人間は、全体性そのものの具現。その可能性は無限大

受講者
日常では、

ただそれであり、ただそうであるだけです。

現われを完全に超えていて、そして、完全に包含している感覚があります。

すべては、いつも新鮮であり、瞬間瞬間、生の喜びに溢れています。

ただただ美しく、存在は奇跡そのものだと感じます。

以前とは、全く違う立ち位置。

「ああ、ここなんだな。」という実感が起こりました。

今までの感想では、この立ち位置の一部を表現していただけだった、と感じます。



その立ち位置の違いは、たったの1ミリだったかもしれませんが、

真にその立ち位置に立てたとき、それはまったく違うものと感じられます。

その違いは計り知れません。

そのために、ブログ等でも、真我を知っている“個人”から、

個人を知っている“真我”への主体のシフト(主体の逆転、主従の逆転)、

主体、そして、存在全体の純化、純度の大切さ等について書いています。


受講者
今日のセッションでは、無空さんに報告をし始めてすぐに、思わず、涙が溢れ出てきました。

そして、ただただ透明な涙が溢れ出ていました。



真実の涙、在るの喜びの涙ですね。


受講者
無空さんから、「これでいい」も超えている、という言葉が起こりましたが、本当にそう感じます。

「これでいい」すら、微細な微細な制限のように感じます。



「これでいい」は、それ(在る・真我)自身の全肯定でありますが、

在ることが奇跡、存在そのものが奇跡という視点からは、

それは、肯定を超えているという言い方ができますね。

奇跡は、肯定を超えています。

(同時に、「これでいい」は、奇跡をも包み込んでいるとも言えますね。)

それは、それそのものでありながら、同時に、それ自身を超えています。

それは、それ自身が持つ、奇跡性、超越性ゆえに、

それそのものでありながら、それ自身を超え、それ自身を無限に更新していきます。


受講者
人間として生きてきて、このような素晴らしい体験を味わうことができるのですね。

このような視点に立つことができるのですね。



そうですね。

それは、もはや(既存の)人間の視点ではないという言い方もできますし、進化・成熟した人間の視点という言い方もできるかもしれませんね。

いずれにせよ、それは人間として体験可能です。

あるいは、人間として現れているから可能だという言い方もできるかもしれません。

人間として現われている中に、現れていないもの(主体であるそれ、人間を超えているそれ)、そして、もっとも精妙な現われからもっとも粗雑な現われまでのすべてが含まれています。

すべてがそこに在ります。

人間は、全体性そのものの具現です。

その可能性は無限大です。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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