現われを超えてはじめて、真の意味で、源の視点、そして、トータルな視点から現われを大切にすることができる

受講者
昨日はセッションをありがとうございました。
最初に、いくつか報告をしました。
静寂が、日々の暮らしにだんだんと浸透しているとお話ししました。



源(在る・静寂)の継続的な活性化で、自然に現われへと源の質が浸透していきます。


受講者
また、片づけや読書など、今までどうにも集中できなかったことに落ち着いて取り組めるようになったとお伝えしました。
これらのことは、私にとっては、非常に大きなことです。
そもそも、悟りや目覚めということは当初の私の目的?にはありませんでした。
日常を少しでも楽に暮らしたいというのが願いでした。
ところがその途上にどういうわけか真我とか共鳴があり、なんだかわからないうちに、そっちがメインになっていました。



「なんだかわからないうちに」というのがいいですね。
本質(真の自己)、全体(愛)が働くときは、そのように感じることもありますね。


受講者
いま振り返ってみると、ものすごく遠回りしたように見えて、実は、一直線に日常が楽になる方向へ進んでいたのだなぁと思います^^



愛(本質、全体)はそのように働きます。
本質的、トータルな改善には、本質、全体が働くこと(在ること)が必要です。
トータルに見ると、それが一番早く、そしてまた、根本的な変容をもたらします。

現われの(あるひとつの願いの)ために、というマインドが出てくることは自然なことですが、そこからも自由であればあるほど、結果は、より自然で、よりトータルで(ひとつの願いだけでなく)、より根本的なものとなります。
源と現われはそういう関係にあります。
それを知っている人は、花(現われ)がしおれているときに、花を世話するのではなく、根(源)に水をやります。
そうすると、花だけでなく、茎や葉っぱなど他の部分も含めた全体が元気になります。
それがトータルということです。
それが真に花や花を含めた全体を大切にするということです。
花を元気にしたいという思いが起こっていることにはただ気づいていて(気づいていることは愛です。)、かつ、それに捉われず、ただ(純粋に)根に水をやることが大切です。
そういう意味でも、超えていきましょう。と言っています。
それはけっして現われをおろそかにするということではありません。
それは、現われのひとつひとつを大切にしながら、かつ、それに捉われないという在り方です。
現われを超えてはじめて(捉われないようになってはじめて)、真の意味で、源の視点、そして、トータルな視点から現われを大切にすることができます。
現われを現われとして見ると同時に、現われもまた源そのものでもあるという見方ができるようになります。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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