浄化されるべきものがまとう姿形は何でもよく、適当に身近な題材を持ってきて、形を取ることも多い

受講者
前回のセッションは、最近ではめずらしく多くマインド、雑念が出てきました。
きっかけは手の痛み(常に痛いわけではないのですが)による違和感が、セッション中なぜか気になり始め、「集中できない」「どうしてこれぐらいのことがこんなに気になるんだろう」「いつものセッションと違う」「せっかくのセッションの機会なのに」・・・などと連鎖的にマインドが話しはじめました。



それは日常でも起こりますが、特に共鳴中や瞑想中に起こるマインド、雑念は、浄化的なものだと理解されておくとよろしいですね。
共鳴中や瞑想中に、浄化されるべきものが、なんらかの形をとって現れてくることがありますが、それ(浄化されるべきもの)がまとう姿形は何でもよく、適当に身近な題材を持ってきて、形を取ることも多いです。

今回で言えば、「手の痛みによる違和感」がきっかけに使われましたね。
浄化されるべきものが浮上して形をとるということが起こらないタイミングでの共鳴時には、同じように手の痛みの違和感があったとしても、まったく気にならないということが起こります。

ですから、今回のマインドの連鎖は、手の痛みの違和感のせいではなく、

(よりトータルに見れば、セッション時に手の痛みの違和感があったということ、そのことも含めひとつの全体として浄化が起こるときであったとも言えます。
全体であるひとつの中で、離れているもの、関係していないものは何もありません。
部分だけがその他のものと関係なく部分的に動いているように見えますが、常に全体は不動不変のまま、動くときは全体そのものがひとつとして動きます。)

ただそのように起こった。今回は、ただそうであった。それが起こるタイミングであった、ということです。


受講者
この頃は静かな無の感覚のセッションが定着してきたと思っていたので、自分でもこんなこともあるんだなあと思いましたが、それらに気づくようにして過ごしていました。



そのくらいの感じがいいですね。
クリアになってくると、静かな感じのときが多くなる傾向はありますが、より深いところからの浄化が起こってきたときには、やはり今回のようにマインドが賑やかになることもあります。
そのようなプロセスの理解も持って、今回のようにただ気づいて在りましょう。


受講者
いろいろな出来事、マインドが現れると思いますが、すべて気づくという態度を継続していこうと再認識しました。



そうですね。
その再認識がとても大切です。
それが、ただ在る、ただ気づいて在る、ただ愛であるという在り方、姿勢、態度をより確かなものにしていきます。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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