多くの場合、「手放す」、「委ねる」という言葉は、個人の立ち位置にあるときに使われることが多い

受講者
このまんま、在るにすべてを委ねます。
本当の自分の人生を送ります(笑)



在るそのものとしてあり、個人が在るに委ねるのではなく、

(多くの場合、「手放す」、「委ねる」という言葉は、個人の立ち位置にあるときに使われることが多いです。
手放し、委ねた後、在るとひとつになる、その中に溶けていくというような感じになればいいですが、そうでなければ、真の解放、個人からの解放は起こりません。(個人の立ち位置にある人に対しては、状況により、「手放す」、「委ねる」というようなアドバイスも必要です。その上で、在るの方へシフトしていけるようサポートできるといいですね。)
個人として手放したり、委ねたとき、その瞬間の解放感、楽になった感じ、達成感などは大きいものがあるかもしれませんが、何かを手放した個人、何かに委ねた個人はしっかり残っていることが多く、その場合は、どうしても個人が持っている一時的な問題からの解放に留まります。もちろん、それも必要であり、とても素晴らしいことではありますが、根本的解決という視点で見るのであれば、問題を作り出す根本原因である個人からの解放が必要です。
個人そのものからの解放のためには、個人が委ねる、個人が手放すのではなく、個人自体を委ねる、個人自体を手放す、
もう少し注意深く丁寧に言えば、個人自体が委ねられることが起こる、個人自体が手放されることが起こる(「個人自体を委ねる」だと、その委ねる主体も個人である可能性があります。)、
それは、本当の自分は、個人ではなく、在る(純粋意識・空・愛)そのものであると直接知ることにより、個人が落ちる、手放す、委ねるというよりは、真の自己を知ることにより、自然に落ちる(自然に落ちるのであり、落とす、落とそうとするのもまた個人です。ですから、実践では「ただ」(さらには、「ただ」の純度)という態度、姿勢がとても大事になってきます。)、という感じです。(状況、関係性等の中で、真の自己を知った後でも、成熟した個人、透明な個人は、必要により起こってきます。)

在るそのものとして、自分自身に委ねるという視点、立ち位置に在るといいですね。

自分自身に気づいていること、自分自身が在ることに気づいていることは、自覚(自らに覚醒している、それ自身に覚醒している)と言えます。
さらに、これも自覚のうちに含まれますが、自分自身が在るそのもの(同時にそれは、未知そのもの、無限そのもの、空、何者でもないもの、知られることのないものでもありますが。)であることに気づいていることは、自己理解を伴った自覚(自覚そのものの再認識)と言うことができます。
あるいはそれは、自分自身が何者であるかを知っている(悟っている)、または、特定の何者でもないこと(空・未知そのもの・存在性そのもの・愛そのもの・純粋な気づき)を知っている(悟っている)ということであり、それを生きていくことも含め、そのような視点からは、「覚悟」 という言い方もできますね。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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