“知っている”という理解、そして、自己理解は、状況、状態に左右されず、変わらない

受講者
いろんなマインドが出てきて
表面的には揺れ動いたりすることもありますが、
どんなに揺れ動いても、同時にそれそのものという感じです。



ゆらぎ(「生」)は、“それ”という絶対的な「静」の中で起こっています。


受講者
知っているというのは、動かしがたいですね。
絶対です。



はい。
状態、感覚等は変化します。
体験は起こっては消えていきます。
そのような中で、“知っている”という理解、そして、自己理解は、状況、状態に左右されず、
変わりません。

(知そのものでもある真我の無限の更新力により、
深まる、よりトータルなものになっていくということは言えますが。)

起こっては消えていくものでもありません。

自己理解は、無空庵でもっとも大切にしているもの。
一番の柱とも言えますね。

(真の自己を知り、そこからはじめて、真の自己の実現、
真に生きる、真の自己が生きられるということが可能になります。)

本当の自分である真の自己(真我・在る・愛・タオ)を知ること。
真の自己とは、思考、感情に気づいている純粋な意識、純粋な気づき。
すべての体験に気づいている変わらない存在。
そこから森羅万象すべてが現れ、そこへすべてが帰って行く、すべての源。

また、より大きな視点から見れば(真実は)、そこから現れたすべてもまたそれであり、
真の自己とはすべてのこと。
その視点からは、自己理解とは、源はどのようなものであり、

(変わらない実在。それは変わらない真の愛そのものであり、
変わらない絶対の平和、喜び、至福、自然、真・善・美そのもの。
それはタオでもあり、それが変わらない真の自己、本当の自分、真我)

そこから現れた現れはどのようなものであるか、

(源から起こっては消えていくもの。マインドの性質、傾向等の理解。
そこから現れたすべてもまた、本質的には愛そのもの、真我そのもの。
それは、現れた真我、現れた愛、現れた実在等。)

また、源と現れはどのような関係にあるか

(同じもののふたつの相という視点。源の方が変わらないという点で、
より本質的とも言える。

━源も現れもなく、“ただそれだけが在る”、という視点ももちろん在る━

現れ・ゆらぎにより、源である真の自己、真我の実現が可能になる。
様々な体験、自己理解が可能になる、真我が自分自身を知る、
ということが可能になる。より深まることも可能になる。

また、その現れも、真には、本当は現れていない現れ、
ただそれ自身の中で起こっている意識・認識作用、その相互作用、意識のゆらぎ。
そのことから、すべてはそれ自身の中で起こっていることであり、
本質的には、本当は“何も起こっていない”とも言える。

それをわかりやすい例えで言えば、
━あくまで、例えでしかなく、そのまま適用することはもちろん
できませんが━
それは、夜寝ていて、夢を見ている、夢を体験しているようなもの。
その中で様々な体験をし、様々な旅をしても、
実はどこへも行っていない、何もしていない、
本当は何も起こっていなかった、というようなもの。

そしてそれは、本当は、ただそう見ることができる、
そのようにも言えるというレベルのものではまったくなく、
その視点、その立ち位置に立てば、あるいは、それそのものであれば、
それはまったくの事実、まったくの真実、
リアルな真実、もっとも深い真実、
絶対的な真実であると知ることができる。

それは“知そのものである真我”にもともと備わっている知。

あるいは、その本体そのもの。

“それは、知っている。”

“もともとそうである”

という絶対的なレベルにある知。

“知っている”というところにすでに在る事実。

参考:フーマン「恩寵の扉が開くまでⅠ」より
“知っている”に関連した記述。

【すべて、本当の真実に目覚めた存在のメッセージは、いつでも唯一「愛」だけだ。
「愛」は単なる感情的なものではない。
それは「知っている」(Knowing)というフィーリングであり、

(無空補足:自己理解においては、マインドレベルの理解は補助的なもの。
その本質は、存在レベルにある“知っている”という感覚。実感。フィーリング。)

この宇宙において本当の真実は何か、全ての宇宙の中で何が真実かを知っているもの、それが愛の源泉だ。
 それは、「現象世界に顕れない真実」(anmanifested reality)だ。
それが、「愛・ワンネス・真実」であり、あなたはそこへ向かっている。】

