現われから自由であってはじめて、純粋で、トータルな愛が、現われを含めた全体へと注がれる

受講者
1週間前のセッションがはるかかなたのように感じる1週間でした。

マインドが起こり、在るに戻るをひたすら繰り返した週でした。

基本に忠実に
とにかく丁寧に気づいたら在るに戻る

在るに戻るを徹底して繰り返していました。

マインドの引力が強い時も
少し強引なぐらい在るに戻って
在るの中でくつろいだり
在るを意識して味わったりしていました。

繰り返し起こったマインドで
印象に残っているのは

「今まで現れの人生ではエゴばかりで生きてきて
愛からこんなにかけ離れた私が無空さんのセッション
なんか受けているのはふさわしくないんじゃないか。」
「無空さんもあきれているに違いない。」
「こんなことでは何年続けてもどうしようもない。」
など、セッションを受けるということに対する
マインドが繰り返し起こっていました。(^^;

無空さんにお話すると典型的なマインドですね。笑
とおっしゃられて二人で笑いました。



まさに、教科書どおりのマインドです(笑)。


受講者
また、
ある日、全く日常は平和で幸せにもかかわらず、
突然、理由のない恐怖心が湧いてきて
リヴィングで一人で毛布をかぶって
「怖いよ~。怖いよ~。」と子どものように
パニックになった時がありました。
はっと、一瞬「これは!?」と、
思った瞬間自動的に在るに包まれ、
その後、強烈な至福・クリアーで満ち足りた在るに浸っていました。

何度も 在るに戻るを繰り返しましたが、
浄化が進み
何か大きなものが手放される時や
流れるようなスムーズさが起こる時は
自力で在るに戻った時よりも

何かそこでふと
起こっていることと間ができたような瞬間
自然な在る
または、自然に気づいている
ただ起こっているという立ち位置に立てた
瞬間だったように感じます。



それは、何度も在るに戻るを繰り返していたからでもありますね。


受講者
ここ1ヶ月ぐらいの長い浄化というような
一連の過去の人生に対する反省・後悔・自己嫌悪と自己否定の
マインドも、毛布の恐怖の後、
在るに戻ってしまったら、全く全く何も問題ない。
むしろすべてが最善のプロセスだと感じました。
本当に 現れはどちらでもいいのだと感じました。



本当に在るの立ち位置に立つと、自然にそのように感じられますね。


受講者
そして、1ヶ月の間の浄化のプロセスも
この過去何十年も向き合わずにいた
実存の恐怖との出会いのために必要だったような
ありがたさ、感謝を感じています。

感情としても、多彩で
在るに在れば、至福、愛、平和、慈愛、よろこびを深く味わっていましたが、
マインドが主体の時は、
パニックになるような恐怖に加え、
寂しさや退屈感も非常に強く感じていました。

在るに戻れない時も多々あり
巻きこまれながら、アマゾンでやたらと本を注文してみたり
友人にメールしてみたり(寂しさを紛らわすため)
マインドからの行動してるなぁと気づきつつしておりました。
巻きこまれずに在るに戻れれば一番良いのでしょうが・・・



まずは、今の在るがままを受容(単に気づいているだけもOKです。)、その状態と他の別の状態を比較する必要はありません。
(「今はそうである」がいいですね。)

上に書かれてあるような

「 本当に 現れはどちらでもいいのだと感じました。」

という態度であれば、パターンが起こっていようがそのままで在ることができますね。


受講者
それを、責めずに許せるようになったところは
今回はこれでいいかな?と思っています。



そうですね。
そして、在る度がより深まってくると、「これでいいかな?」ではなく、とても自然な「これでいい」、ただ「これでいい」になってきます。

(この「これでいい」は、マインドレベルにあるものではなく、在るのレベルの絶対肯定、在るもの、起こるものすべてを支えている在るの在り方そのもの、在るそのもののことを言っています。
唯一の実在は、在るです。
その在るそのものが、様々な姿形をとって現れています。
そのひとつが、「これでいい」です。
その理解がある者(すべてが在るである。在るだけが在る。)から起こる「これでいい」には、実在そのものの力(愛)があります。)


受講者
セッション後、
クリアさが増したような感覚があります。

さっき マインドが起こった時
起こっているマインドにただ気づいているという
感覚でいられました。
ただ気づいているだけだと、
それはとても綺麗にすぅ~と流れていきます。

基本の「在るに戻る」を
丁寧にひたすら続けていきたいと思いますが、
気づいていてそのままにしておける。
そんなふうに在ることも少しずつできるようになれたらいいなと感じました。



そうですね。
在ることで自然にそうなっていきます。
なぜなら、在るはいつもそのように在りますので。


**************



感想の補足ありがとうございました。


受講者
昨晩感想をお送りさせていただいたのですが、

今朝夢をみてもやもやが起こっていて、
昨晩、自分の書いた感想を読みなおしていました。

それで、ふと、

在るに戻る
在る

を第一にしたい。
在ることがすべて

と思いながらも、

在ることで「浄化が進む」「必要なことが癒される」(=よくなる)
と思っていたことに気づきました。



それは、理解として持っていてよろしいですが、そのことに対する(マインドの)期待が強いと、純度への影響があるのと、立ち位置が違ってきますね。

もちろん、マインドが純化、成熟するまでは、そのようなマインドがあるのも自然ですし、多くの方のスタート地点の立ち位置は、そこからですから、そこから徐々にシフトしていければいいですね。


受講者
癒されようが、癒されまいが、
マインドが消えようが、心地よくなかろうが
スムーズだろうが、なかろうが・・・

在ることがすべてなんですよね。



そうですね。

先に頂いた感想の

「巻きこまれずに在るに戻れれば一番良いのでしょうが・・・」

この辺りも、結構マインドが働いていますね。

また、

「それを、責めずに許せるようになったところは
今回はこれでいいかな?と思っています。」

ここにも、マインドがそれなりに入っているのがお分かりになると思います。

(それがいい悪いではなく、ただそのようにクリアに認識できればOKです。
マインドが純化、成熟していく上で、マインド的な納得や理解も助けになることがあります。
ただ、その役割は、進んでいくにしたがって、徐々に小さなものとなっていきます。
徐々に「ただそうである」になっていきます。)

そして、すぐにもやもやが起こり、そこから在るの本来の在り方に戻れたことは素晴らしいですね。

進んでくると、そのようにマインドが働いても、戻るのが早くなります。

書かれたように、

「癒されようが、癒されまいが、
マインドが消えようが、心地よくなかろうが
スムーズだろうが、なかろうが・・・

在ることがすべてなんですよね。」

ここに落ち着ければ、現われから自由です。
(現われを超えているとも表現できます。)
在るは、現われから自由です。
現われに依存せず、捉われず、現われから完全に自由だからこそ、真の意味で、現われを含んだすべてに、同等の愛、本質的な愛、トータルな愛が自然に注がれる、ということが起こります。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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