在ることが至福

受講者
セッション:前半は雑念がやや出ていましたが、終盤、雑念も減り、マインドが静かになりました。
全般的にエネルギーが上がりやすかったと思います。



そうですね。
全般的に、濃い共鳴だったように思います。


受講者
よろしくお願い致します。



今週のセッションで頂いた質問、サット・チット・アーナンダのアーナンダである至福の部分の補足ということでいくつか参考までに。

あなたは、サット(存在・在る)・チット(意識)はすでに自覚、認識されています。
(その自覚は、ある意味、そのまま不変でありながら、認識、理解は、さらに深まり、よりトータルなものへと進んでいきます。)
それを「何も無い、空っぽ」(空)と感じられることもありますね。
アーナンダ、至福と言われるものも、その「何も無い、空っぽ」であるものと別のものではありません。
現われたすべての幸せを足した幸せよりも大きな幸せ、無限の幸せ、すべての現われの幸せの源は、まさに「何も無い、空っぽ」であるほどに凝縮され、もっとも精妙、もっとも微細なものよりも微細な形で存在しています。
そして、ある意味、それが少し薄められたものが、個人として感じることができるもっとも大きく、もっとも強烈な幸福感とも言えます。

セッション中に、ラマナ・マハルシが「あるがままに」の中で言っている「人間の本性である幸福、想念のない深い眠りのなかで体験される幸福」の話が出ましたが、それは、眠りの間にだけあるものではなく、起きている間もずっと存在しています。
「気づいている意識」、あるいは、「在る」を、それがそう(至福)だと自覚、認識できれば、いつでもそれを味わうことができます。
そして、意識していないときでも、その理解が存在全体を支えるようになっていきます。

今、現在のあなたのポイントのひとつとしては、今回あなたが言われたところの「灯台下暗し」に近いところがあります。

それに気づいたら、あるいは、それがそうだと認めることができたら、なんだそうか、至福とはこれのことを言っていたのか、これでよかったのか、という感じになるかもしれません。

気づいている意識、あるいは、在るという感覚は、ずっと在り、あまりに当たり前で普通であるために、なかなか気づけないのと同じように、至福そのものも、ある意味、とても静かに微細に存在しているため、気づきにくいかもしれません。

また、それをマインドで何かイメージしていたり、それについての特定の概念があったりすると、それがまた障害になってしまうこともあるかもしれません。
(例えば、本当はまるなのに、それを三角だと思って探していては、いつまでも見つかりません。)

でも、一度それに気づき、認め、受け容れることができれば、それはある意味、どんどんはっきりしてきて、よりしっかりと、確かなものとして感じることができるようになってきます。

もうひとつは、以前からお話しているように、今感じられている「何も無い、空っぽ」によく馴染むこと。

「何も無い、空っぽ」に馴染み、そこに安らぎや、心地よさ、幸せを感じることができるようになるのは、例えて言えば、白湯を飲み始めたときは味をまったく感じないけれども、そのまま飲み続けて行き、味覚が精妙になってくると、そこに甘さを感じれるようになって来るのと似ています。

そのような点から、「何も無い、空っぽ」、あるいは、気づきそのもの、在るに何度も注意を向け、そして、在れるときは、それそのものとして在り、それであることによく馴染み、それ自体、それ自身であることにくつろぎ、リラックスできるようになってくると、徐々にそこにある微細ではあるけれど、これ以上のものはない(その強さというより、その質やトータル性において。もちろん、それを強く感じることも可能ですが。)、あるいは、真の幸せとはこれだ、という本質的な幸せを直接に知り、感じることができるようになってくるでしょう。

その幸せとは、それ自身(真の自分自身)であることの幸せです。

無は、無であることが何より幸せです。
そうあることが一番落ち着きます。
空っぽは、空っぽそのものであることが最高の幸せです。
そうあることが、本来の正しい位置にあり、そこには、「これでいい」という、その存在すべてをまるごと肯定、受容している感覚があります。(本来は、言葉で表せるレベルのものではありませんが。)
また、そこには、絶対的な正しさ(在ること、自分自身であること)、真実そのもの、リアリティそのものとして実在している実感があります。

自分以外の何かになろうとするとき、そこには不自然さ等が生じ、最高の幸せにかげりが出てきます。
自分自身であること。
真の自己を知り、あるがまま、そのままであること。
自然であること。
その中に、最高の幸せ、至福が在ります。
そうあること自体が至福です。
在ることが至福です。

「在る」等の実践を継続されていくことで、自然に、感じ取る力、感じ取る側のやわらかさ、繊細さ、微細さ等が少しずつですが、自然に増していきます。
それ自身であること。
そのままでリラックスして、“開いていること”。
そこも大切です。
「何も無い、空っぽ」と感じ、そこで、(至福はないと)、心、ハートを閉じてしまわないこと。
あるいは、マインドでラベル貼りをしてしまわないことです。

ただそれであり、ただそれにくつろぎ、ただそれに、ただ自分自身に開いていること。開いて在ること。
どこまでも、開き続けて在ること。
それが自身に開かれるまで、“ただただ”開き続けて在ること。

はじめから、幸福感、至福感を感じる方もいらっしゃいますが、それは、“感”ではなく、至福そのものです。(そこに至福“感”を伴うこともありますが。)

至福そのものを知った人たちは、
「何も無い、空っぽ」(空)に開き続けた人たちです。
「在る」に開き続けた人たちです。
「真の自分自身」に開き続けた人たちです。

真の幸せは、在ること、ただ在ることの中に在ります。
それは、存在の幸せです。
それは、存在が存在していることの幸せです。
それが究極の幸せです。
それが至福です。

その至福がどれほどのものかと言えば、
その至福から、ほんの一滴、幸せがこぼれ落ちてできたのが、
現われの宇宙という言い方をしてもいいほどです。

未知なるそれ、未知なる自分自身に開き続けましょう。

未知は満ちています。

それは、必ず開かれます。

すでにそうであるもの、
すでにそうである未知は、毎瞬、毎瞬、開かれるのを待っています。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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