立ち位置により、見え方、感じ方が自然に変わる

受講者
昨日はセッションして頂きありがとうございます

スカイプのカメラが認識出来ない状態で
音声のみのセッションとなりました

セッション当日は既に満ちていて
「アクシデント」が
何故か「全体」という風に感じ
そのせいか、落ち着いていました



満ちているときは、在る(愛)の立ち位置に在り、
そのときは、自然に「全体」という視点になりますね。
ですから、「何故か」という言葉が出てくるわけです。
立ち位置により、見え方、感じ方が自然に変わります。

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Re: 「在る」。。。

コメントありがとうございます。
お返事はコメント欄の方にさせて頂きますね。


「在る」は「在る」です。
ただ「在る」です。
ただの「在る」です。
自分自身が存在しているという感覚です。
自分自身が在ることに気づいていることです。
気づいている主体に気づいていることです。

そしてそれは、観照そのものでもあります。

「在る」はマインドを超えていますので、それを言葉で表現することはできません。
言葉はその香りを伝える、それを指し示すのが精一杯です。

無空庵で起こっている、日々の小さな合同共鳴や週一合同ゼロ意識共鳴に意識参加されてみられることで、「在る」により意識を向けやすくなるかもしれません。

また、無空庵のブログやこのブログを読まれることも、言葉を超えた真実と共鳴し、理解が深まるのではないかと思います。

はじめのうちは、なかなか「在る」をはっきりと的確には感じにくいかもしれません。

実践を重ね、マインドが浄化され、理解が深まってくると、在るをよりはっきりと絶対的なものとして感じることができるようになってきます。

日々の実践として、このブログの中から、参考になりそうな記事をあげておきます。

『無空庵での基本は、在る(または、意識)』
http://nobinobi555.blog.fc2.com/blog-entry-504.html

No title

のびのびさん

お忙しい中、お返事ありがとうございます。

「在る」に身を置いているのですが、
それをマインドでチェックしてみると
私が在るという時もあるし
何も無いが在るという時もあるし、
周りをほんのり暖かく包まれている何かが在るという時もあるし、
全てがひとつの在るという時もあります。

理解という観点で、
その時その時で「在る」自体は変わらないのかもしれませんが、
理解が千差万別です。
それは、マインドで理解してしまっているからなのでしょうか?
「在る」という観点から「在る」をとらえるとき、何の感覚も何の理解も起こらないのでしょうか?

また、「それ」と「在る」の側面の違いはありますでしょうか?
「在る」でないといけない理由などありましたら、
教えていただけると幸いです。

質問の場をいただき、ありがとうございます。

No title

のびのびさん

追加で失礼いたします。
色々な記事に関してなのですが、
時系列としてはランダムだけど、同じ記事は2回出てこないという事で良いでしょうか?
分量がたくさんあるけど、
どれも気づきを得られる貴重な記事なので一通り目を通そうと思っていますが、
編集されて、本ででも出たら絶対買うと思います。笑

よろしくお願いいたします

Re: No title

ポケットの中のおやつさん

コメントありがとうございます。

> のびのびさん
>
> お忙しい中、お返事ありがとうございます。
>
> 「在る」に身を置いているのですが、
> それをマインドでチェックしてみると
> 私が在るという時もあるし
> 何も無いが在るという時もあるし、
> 周りをほんのり暖かく包まれている何かが在るという時もあるし、
> 全てがひとつの在るという時もあります。
>
> 理解という観点で、
> その時その時で「在る」自体は変わらないのかもしれませんが、
> 理解が千差万別です。
> それは、マインドで理解してしまっているからなのでしょうか?
> 「在る」という観点から「在る」をとらえるとき、何の感覚も何の理解も起こらないのでしょうか?

「在る」という感覚はあります。
感覚を超えた感覚と言ってもいいでしょう。
自分自身が存在しているという感覚、自分自身が在ることに気づいている感覚です。

また、「在る」はすべてであり、無限の側面、質、在り方があります。
在る、気づき、無、空、愛、幸せ、よろこび、静けさ、平和、やさしさ、やわらかさ、あたたかさ、美しさ、神聖さ、不動、無限、永遠、ひとつ、すべて、源、広がり、深み、奥行き、厚み、点、包んでいる、支えている、浸透している・・・等。

ですから、そのときどきで、「在る」の感じ方は様々です。

在るに意識が向いているとき、在るそのものであるときに、在るの在るによる直接理解、直知が起こります。

> また、「それ」と「在る」の側面の違いはありますでしょうか?
> 「在る」でないといけない理由などありましたら、
> 教えていただけると幸いです。

「それ」ですと、側面や質は特に限定されていない表現になりますね。
「在る」は、在る、存在感覚、存在性の側面、質が前面に出ている表現ですね。

だだひとつの存在をそれ、これ、在る、実在、存在、純粋な意識、純粋な気づき、真我、本当の自分、真の自己、愛、全体、ゼロ、無、空、本質・・・等といろいろな呼び方で呼んでいるだけです。

ですから、「在る」でないといけない理由はありません。

> 質問の場をいただき、ありがとうございます。

・・・・・

> のびのびさん
>
> 追加で失礼いたします。
> 色々な記事に関してなのですが、
> 時系列としてはランダムだけど、同じ記事は2回出てこないという事で良いでしょうか?

はじめの頃の数カ月は、時系列としてはランダムになっていますが、その後は時系列に沿っています。
同じ記事はありません。

> 分量がたくさんあるけど、
> どれも気づきを得られる貴重な記事なので一通り目を通そうと思っていますが、

はい、素晴らしい記事ばかりです。
セッション受講者の意識の深まりに合わせて、記事の内容もより深い内容、よりトータルな内容になっていっていますので、一通り目を通されるおつもりでしたら、はじめから順に読まれるのがよろしいと思います。

> 編集されて、本ででも出たら絶対買うと思います。笑
>
> よろしくお願いいたします

多忙のため、今後はご質問にはお応えできないかもしれませんが、ご了承願います。
ありがとうございました。

のびのびさん

大変示唆のあるコメントをありがとうございます
在るに留まれば、無限の側面を放つということで理解いたしました
また、在るを精査すればするほど、マインドが優勢になる事も気づかせていただきました

また、記事のご説明ありがとうございました

貴重なブログ、今後とも楽しみにしています

お忙しい所お時間取らせてしまい、ありがとうございました

失礼いたします
プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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