感想を書こうとした今、この瞬間に共鳴が起きています。
ですので、少しこのまま、浸りたいと思います



意識を向けると自然に起こりますね。
本質がより開かれ、とても活性化していますね。
意識を向けたものが活性化します。

補足:存在の立ち位置がしっかりしている上で、純粋な意識の力、意識の光を当てられると、自然に活性化するものは活性化し、不用なものはただ消えていきます。

(起こってきているものにより、すぐ消えていくものもあれば、起こってきているもののエネルギーがあるだけ存続し、その後消えていくもの等色々あります。
それは、立ち位置や理解等の確かさや深さによる力と起こってくるものの強さ等の関係にもよります。)

立ち位置が不安定だったり、気づいている主体にマインド的な執着等がミックスされてあれば、不用なものにも力を与えてしまうことがあります。

(在るは、今全体としてどのような状態、どのような在り方であるのかを純粋に表し、実現します。
ある意味、今どのような状態、どのような在り方であるのかを純粋に映し出す鏡としての役割、側面を持っているとも言えます。

ただ、ここで注意して頂きたいのは、全体と分離されている個人の純粋な状態というものはありません。
実際は、全体としてひとつであり、現れた存在のすべてのすべてが無限に関係し合い、影響し合っています。
あるいは、より本質的には、全体性、多様性、関係性そのものだけ、そのものの状態だけがあるという言い方もできます。

個人の内側が外側に反映されている、それが世界となって現れている、

━個人のフィルターを通して解釈されている、個人の立ち位置を通して認識され、感じられ、体験されている、
という言い方の方がより適切であるように思いますが。━

という考え方、視点もあり、
そのような要素もひとつあるとも言えますが、ひとつの言い方をすれば、
個人の内側で感じられるものは、個人固有のものだけではなく、
あるいは、完全に独立してある個人固有のものなど何一つなく、全体の状況も含めたもの、その一部が感じられ、認識されている、という理解もひとつ持たれておくとよろしいでしょう。

内側で起こっているものを所有する個人がいないのであれば、そこにはただ状況と、その純粋な認識、気づきの光、愛だけが在ります。
変わらない本質、すべての現れの源としての在るの視点、それ自身から起こるものを所有しない在るからすれば、

━現れの源であり本質としての在るの立ち位置と同時にある、現れも含めたすべてであるという視点からは、
すべてがそれ自身でもあるので、所有という認識自体が起こりません。━

個人で言うところの内側、内側の思考等も、ただ近くにあるもの、近くに感じられるものという認識にもなります。

加えて、理解が極端にならないように、あるいは、ある意味片側だけにならないよう補足しておきますと、
本質としての在るの視点からはそのようでありますが、
現れを含めたトータルな在るとして在るとき、関係性、流れ、展開、自然な文脈の中では、
━透明な━個人としての“私の考え”等の認識、そして、その表現というものは自然に起こってきます。

━例えば、考えではなく、誰かが間違って、あなたのものを自分のものと勘違いして
持っていこうとしていることに気づいたときなどに起こる、“私のもの”という純粋な認識等です。
このように、現れ起こっている社会生活、関係性の中では、自然で必要な個人認識、個人感覚は、状況により、その都度自然に起こってきます。
すべてのすべてである在るからは、状況に応じ、適切に自発的にそのように起こってきます。
名前を呼ばれたら応えられるそれがそれです。
でも、よく見るとそこには誰もいません(笑)
それは、在るの一時的な現れ、起こり、あるいは、ただそこにそのようにあるように感じられるものでありますが、
本質である在る、純粋な気づき、純粋な主観性そのもの、真の自己、真我自体が変わらずに在り続けて在りますので、
継続感、あるいは、継続性、または、永遠性そのものがそこに在り、
そこにマインドが、考え、観念、記憶、身体や環境等の継続とともに個人が継続しているという理解を付け加え、個人体験を実現しています。
そのようにして、在るは個人を体験し、味わい、その立ち位置、理解を学んでいます。━

注釈が長くなってしまいましたので、必要なところを再掲させて頂きますと、

現れを含めたトータルな在るとして在るとき、関係性、流れ、展開、自然な文脈の中では、
━透明な━個人としての“私の考え”等の認識、そして、その表現というものは自然に起こってきます。
それが多様な現れや関係性等をも含めた全体としての自然、
起こるものすべてを含み、そして超えた在る、
本質と現れが統合された在るの自然な在り方です。

━その中には、様々な理解、様々な立ち位置が含まれて在ります。━

そしてそれは、真にシンプルで自然、真の在るがまま、起こるがままの実現です。

ここではじめにお伝えしたかったのは、ある意味、個のレベルで完全にクリアになったとしても、全体の状況の中で、
あるいは、純粋な関係性の表現等として、様々な思い、感情、自然な反応等も起こってきて、認識されることがある、ということです。
そのような理解ももたれておくとよろしいと思います。)

補足の部分が長くなりましたので、その以前の必要な部分と補足の一部を抜粋し、再掲させて頂きます。

意識を向けたものが活性化します。

補足:存在の立ち位置がしっかりしている上で、純粋な意識の力、意識の光を当てられると、自然に活性化するものは活性化し、不用なものはただ消えていきます。

立ち位置が不安定だったり、気づいている主体にマインド的な執着等がミックスされてあれば、不用なものにも力を与えてしまうことがあります。

どのような在り方、どのような立ち位置、理解であって、
何に意識を向けるか、ということが大切です。

プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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