その理解、その事実(本当は何も起こっていない)がもたらすひとつは、
絶対安心、絶対安全、絶対大丈夫。

その絶対的な事実、絶対的な安心、安全、
絶対大丈夫の上で(中で)、唯一の実在である真我は、
無限にゆらぎ、それ自身を無限に体験し、
それ自身を無限に知っていく。等)等

(注)括弧書きが長くなりましたので、
少し前からいくつかの括弧書きのところもカットして再掲させていただきます。

状態、感覚等は変化します。
体験は起こっては消えていきます。
そのような中で、“知っている”という理解、そして、自己理解は、状況、状態に左右されず、
変わりません。

起こっては消えていくものでもありません。

自己理解は、無空庵でもっとも大切にしているもの。
一番の柱とも言えますね。

本当の自分である真の自己(真我・在る・愛・タオ)を知ること。
真の自己とは、思考、感情に気づいている純粋な意識、純粋な気づき。
すべての体験に気づいている変わらない存在。
そこから森羅万象すべてが現れ、そこへすべてが帰って行く、すべての源。

また、より大きな視点から見れば(真実は)、そこから現れたすべてもまたそれであり、
真の自己とはすべてのこと。
その視点からは、自己理解とは、源はどのようなものであり、
そこから現れた現れはどのようなものであるか、
また、源と現れはどのような関係にあるか等、
すべてにわたるわたしである自己の理解とも言えます。
自己とは、もっとも小さい者としても在り、
また同時に、すべてのすべてとして実在しているとても大きな存在でもあります。


受講者
マインドが動いてもびくともしないそれそのものである。
表面で波が立っている感じです。



いいですね。


受講者
最近は、そういうことが連続して起こっていたと同時に
無空さんのおっしゃった「自己理解」が進んでいた感じでした。


共鳴
 永遠にそれそのものという実感。
 途切れることがなく、それそのものという感じ。
 そして、今この瞬間にくつろいでいる感じ。



在るは、目覚めていながら、同時に、くつろいでいますね。


受講者
アイコンタクト
 途中で思考も出てきましたが、
 終始それそのものでした。

瞑想
思考や浄化も起こりましたが、それそのもの。
 ずっとそれそのもの。 
 探さなくても、探す必要もなくそれそのものです。



すべてはそれです。
分かった人、知った人には、すべてが即それです。


受講者
ハートの共鳴
 クリアーさがどんどん増していく感じ。
 浄化が起こったというより
 ただクリアーになっていくのを感じました。



クリアさも無限です。
浄化のないクリアさの更新ももちろんあります。


受講者
立場を変えての共鳴
 愛そのもの。

立場なしの共鳴
 それそのもの。
 まっすぐなクリアーな道がずっと見えていました。


「無空さんからは、とてもいい感じですね。
 そうなってくると日常の起こること、揺らぎ、
 この世界で、あることへの理解が深まっていきますね。」
というようなお言葉を頂きました。



真の自己の理解がゆらぎなくあるようになれば、
(それが存在全体を安定させます。)
日常で起こること、様々なゆらぎ、この世界にあることすべてが
自動的に自己理解を進めていくものになっていきます。
自己理解が進むこと、
真の自己をさらに深く、よりトータルに“知っていくこと”(気づくこと)は、
至高の喜びです。

(真の自己は知そのものでもあり、知そのものがそれ自身をより知っていくことは、
知そのものの中で起こるゆらぎなきゆらぎでもあり、
それは知そのものにとって、至高の喜びです。)

それは真我そのもの、至福そのもの、幸せそのもの、喜びそのものの
喜びです。
それは、源と現れのすべて、すべてのすべてに響き渡る喜び、全体の喜びです。
もっとも本質的な喜び、それまで経験していたマインド的な喜び等とは次元の違う、
質の違う喜びです。
それは、存在そのものが、存在の奥深くで、あるいは、存在全体で、
これがそうだ、と知っている喜びです。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

初めてご訪問頂いた方へ
悟り|無空庵
お知らせ
公開・週一合同ゼロ意識共鳴
ご案内
浄化のときにはこちらへどうぞ
最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク
検索フォーム
QRコード
QR
RSSリンクの表示