起こることを起こるがままに

受講者
お話では、前回感想のご返信をいただいて「かけがえのなさ」の受け取りが起こり、

それに呼応するかのように、日常でも かけがけのない浄化が起こっていたお話を

させていただきました。



きっかけは、2週間ぐらい前の夫との間であった出来事だったのですが、

一端、収束したように感じていたのに、

再度「嫌」が強く繰り返し起こっていました。



ある夜、「嫌」が起こっていて、それに気づいていると、

ふと、「気づいていれば消えていくはず」というマインドに気づき、



起こりがちなマインドですね。


受講者
その瞬間、それまで「浄化されるべきもの」だった「嫌」が、「キラキラの嫌」に変わり、

ただかけがえのなく愛おしい嫌であり、私という存在のかけがえのない愛の表現になりました。



そうです。

起こってくるものすべては、ただかけがえのないものです。

同じものでも、立ち位置により、あるがままかけがえのない純粋なものとして体験されるか、

様々に意味づけされたものとして体験されるかが違ってきます。


受講者
その翌日、ちょうど、夫と二人で自宅でゆっくり過ごす時間があり、

とても穏やかで平和な空気の中、一日の中で何度も(4回程度も!)

時間をおいては、何が嫌かを伝えるということが起こっていました。

夫からの応酬もあり、嫌の応酬を繰り返していましたが、

最後に、「いくらストレスがあったとしても、怒りをぶつけられるのは嫌」と

伝えるが起こった後、ようやく終わった感じがあり、

現れるべきものを現すことができたような完了感がありました。



起こることは起こる、現れるものは現れる、ですね。

また、現れるべきものを現すことができたような完了感を体験したのは、

第一に在るであり、そして、間髪いれずに、私である個人も一緒に出てきている事にも、

ただ気づいて在りましょう。

それはそのようなものであると、

すべての体験、気づき、理解、認識の後に、

体験の主体であろうとする私である個人、

体験を我が物として所有しようとする個人が起こってくると理解して、ただ在りましょう。

ただ気づいて在れば、それが起こってくることも何の問題もありません。

それが起こってくることもとても自然なことです。

そして、進んでいけば、それはより小さく、より透明に、より軽やかなものとなっていきます。

起こらなくもなってくるでしょう。

それでも、

起こってきてもよし、起こらなくてもよし。

それが在るです。


受講者
そして、その後、少し夫との距離感が変わり、

彼が私を尊重してくれるようになった感覚があります。



全体に変容が起きていますね。

それは、関係性の片側、一方の極でもあり、同時に全体そのものであるあなたが変わったから。

観念、思考等で何かを維持しようとか(必要により維持しようが起こるときもあります。)、

それが反映された現れの形等に留まろうとせず、

自然な変化、起こることを起こるがままにしておけたから。

今回で言えば、全体であるあなたから、自然に起こることが起こりきったから。

起こりきるということをただ起こりきらせることができたから。

それができるということが起こったから。

自然に現れては消え、また、現れては自然に変化し続ける現れ全体の中で、

滞ることなく、あるがまま、起こるがまま、変化し続けるまま、

“自然”ということが実現されたからとも言えますね。


受講者
無空さんからは

「いろいろつまった体験ですね。」

というような言葉をいただきましたが、

本当にそうだなぁ・・・と思います。

(今の私で気づけてる、感じられる範囲でですが)



体験を通じて



まだまだ 在るを限定しているということへの気づきの反面。

(穏やかで至福と平和に満ちた状態をキープしたいマインドや

長くイライラや不快感が続いてはいけないというマインド、

それらを人に出してはいけない、または、出したくないマインド、

それらの不快感をなんとかしたいマインドなど)



また、同時に いろいろ起こっても

全体として自然であり ただ起こることが起こっているだけで、

マインドにマインドが重なって起こるというのが

続けられなくなった。起こらなくなった。という実感がありました。



とてもいいですね。

それは、在るに注意を向けること、在るに何度も戻ること、戻り続けること、

在るそのもので在ること、ただ在ることで、自然な変容が起こったということですね。


受講者
在るがより自然で確かで普通になってきている感じです。



いつもかけがえのないありがたいお導きに感謝しています。



引き続き、実践を粛々と続けます。



はい、それがただ在る(真我・無限の愛)から起こっていく。

実践を粛々と続けていく主体、行為者、私である個人はいない。

(あるいは、起こってきても、それは真の主体ではない。行為が起こってくる際の付随的なもの。)

ただ在る実践が起こっている、起こり続けていく。

在るのは、在るのみ。

在るが、それ自身としてただ在り続けていくだけ。

そのような理解で在りましょう。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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