進んでくると、微細なところでの気づきが、とてつもない変容をもたらす

受講者
前回、今回のセッションでは

マインドに対する理解の深まりが起こりました。



マインドとは、本当に“ただ”マインドであったこと。



悟後の修行といわれる現れの中で

善悪はないという真実の一瞥はあっても

(その理解をマインドが掴んでいました)

どこか微細なところで

マインドは落とさなければならないもの

よろしくないものというマインドがありました。



またそのマインドは落ちたと思っていても

どこか微細にありました。



落ちたと思っているのが、マインドだったりしますね。


受講者
そのようなときには、マインドだと指摘されるごとに

痛みを感じたり、自己嫌悪を感じたり、

マインドだと気づくたびに、どこかでジャッジしていたり

逆に「マインドを悪者にしている(それはおかしい)」

「個として生まれてきたのだから、人生を楽しもう」

と肯定したり、受け入れてみたり。



それが、(未成熟の、または、ある視点から見た場合のひとつのプロセスにある)マインドの反応ですね。


受講者
そのようなプロセスがあって

ここのところ、腑に落ちたのは



無空さんが「それはマインドですね」と指摘してくださった時は

“これでいい”“ただそうである”という全受容、絶対的肯定という愛そのものから

ただ「マインドである」という“事実”をおっしゃっていただけということ。

そこには、何の咎めも排除もなく、何のジャッジもなく。



そうです。

そのように反応したり、動くのは、マインド。

ただマインドの方ですね。とお伝えしているだけです。


受講者
そしてマインドとは“在る”という創造の源から起こってくる自然本性。

ただそれだけであるということ。



善い悪いを超えて

まったくもって、マインドは“ただ”マインドでありました。



はい。


受講者
この今の理解の深まり、気づきによって、軽やかさが“より、さらに”

といった感じで、感覚的には楽~楽さそのものであります。



いいですね。


受講者
「自由」という言葉では、まったく言い表わし足りないほどの感じです。



進んでくると、微細なところでの気づきが、とてつもない変容(感じ方も含め)をもたらします。

セッション時に流れの中で起こってくる1ミリの違いという言葉があります。

ある程度、あるいは、かなり進んでからの1ミリの進歩、とてもとても微細な深化は、

時には次元が違うほどの変容をもたらします。

1ミリの違いがまったくの別世界を開きます。

そしてその進歩、深化を全宇宙がよろこびます。祝福します。

それは、全宇宙、存在そのものに(存在そのものに関しては自己理解という点で)

大きな大きな影響を与えます。


ある程度進んだ領域は、とても素晴らしく満足のいくものです。

そこにも、トータルな真実があります。

聖者、神々でさえ、そこから先に進むのは難しいというような言葉もあったかもしれません。

そこからの進歩、深化は、1ミリ進むのに、もしかしたら一生かかるかもしれませんし、

何転生、さらにそれ以上を必要とするかもしれません。

あるいは、その満足した領域で無限にとどまっているかもしれません。

もうその領域以上は、人知の及ぶところではありません。

ただ、とても素晴らしいと言えるだけかもしれませんね。


無空庵では、その1ミリの違いを体感、実感されている方が複数いらっしゃいます。

真の自己を知り、トータルに満ち足りて、ただ「これでいい」のまま、

自然に進んでいく、深まっていくということが起こっています。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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