識別力よりも、愛が優勢になっている状態。それが自然の在り方、在る・真我・愛の在り方

受講者
セッション中は、いろいろご報告しましたが、
セッション後、変容か浄化か、はたまたボーっとしているか・・・。
そこで思考は起こらず、静かに発酵食品の泡のような現れ、そしてただ意識に焦点が自動的に向く。

今のあるがままはそのような状態です。それを静かに観ています。
同時に気づいている意識に戻り、そして行き渡りを感じます。

無空庵の基本 「する」でなく「起こる」
認識や識別だけでなく、トータルに「起こる」を観ている。
そしてただ在るを丁寧に。



とてもいいですね。
「トータルに」というところが、とても伝わってきます。
「丁寧に」というのは、覚醒度の高さ、繊細さ等があってはじめて可能になるものであるとも言えます。
そしてそれは、一言で言えば愛、または慈愛でもありますね。


受講者
「起こる」という理解の行き渡りと、さらに「起こることはただそのままに」という言葉の背景から伝わる愛をなるほどそういうことかとなんとなく理解が起こります。

巻き込まれていたり、同一が起こっても、たいして分けていません。



分離、区別、識別というプロセスを通り、個(マインド)が主体であるところから在るが主体であるところへシフトしたとき、個(マインド)に変わって在るが主たる座についたとき、在るがより確かなものとなり定着したとき、それまで分けていたすべてが統合されていき、何ものをも分け隔てることのない視点・在り方が自然なものとなります。

(そのような在り方が自然なものとなるのは、自己理解、マインドを超えたところでの直知、覚知、ただそうであると“知っている”、それそのものによる本質的理解の力によると言えますね。)

そのとき、何事にもとらわれず(全体の必要性からとらわれるということが起こったときにも、それにとらわれない。)、巻き込まれること、マインド等との同一化が起こること等にもとらわれなくなっていきます。
それはけっして鈍くなっているのではなく、気づいているけれど、気にしない、必要なだけ気づいていながらも、ひっかからない、識別力よりも、愛(ひとつであること・全体そのものであること)が優勢になっている状態です。

そのとき、起こることは自然に起こり、流れはただ流れのままに美しく流れていきます。
それは、起こることを真に起こるがままに、流れるもの、そして、流れそのものを流れのままに、在ること、そして在るものすべてを在るがままにしておくことができている状態です。
それはとても自然で、とても美しい在り方です。
それが自然の在り方、在る・真我・愛の在り方です。
それは、真・善・美そのものです。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

初めてご訪問頂いた方へ
悟り|無空庵
お知らせ
公開・週一合同ゼロ意識共鳴
ご案内
浄化のときにはこちらへどうぞ
最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク
検索フォーム
QRコード
QR
RSSリンクの表示