あるがまま・自然・愛

受講者
「現実を意識でつくっている」と思っていた場所が

とても窮屈に感じます。



とても

とても

よい感じですね。

今は、在るの立ち位置にあり、

それは無限の広大さそのものであります。

(逆に、個人の立ち位置は、窮屈でもありますね。)

「現実を意識でつくっている」という表現からは、

その主体が個人であることが感じられますね。

(背後に、在るがままではなく、

現実を、たとえ微細なものではあっても、コントロールしようとする者がいることが

感じられますね。

また、個人体験のプロセスにある者へのアドバイスとして、創造者としての体験を

与えるために、トータルに見渡せる視点から、そのような視点が示唆されることもあるでしょう。

でも、それはいずれ、うまくいかないということ、すべてが思い通りにいくわけではないということが

分かるでしょう。

必ずどこかで行き詰るでしょう。

なぜなら、現われは多様であり、世界には様々な存在がいて、様々な思いがあるからです。

そして、さらに深い真実としては、すべては、在るがまま、起こるがまま、だからです。

部分(個人・思い)は、全体(愛)に勝てません。

(同時に、個も全体そのもの、愛そのものだという視点も大切です。)

一時的で変化していくものは、永遠で不変であるものには勝てません。

コントロールは、自然(ただそうであるもの。もともとそうであるもの。)には勝てません。

そして、コントロールしようとする個人、そして、創造者、創造主もまた、

在るから自然に起こってきた者、自然現象であるということ。

個人、創造者、創造主は、源ではなく、現われの方、

ひとつの視点からは、原因ではなく、結果の方だと言うことができます。

現われは結果。

そして、起こってくる思考、意図、感情等もまた、すでに結果です。

その結果をなんとかしようとして現われてくるものもまた結果。

ひとつの結果を悔やんだり、悲しんだり、喜んだり、祝ったりするのも結果です。

この視点からも、ニサルガダッタ・マハラジが、「I AM THAT」で言っている

『聖人のような高徳な生き方の本質は、現在のこの瞬間の完全な受容と、起こるがままとの調和にあるのだ。
聖人はあるがままから変わってほしいとは望まない。
すべての要因を考慮した上で、それが不可避であることを彼は知っているのだ。
彼は必然的なものと親しくあり、それゆえ苦しむことがないのだ。』

ということが理解できると思います。

すべては在るがままであり、起こることは起こります。

ただ起こってくることに対しては、あるがままの受容、調和、もしくは、ただ気づいている、ただ気づいて在る、という態度がいいですね。

そして、真のわたしたちは、ただ結果であるだけではありません。

真のわたしたちは、結果であると同時に原因であるもの。

原因であり、結果であるもの。

アルファであり、オメガであるもの。

始めであり、終わりであり、そして、その中間であるもの。

それらすべてを包括するもの。

それらすべてを超えているもの。

すでにそうであるもの。

もともとそうであるもの。

在る・愛・生命・真実・自然・全体・無限の可能性そのもの・・・・・ 

すべてのすべてです。

真のわたしたちは、まったくの自然で、まったくの在るがまま、起こるがままの、とてもトータルな存在です。

わたしたちは、源であり、現われであるもの。

部分であり、同時に、全体であるもの。

変化、成長しながら、同時に、不変、永遠であるもの。

コントロール体験も起こりながら、同時に、それをも超えて自然であるもの。

わたしたちは、すでにそうであるものを体験していくもの。

愛・生命・真実を体験していくもの。顕現し、実現していくもの。

すでにそうである無限の可能性を開いていくもの。

すでにそうである未知を無限に知っていくもの。

自らをどこまでも無限に体験し、自らをどこまでも無限に知っていくものです。)


在るから、個人体験、あるいは、行為者、創造者(創造主)体験として、

(私が)「つくっている」という感覚は起こってきますが、

在るそのものには、「つくっている」という感覚、認識はありません。

それは、本来言葉にできないものですが、

あえて表現するなら、

(これらもほんの一例でしかありませんが。)

在るから起こっていくものに対しての

(あるいは、在るの中で起こっているものに対しての)

在るの在り方、在るの感覚としては、

『ただ』

あるいは、

『ただそうである』

『沈黙』

(もう少し言うなら、『沈黙の見守り』)

『ただ気づいている』

等です。

そしてそれをまた、よく使われる言葉であれば、

『あるがまま』とも言い、

また、『自然』とも言い、

そして、『愛』とも言います。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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