すべてはすでに許されている

受講者
立場なしの共鳴
現われは許されているという言葉がありますが、それは限界がある言葉と思いました
現われは、当然・普通であるんですね。



そうですね。
それは、在るの自然本性(愛)により、ただ現われてきます。
それは、在るそのものの中に備わっていて、在るとは切っても切り離せないもの、在るの在るがままのもうひとつの姿とも言えます。

現われがあることの自然さ、当然さ、普通さは、「在る」、あるいは、「ただそうである」という中にすでに含まれています。

そして、その現われについての「すべては許されている」という言葉は、無限にある中のひとつの視点から出た言葉ということができますね。

それをもう少し本質的な表現に近づけてみることを試みるのであれば、

「すべてはすでに許されている」

「許されているから現われてくる」

さらには、

「現われる前から許されている」

「はじめからそうである」

「原初の状態、在るという存在性そのもの、無限の可能性そのものとして存在しているという事実においてすでに許されている」

「それ自身が存在しているということにおいてすでに許されている」

「許される前から許されている」

「存在自体が許しそのものである」

というような表現もできるかもしれません。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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