存在の絶対基準。在ることが愛

受講者
「瞑想」

不可解な出来事が浮かぶ

虐待の光景が浮かぶ


不可解な出来事や
虐待に 愛を見いだせない

どうしても愛とは 思えない



無空さんに
それを伝え、全てが愛だ。とは、やはり思えない部分があります。
一元性にいけないのは、ひっかかりが、どこかに多分あるのでしょう。と、話しました。



「ハートの共鳴」


悲しい


ただ ただ
悲しい



悲しいは
悲しいままに



無空さんに

悲しい が 在りました。と、透明に答えました。



無空さんは、

虐待という言葉(表現)には、マインドがすでに入っている。と話されました。



そこには、現われの世界での意味・内容・中身があり、そのレベルで(その立ち位置、視点から)、それを愛と見れないのはとても自然なことです。

(そこをマインドで、強引にすべてを愛だと見ようとしても無理があります。)

また、すべてが愛であるというときの愛は、マインドからの視点ではなく、現象も含め、その現象の中身、内容、意味を超えて、ただそれが“存在している”、“在る”というところ(本質)に焦点が当たっているときに感じられるものです。

それは在るという愛、存在の愛です。
それは、現象としても現われながら、現象の中身、内容、意味を超えて、すべての現象の基盤、本質として在り、すべての現象を例外なく、何一つ排除することなく同等に支えている愛、ただすべての現象を起こらしめている愛です。

それがなければ、何一つ起こりえません。
それが在るから、すべての現象が起こることが可能になっています。
それは、何かだけを起こして、何かだけを起こさないという愛ではありません。
それは、特定の何かだけを支え、特定の何かだけを支えないという愛ではありません。
それは、すべてを支え、すべてを起こらしめる愛です。

その愛は、マインドで捉えられることのできるものではありません。
その愛は、善悪という二元性を超えています。
在るという愛を限定、特定、定義することは不可能です。

しかし、それであることはまったく可能です。
本質的には、すべての存在がすでにそれです。
すべての存在が愛そのものです。
存在するものは愛です。
在るが愛です。

それが、存在の絶対基準です。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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