真我は真我に呼ばれ、真我は真我と響き合い、そのトータルな受容、適切さ、安全の中で、それ自身を再認識し、それ自身を現わしていく

受講者
いろいろとお話が起こりました。
とてもとても、この現われが起こる今でした。
少しだけ言葉に現わしてみます。

前回の無空さんからの長い長い微細な愛の返信。
まだまだ浸透しきれていないとは思いますが、
それは、自然な流れに、そのままに。
長く長く、ゆっくりと大切に。



それがいいですね。


受講者
真我と真我のリアリティ、そして現われ。

何から言葉にしていいのでしょうか・・
本当のところは、言葉にならないところをお伝えいたしました。



はい。
そしてそこは、伝える、伝えないというところをも超えている、ということも確認できましたね。


受講者
人生の上で、ずっとずっと横に置いていた控えていたことを
しばらくの流れで、セッションで何回かにわけて、自然に質問・確認が起こる。



もっとも大切なものだからこそ、それが分かるからこそ、ときがくるまで大切にされてきたんですね。

フーマンの「恩寵の扉が開くまで」の中からの言葉も同じようにその大切さを示しています。

【あなたがどうして「神聖さ」を感じるのか、それは隠されている。
それを一般化してしまったら、それはいわゆる宗教となってしまう。
しかし、本当のところそれを一般化する事は出来ない。
~省略~

私のワークも同じだ。
ある特定の人々の為のもので一般化出来ない。
ある種の物事は、ある特定の人々の間で止めておくべきだ。
これは「純粋」なものだから、「純粋」なままに止めておく。
リトリートでも語ったが、
ある種の物事は聖なる次元に属するものだから
神聖(Sacred)さは秘密(Secret)にしておきなさい。
徐々に広げていけば良い。
そうしないと、純粋性を失う。】


受講者
真我の質を受け取りながら、決して平坦でない人生を生きてきて
大きな愛でしっかりと土台を支えていただいていたこと。



在る(真我・愛)は、そのように存在そのものとしてずっと支えてきてくれていますね。


受講者
真我の質は知っていても、理解が足りない。思考ではわからない。
伝わらないのも知っているし、時期がこないと現わせないのも知っている。

マインドで暴れたいのに、質・在り方・姿勢を知っている。
全く理解されない、されないのも知っている。



その本当に微細なところをトータルに知っているのは、全体的に開かれてきた今でさえ、ごくわずかかもしれませんね。


受講者
少し超えたような感覚ゆえ、どこにも現わせず・また思考の世界では
反対に危険も感じ、



本当に純粋で、深遠で微細な真実は、多くの方には理解されず、そして、理解しないマインドがとる態度は、それを敵視したり、排除しようとしたりすることがあります。
そういう意味で、危険と感じることは自然であり、自らの身を守る、そして、真実を守る(それを真に望む人、聞く準備ができた人にだけ伝えること)という意味でも必要なことでもありますね。

共鳴が様々なところで取り入れられたりしてきていますが、それはそれで自然な流れとしてよろしいでしょう。
多くの方に理解されやすく、また多くの方にとって有用な部分が広がっていくのはよろしいと思います。

ただフーマンも言っているように、どうしても一般化できない部分があります。
本当に純粋なもの、ある意味、聖なる次元に属するもの。
それは、本当に一人ずつです。

それも準備ができたときにしかそれを受け取ること、それに開かれることは起こりません。

成熟し、準備をすすめるという点で、在り方、姿勢というものがとても大切です。


受講者
秘めておく・控えめさもあり
けれども小さな私には大きすぎて、とてもしんどくもあったこと。



それほどのものに、小さい頃から開かれていたということでもありますね。


受講者
ずっと秘めていたこと。



そうです。
それはそれを知る人にだけ秘められているもの。
単なる言葉、あるいはマインドのレベルではどうしても伝わらないもの。
本当に純粋でなければトータルには伝わらないもの。
それを知る者同士、
あるいは、それを知る者と、それを知る準備ができた者の間でのみ、開かれるもの。
そして、それを現わす準備ができた者、または、それを現わすことができる者と、それを知り、それを十分に受け取れる受け手があってはじめて現わされるもの。

(無空庵のブログの内容が、スタート当初に比べ、より微細なものになってきているのは、セッションを受けられている皆さんが、どんどん進まれ、より微細になってきているからでもありますね。)


受講者
それを、やっとやっと、安心・安全なところで現わすことが起きる。
自然という受け取り手があって話すことが、自然に起きました。


無空さんからの言葉 「やっと呼吸ができたような感じ」

まさにそうなのです。(だからといって、何かが変わるわけではないのですが)


適切・受容・トータル   

それは、愛の深さだけでは理解だけでなく、

真我・自然だからなのです。


真我にしか、自然でしか、なせないところ。



「在る(真我)にいくら深く確立していてもだめなのです。真我でなければ・・・」というあなたとして現われている真我そのものから起こった言葉がとても印象に残っています。

また全体にとってより微細なところが開かれ、明確になってきたようですね。

それそのものでなければ、

はじめからそうであるものでなければ、

トータルに、真の自然、真の適切、真の安全ではないということですね。


受講者
真我にしか・・・。 この上ない適切・安全。

「安全」ということを。愛されていること。愛であること。既にそうであること。



それが・・・真我の本性と共鳴の真髄。



真我(愛)は真我(愛)に呼ばれ、

真我(愛)は真我(愛)と響き合い、

そのトータルな受容、適切さ、安全の中で、

それ自身(愛)を再認識し、それ自身(愛)を現わしていきます。

それ自身(愛)を無限に知り、それ自身(愛)を無限に表現していきます。

それが真我の本性であり、それが真我の喜びです。


受講者
無空庵のセッションのトータルさ・安全さ・愛。

真我にしかです。

一を知って、十を知る。

現わすなら幾通りも変幻自在・無限。

このこともお伝えできました。

静かに・透明な涙が流れ落ちました。



それは、真我(愛)そのものからの涙です。


受講者
これが精一杯の活字の表現です。



これを超えて、

今は、感想が起こりません。



もう、ただ在るだけ。

ただそれで在るだけですね。


受講者
(これだけでは、お話の流れは伝わらないと思います。
どうぞ、どうか補足の方もお願いいたします)


本当にありがたく・・・

ありがとうございました。



こちらこそありがとうございました。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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