在る度の増していく度合いは、在る度の深さ、確かさ、的確さ、あるいは、どれだけトータルに自然か等による
受講者
今週は、根深いパターンの浄化のような感情が起こり、大きく波立ちましたが、すぐに在るに戻ってしまう、勝手に戻ってしまう、という感じでした。
そして、自然にすべてが正され、調和され、収束していきました。
ただそのまま、自然のまま。
ずいぶん昔に何度も起こった同じような出来事が自然に思い出されましたが、今回は、パターンを超えて、愛で在れたことに、自分自身の成長をとても感じました。
その成長がとてもうれしいです。
師
以前とは、まったく変わってしまったようですね。
成長を確認、認識できる喜び、そしてやはり、パターンを超えて愛で在れたこと自体がとても大きな喜びなのではないかと思います。
すべてを超えて、愛で在れること
真の自己で在れること
ただ自分自身で在れることは、
何ものにも代えがたい喜びですね。
受講者
また、今回の出来事は夫との関係性の中で起こったのですが、その出来事を通して、私の中に反省が起こり、これから夫の要望にもっと応えていきたいという思いが起こりました。
そして、実際には、まだその要望にほとんど応えられていないのですが、夫の機嫌はとてもいいのです。
師
すでに現われレベルにも変化が起きているようですね。
受講者
最近は、愛の計り知れなさを強く実感することが多いです。
師
ただひとつであるもの(愛)、ただひとつであるすべて(愛)はそのように働きます。
受講者
余裕が出てきて、より全体を感じられるようになってきているのかもしれません。
師
そうですね。
余裕があること。
とても大事です。
在る(真我・愛)には、無限の余裕があります。
受講者
また、その出来事の後は、現われからの離れ度と安定感がぐんと増したように感じています。
師
在ること(愛で在ること)ができている上で、ひとつの出来事(体験・ゆらぎ・波)を通り過ぎると、在る度(自然度・在るがまま度)が増していきます。
(喜び、幸せ、愛、自由、やすらぎ、平和、安心・安全・大丈夫・ちょうどいい・これでいい度合い等も増していきます。)
そして、その増していく度合いは、在る度の深さ、確かさ、的確さ、あるいは、どれだけトータルに自然か等によります。
在る度が深ければ深いほど、
それがより確かで、的確であればあるほど、
あるいは、よりトータルに自然であればあるほど、
つまりは、真に在るがままであればあるほど、
無空庵のもうひとつの表現でいえば、
ただそうであれば、そうであるほど
ほんの小さな日常体験の中にも無限の素晴らしさを感じることができ、
さらに、在る度、
自然度、
ただそうである度
が増していきます。
そこにあるもの
それはすでに無限です。
そこには無限の素晴らしさがあります。
あとは、それを感じ取る方の在り方にかかっています。
それは、フーマンが言う「私(ME)そのものがワークされる必要がある」ということにもつながっていますね。
それは、体験の主体そのものに関するワークです。
世の中にあるワークは、
私である主体(この場合は個人になります)がワークを“する”、
何か(私そのものではない私とは距離のある対象である何か)に“取り組む”、
マインドや課題等に“取り組む”
という方法が多いですが、
“ただ在ること”
“それそのものであること”
“(真の)自分自身であること”
により
“主体自体”がワークされます。
マインドと同一化していた主体が純化され、それそのものであることの確かさが増し、無限に深化していきます。
ただ在り、それそのものでありながら、日常体験を通っていくことで、存在全体がワークされます。
存在全体が成熟し、統合され、よりトータルに自然になっていきます。
喜び、幸せが増していきます。
受講者
何かが起こり、何かを感じられること、何かに気づけることが、よりうれしく、楽しく感じられます。
それは、必要なだけ感じたら、自然に離れられるから。
また、すべてをただ包み込めるから。
現われを純粋に感じられるから。
師
素晴らしいですね。
受講者
本当に、無限に深まっていくのですね。
無限に幸せになっていくのですね。
師
はい。
受講者
自分自身の計り知れなさに驚きと感動のような感覚も起こっています。
人生というものを通して、自分自身を深く深く知っていくことのなんと素晴らしいことでしょう。
本当にありがとうございます。
師
ありがとうございます。
