ただ在るということが唯一、すべてを包括できるトータルな在り方
受講者
今回は情況に流されて心の充実が保てない状態について、
いろいろなお話をさせて頂きましたが、
「在る」ことを通じて
「よりトータルに物事が起こってくる」、
という言葉が、印象に残りました。
(「ああ、そうだ、自分はそのことを求めているのだ」、
と思いました。)
そして、すべては自分自身の状態、在り方に帰結する・・・、
今までに何度となく感じた当たり前なことですが、
今回もそう思いました。
師
そうですね。
ただ在るという在り方
それ以上のものはありません。
それが唯一、すべてを包括できるトータルな在り方です。
それは、シンプルでトータルです。
受講者
共鳴を通じて、気持ちよくチューニングできました。
師
チューニングがただ起こった。
そこにチューニングする者、行為者はいない。
が、覚者の視点です。
あるいは、チューニングする主体も個人ではなく、在るである、
在るがただ在り、ただそれに気づいている
というようになっていくといいですね。
(個人感覚も自然に同時に起こってきますが、それに捉われずに
在れるようになるといいですね。
それを可能にするのが、本当の自分は在るであるという深い自己理解です。)
今回は情況に流されて心の充実が保てない状態について、
いろいろなお話をさせて頂きましたが、
「在る」ことを通じて
「よりトータルに物事が起こってくる」、
という言葉が、印象に残りました。
(「ああ、そうだ、自分はそのことを求めているのだ」、
と思いました。)
そして、すべては自分自身の状態、在り方に帰結する・・・、
今までに何度となく感じた当たり前なことですが、
今回もそう思いました。
師
そうですね。
ただ在るという在り方
それ以上のものはありません。
それが唯一、すべてを包括できるトータルな在り方です。
それは、シンプルでトータルです。
受講者
共鳴を通じて、気持ちよくチューニングできました。
師
チューニングがただ起こった。
そこにチューニングする者、行為者はいない。
が、覚者の視点です。
あるいは、チューニングする主体も個人ではなく、在るである、
在るがただ在り、ただそれに気づいている
というようになっていくといいですね。
(個人感覚も自然に同時に起こってきますが、それに捉われずに
在れるようになるといいですね。
それを可能にするのが、本当の自分は在るであるという深い自己理解です。)
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