エゴは創造、体験にセットでついてくるもの、そしてそれは、けっして個人のものではなく、一般的なエゴである

受講者
終了後

しばらく

傲慢さに嫌悪感が走っていました



最初のお話を聞いていただいた時間で

何もありませんと言いながら

こんなにあったやん。。。って感じでしょうか


真我は

謙虚に

純真無垢にありながら



エゴは自己を主張しておりました。。。



それに気づいていればOKです。

ただエゴはそうなのだと。

エゴはそういうものなのだと。

それが何かのきっかけで自然に起こってきただけです。

それに気づいて、そのままにしておけば

ゾクチェンの教えの言葉を使わせて頂けば、

それ(エゴ、起こってきたマインド)自ら解脱していきます。

消えていきます。

それが持つ運命に従い、現れている間だけ現れていて、

その後、ただ消えていきます。

何もする必要はありません。

エゴを所有するのは、エゴです。

そのエゴは誰のエゴでもありません。

ただエゴ

一般的なエゴです。

それは、全体の創造の中で、自然に

ある意味、付随して起こってくるものです。

火を起こしたときに一緒に起こってくる煙のようなものです。

それらはセットです。

(それが個人体験を可能にします。)

エゴも、創造の際にセットでついてきます。

(よりクリアになり、また理解が深まってくると、

エゴが一緒に起こってこないケースも増えてきますが、

━あるいは、起こっても透明なエゴ━

悟りの一瞥の後や、悟後の修行の際の新しい体験、

新たな理解等が起こったとき

また、より深まった、より進んだと実感できたようなときにも

エゴはすかさずやってきます(笑)。

その体験、その理解の主体となり、それを自分のものに

しようとします。

それもまた真我からの自然な創造、

宇宙創造の力

個人体験を創造する宇宙的な力、

真我の自然本性(愛)が働いているからでもあり、

その力は自然なもの、本質的には、本源であるところからくるものゆえ

とても強力です。

━それがまた、本源からくる気づき、目覚めにより、

その力(個人創造の力)からの解放も起こっていくのですが━

そのことを読み取れる内容として、いくつか例を挙げれば、

ラマナ・マハルシは

【非常にまれな例を除いて、真我への無知は大変深く根づいており、
個人である探求者にとっては自らの努力でそれから逃れることはきわめて難しい。】

と言っていますし、

フーマンも、

【カルマは非常に強い。
マーヤ(Maya/幻想)は、とてもパワフルだ。
あなたはそのことに気づきもしない。】

【カルマ(業)やマーヤ(幻想)は非常に強い。
何年も後で、ようやくまた同じ事をしている自分に気づく。
そして、その間いったい自分は何をしていたのか?
途方に暮れる。
長年探求していても、厳しい瞑想修行や強烈なリトリートを続けても、自分が何処にいるか解らない。
同じマインドが、まだあなたと共にある。】

ということを言っています。)


それ(エゴ)は創造、体験にセットでついてくるもの

そしてそれは、けっして個人のものではなく、

一般的なエゴである

と理解しておけば、より安定して在れると思います。

それはそのようなものであると理解し、

また、それは変わらない真実ではないと

ただ気づいていればOKです。

ただそのままにしておいてください。

強く注意を向ける必要もありません。

(もしそれが自然に起これば、

気づきながら、それもそのままにしておきましょう。)

それは意識の中にあっても別にかまわない

くらいの態度で在りましょう。

何かのきっかけで起こってきた一般的なエゴを

私(個人)や

私のエゴ

にしないように。

純粋な存在として在りましょう。

生命そのもの

愛そのもの

幸せそのものとして在りましょう。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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