今週は、根深いパターンの浄化のような感情が起こり、大きく波立ちましたが、すぐに在るに戻ってしまう、勝手に戻ってしまう、という感じでした。
そして、自然にすべてが正され、調和され、収束していきました。
ただそのまま、自然のまま。
ずいぶん昔に何度も起こった同じような出来事が自然に思い出されましたが、今回は、パターンを超えて、愛で在れたことに、自分自身の成長をとても感じました。
その成長がとてもうれしいです。
師
以前とは、まったく変わってしまったようですね。
成長を確認、認識できる喜び、そしてやはり、パターンを超えて愛で在れたこと自体がとても大きな喜びなのではないかと思います。
すべてを超えて、愛で在れること
真の自己で在れること
ただ自分自身で在れることは、
何ものにも代えがたい喜びですね。
受講者
また、今回の出来事は夫との関係性の中で起こったのですが、その出来事を通して、私の中に反省が起こり、これから夫の要望にもっと応えていきたいという思いが起こりました。
そして、実際には、まだその要望にほとんど応えられていないのですが、夫の機嫌はとてもいいのです。
師
すでに現われレベルにも変化が起きているようですね。
受講者
最近は、愛の計り知れなさを強く実感することが多いです。
師
ただひとつであるもの(愛)、ただひとつであるすべて(愛)はそのように働きます。
受講者
余裕が出てきて、より全体を感じられるようになってきているのかもしれません。
師
そうですね。
余裕があること。
とても大事です。
在る(真我・愛)には、無限の余裕があります。
受講者
また、その出来事の後は、現われからの離れ度と安定感がぐんと増したように感じています。
師
在ること(愛で在ること)ができている上で、ひとつの出来事(体験・ゆらぎ・波)を通り過ぎると、在る度(自然度・在るがまま度)が増していきます。
(喜び、幸せ、愛、自由、やすらぎ、平和、安心・安全・大丈夫・ちょうどいい・これでいい度合い等も増していきます。)
そして、その増していく度合いは、在る度の深さ、確かさ、的確さ、あるいは、どれだけトータルに自然か等によります。
在る度が深ければ深いほど、
それがより確かで、的確であればあるほど、
あるいは、よりトータルに自然であればあるほど、
つまりは、真に在るがままであればあるほど、
無空庵のもうひとつの表現でいえば、
ただそうであれば、そうであるほど
ほんの小さな日常体験の中にも無限の素晴らしさを感じることができ、
さらに、在る度、
自然度、
ただそうである度
が増していきます。
そこにあるもの
それはすでに無限です。
そこには無限の素晴らしさがあります。
あとは、それを感じ取る方の在り方にかかっています。
それは、フーマンが言う「私(ME)そのものがワークされる必要がある」ということにもつながっていますね。
それは、体験の主体そのものに関するワークです。
世の中にあるワークは、
私である主体(この場合は個人になります)がワークを“する”、
何か(私そのものではない私とは距離のある対象である何か)に“取り組む”、
マインドや課題等に“取り組む”
という方法が多いですが、
“ただ在ること”
“それそのものであること”
“(真の)自分自身であること”
により
“主体自体”がワークされます。
マインドと同一化していた主体が純化され、それそのものであることの確かさが増し、無限に深化していきます。
ただ在り、それそのものでありながら、日常体験を通っていくことで、存在全体がワークされます。
存在全体が成熟し、統合され、よりトータルに自然になっていきます。
喜び、幸せが増していきます。
受講者
何かが起こり、何かを感じられること、何かに気づけることが、よりうれしく、楽しく感じられます。
それは、必要なだけ感じたら、自然に離れられるから。
また、すべてをただ包み込めるから。
現われを純粋に感じられるから。
師
素晴らしいですね。
受講者
本当に、無限に深まっていくのですね。
無限に幸せになっていくのですね。
師
はい。
受講者
自分自身の計り知れなさに驚きと感動のような感覚も起こっています。
人生というものを通して、自分自身を深く深く知っていくことのなんと素晴らしいことでしょう。
本当にありがとうございます。
師
ありがとうございます。
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