大悟徹底

受講者
最近は、自己理解はもちろんのこと

マインドの成熟がとても大切であると

身に染みて、深く感じています。



17年ほど前に、一瞥の体験が

とても未熟なマインドに起こりました。

それから、否応なしに変容が起こり

至福感が過ぎた後は、源と現れのあまりの違いに混乱し

現実社会に適応できないということが

長きに渡って起こり続け、苦しみが長く続きました。

霊的アプローチ、心理学的アプローチなどを模索するなかで

空の体験や理解の深まりなどが少しずつ起こり

特に心理学的アプローチのセッションを何度も受け講座も受講し

インナーチャイルドといわれる個の部分(トラウマ)はとても癒されました。

それにより楽さ、自由さ、愛を感じていましたが

一方で驕り昂ぶりや、自分勝手を自由と勘違いしたマインドなどが起こっていました。

もちろんそれは心理学的アプローチのせいというわけではなく

マインドが未熟だったということです。

ただ体験や理解の後は、それを自分のものとするマインドが起こり

「個人」が強まっていたように思います。



無空庵のブログに出会い読み始めたころは

私という存在全体がとても「無空庵」に魅かれ引き付けられましたが

一方で受講者の方が「無空さん」という師にひれ伏し

盲信、崇拝しているように感じられもしました。

私は、宗教や何らかの組織というものを嫌悪していましたので

少し躊躇している部分もありましたが、絶対的な真実の香りは隠せるものではなく

熱心にブログを読むことはずっと起こっていました。



それから恩寵のもとで、セッションを受けさせていただけるようになり

最初のセッションで、まず感じたことは

盲信、崇拝する対象となる個人はどこにもいないということ。

無空さんには、まったく依存できないし、させてもらえない

まったく褒めてももらえない、笑

マインドはまったく取り合ってもらえず(聖なる無視ですね、笑)

最初から、肥大化したエゴを叩き割ってもらいました。

(言葉では激しいですが、無空さんはただ在るだけで

私のマインドが大騒ぎしていただけですね^^;)

びっくりしたと同時に「これだ!」と確信したことを憶えています。

(これらはひとりひとりのプロセスにより違ったセッションになると思います)



※括弧書きへのコメントです。

はい、ひとりひとりのプロセス、今ある位置、タイプによって、ある意味、

まったく違うとも言えます。

マインドに合わせる必要がある場合は合わせながらセッションしていきますし、

タイプ、タイミングによって、徹底して取り合わないのがよい場合はそれが起こります。

それが可能なのが、一人一人に合わせた個人セッションですね。


受講者
その後、回を重ねるごとに、ただそこには“真我”“愛”だけがある

ただ“自分自身”だけが在るということを

より深く知っていった、また知っていくように感じています。



私は“真我”そして“無空さん”を信じているという感覚ではありません。

(無空さんはいないので、信じようがありません^^)

マインドの立ち位置では明け渡しという感覚です。



存在として真我=愛だけが在るということを、ただ知っています。

絶対的に知っているだけです。

風がなく空気が全く感じられない時でも、空気は在る

テレビが映らない時でも、電波は在ると

信じる必要もなくそれを知っているのと同じように

ただ当たり前のこととして知っています。



分かりやすい例えですね。

それ(在る・真我・愛だけがある)がすべての前提となっています。

(大前提ですね。在るがなければ、何もなし。)

そして、それだけが在るのですから、それですべて、

それがすべてです。

在るものは、在るだけです。

在るものすべては在るです。

在るもの、そして、その在るから起こるものすべては、在るです。

それだけがあります。

その前に在るものはなく、その後に在るものもなし。

それは、源であり、そして、現れでもある。

すべての大前提であると同時に、それがそのまますべてとなります。

即そうです。

真には、現れも源もなく、

ただそれだけ。

それが、すべてのすべて。

本質において、知られることはそれだけで十分です。

その真実は、すべてを支え、すべてを貫き、すべてをあたたかく包み込みます。


受講者
そして、これまでのプロセスで起きてきたような

恐れ、怒り、悲しみ、嫌悪、猜疑、不信、嫉妬、混乱などの苦しみといわれるようなものも

ただ、そうであるという愛

真我(愛)それそのものから起こっているということ。

真我(愛)が在るからこそ起こっているということ。

真我(愛)がなければ、起こりようがなく

真我(愛)から外れるものはなく

真我(愛)から外れようがなく。



それら苦しみのようなものは

分かりやすい愛の現れのように変容しなくても(変容しても)

そのまま、あるがままで

真我(愛)そのものなのだと

そこに開かれつつ、深く腑に落ちつつあります。



素晴らしいですね。


受講者
その自己理解の深まり、拡がりはやはり

マインドの成熟とともに進み、またそれが不可欠だと感じています。



そうですね。

これまでの歩みがあったからこその成熟とも言えますし、

一瞥の体験をする方が今、増えているようですが、

今回書いて頂いた内容は、そのような方々にとっても

とても参考になったり、ひとつの指針となるのではないかと

思います。

また、他の方から頂いたメールの中に、

白隠禅師は、「大悟三回、小悟その数を知らず。」と言っています・・・

というような内容がありました。

ネットで検索してみても、三回の他に、大悟18度(18遍)、67回、百遍とも出てきます。

無空庵でも、同じことが何度も腑に落ちる(理解が深まる)、

その度により深く腑に落ちるということが起こります。

大悟徹底という言葉もあるように、悟りの一瞥が起こった後の在り方が本当に大切です。

その在り方次第で、エゴ(悟ったエゴ)を大きくするのか、

真にそれ(悟り)が生きたものとなっていくのかが、変わってきますね。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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