真我は、すべては大丈夫であると知っていて、無限に待っている


感想ありがとうございました。
少し補足等も必要な部分もありますので、返信させて頂きます。


受講者
共鳴セッションの感想を送ります。


今回は

いろいろわいている疑問についてお聞きしました。

まだ私の中に落ちていないこともありますが

メモをとりましたので

書き写します。



私「私のパターンとして行動していく、決めて実現していく傾向が強く、

待っている、まかせるということができないということがある。



どんどん行動が起こっていくタイプの方というのはあると思います。

それに気づいていればいいですね。


受講者
ただスピリチュアルの学びをしている人の中に

『真我に意識を向けていれば、起こってくることを

ただ受け入れていけばいい』ということをいうような人がいるが、

私には本当に真我に立脚して言ってるように聞こえない場合が多い。

現実に行動して感じる感情を感じるのが嫌で

真我に意識を向けさえすればいいという逃げにつかっているような気がする

時がある。



そのような場合もあるでしょう。
それは、マインド(個人)の真我利用ですね。
マインドが主体となることで、マインドは、悟りでも、真我でも、覚醒でも何でも利用します。

ただ、みんな、はじめから真我に立脚しているわけではなく、ある意味、未成熟のマインドを抱えながら進んでいきますので、
本質である真我に焦点を当てながら、存在トータルで成熟していく
プロセスを通して、主体が個人から真我へと徐々にシフトしていく
そのような進み方を見守っていく というのが、無空庵のスタンスであり、真我・在るの在り方です。

(そのための、ひとりひとりの状態、タイプに合わせた、また、プロセス等を確認しながらの個人セッションでもあります。)

困ったとき、迷ったとき、疑問に思ったときなどは、真我・在るはどう在るか、そこを基準にすると、(分かる人には)分かりやすいかもしれませんね。


受講者
それは私の意識が『個人』にあるからなのか?

真我でありながら「創造する」という立ち位置にひかれるが

それをどう思いますか?」



今のあなたの感じだと、「創造」ということに関しては、まだ個人の部分も結構強く残っているかもしれませんね。
それはそのままで結構ですから、並行して、真我へも意識を向け、真我そのものとしてある瞬間も増やしていきましょう。
すべてである真我は何ものともぶつかりません。

また、お仕事等であまりに忙しくなりますと、余裕がなくなり、無意識に働くそれまでの習慣や、集合的なマインドの方などにも巻き込まれてしまいやすくなりますから、可能な範囲で、お仕事も度を越えないよう注意されたり、休めるときはできるだけ心身を休められるようにされるとよろしいと思います。


受講者
無空さん

「真我に意識を向け、より本質を強化していくことが大事。



個々の現われに、その都度対処しながらも、
変わらない真実(変わっていくものに焦点を当て続けていると不安定なままです。)、
自然であり、トータルなもの、
すべてに浸透し、すべてをカバーするもの、すべてを包むもの、
すべての背景、すべての基盤、すべてのベースとなるものを
気づいたらそれに何度も戻る、それそのものである、ということを通して、
変わらないものではありますが、ある意味、その認識、理解、実感等において、
よりしっかりと育てていくという意識が大切です。

土台がしっかりしていれば、現われも素晴らしいものとなるでしょう。

源がしっかりしていれば、その現われであるマインドも純化、成熟し、

ハートも成熟し、どのような現われの中にも、素晴らしさを見つけることができるようになるでしょう。

そして、その感性、その理解がまた世界に反映されていくようになるでしょう。

どう在るかで、世界の見え方、感じ方が変わり、その認識、理解、自覚がまた世界に反映されていきます。

どう在るかで、そこから起こっていく創造の質等が変わってきます。

よい循環、よい流れをつくっていきましょう。

そう在りましょう。


受講者
やり過ぎる部分、やらなさ過ぎる部分が純化していく。



純化、変容という感じかもしれませんね。


受講者
どちらかにいき過ぎる傾向を純化していく。



それぞれの傾向があることは、多様性の素晴らしさですが、
それぞれの傾向はありながらも、土台、中心がしっかりしていて、
存在全体としてよりバランスがとれるようになってくるといいですね。

何事も過ぎると、どこかに不調、不具合が出てきます。


受講者
そういう傾向があるのを認めながら

本質を強くしていく。



もともとある傾向を否定したり、直そうというところにエネルギーを注ぐのではなく、
そのような傾向があるということに“ただ気づいていて”、
(真に“ただ気づいている”ことは、対象に対して、自然でトータルな影響力、
癒し、純化力、変容力、実現力、統合力等を持ちます。)
そのまま真実に対する理解をトータルに深めていくことが大切です。

(その理解が深まっていく過程で、もっている傾向は徐々に純化、成熟、バランスのとれたものになっていきますが、少しずつですので、その傾向の方に焦点が当たりやすく、それがよく見えるあなたから見れば、プロセスの途上にある方があまり変わっていないと見えることもあるかもしれません。
ですが、真摯な姿勢で真我に意識を向け続け、それそのものであることを繰り返していけば、傾向は同じでも、それは弱くなっていきますし、その濃度は確実に薄くなっていきます。
そして、いずれ真実、普遍的な本質の方が優位に立つようになります。
また、その傾向は純化、成熟し、真実を歪めたり、覆い隠すようなものではなく、真実の素晴らしき表現をサポートするようになることもあります。
はじめの方に、「待っていることができない」、とも書かれてありますが、真我・在るは、無限の愛で、すべてを見守り、無限に待っています。
それは、信頼して見守っている、信頼して待っているよりもさらに強く、確かなものである、知って見守っている、知って待っている、です。

真我は、すべては大丈夫であると知っていて、永遠に見守っています。

真我は、すべては大丈夫であると知っていて、無限に待っています。

その絶対的な「見守り」、その絶対的な「待ち」は、見守られている者、待ち続けてもらっている者に対しての最大のサポートになります。

真実を深く知っている者は、真に見守ることができ、真に待つことができます。
無限の愛がそれを可能にします。

行動していく、決めて実現していくという傾向に加え、真我・在るに意識を向け、それそのものであることで、より真我の「見守る」、「待つ」という質も、自然に養われていくようだとさらに素晴らしいですね。)


受講者
真我に意識を向けているからすべてがうまくいくということではない。



ここでの「うまくいく」は、個人の視点でということです。

真我の視点からは、ある意味、すべてうまくいっています。

多様性の世界の中で、ひとりひとりの都合での「うまくいく」や、「善悪」は、必ずしも一致、調和しません。
多様性の世界では、それぞれの思惑が複雑に絡み合っています。
さらには、集合的なマインドの力や、時代の流れ、より深くからは、真我・全体そのものの必要性・必然性から、ひとりが思う「うまくいく」ではないことが起こる場合もあります。

部分の力は限られていて、全体にはかないません。
賢明なのは、個人の思いに気づきながらも(個人の思いも包含しながらも)、全体の立ち位置に立つということです。
立ち位置が変われば、見え方、感じ方も変わってきます。


受講者
その意識にマインドが含まれている場合もあり

どのくらいの純度で向けているのかで変わってくる。

問題解決にエネルギーをそそぐと、進歩が遅くなる。



もちろんそれが必要な場合には、問題解決にエネルギーが注がれることが起こることがあり、それがベストな場合もあります。
ただ、現れている個々の問題の解決にばかり焦点が当たっていて、存在全体の成長を促し、ひいては根本的な問題解決にもなる真我・在るへ焦点を当てることがおろそかになると、本質を中心とした存在全体での進歩という点で、ある意味、遅くなるという視点がひとつあります。
(もちろん、早い遅いに、良い悪いもありません。)


受講者
真我に焦点を当てながら、問題の部分も確認することが大事。

無空庵では、社会的なこと、現実的なことは、そのレベルでやってくださいという

姿勢でいる。



そのレベルには、そのレベルに必要なすべてがあります(真我はすべてに浸透しています。)

社会も現象現実も、究極的には真我の現われであり、真我そのものでもありますので、理解が深まり、自然に真我が実現されている状態(それはけっして特別な状態ではありません。最も自然で、最も普通です。野に咲く花と同じくらい自然、自然と同じくらい自然です。)では、意図せずとも、あえて真我の理解を持ちこまずとも、それが自然なものとして、普段の在り方などを通して、日常や社会の中に現われ出ていきます。
また、理解が深まれば、自然に日常や社会の中に、真実が浸透しているのが見えるようになってきます。

ですが、そうなる前の段階では、それぞれの理解の深さ、純度、存在全体の成熟度合い、あるいは、立ち位置等もみな違います。

トータルな理解がまだ不十分で整理されておらず、それ(真我・在る)であることが自然なものとなっていない段階では、社会や(現象)現実世界に、自身の知る真我的な視点や理解をどうしてもマインドで持ち込みがちで、その結果、それは偏ったものになったり、一面的なものになってしまいがちです。
そのため、そこには不調和やアンバランス、不具合や停滞、衝突、葛藤等様々な悩みや問題が起こる可能性が出てきてしまいます。

社会的なこと、(現象)現実的なことは、そのレベルでしっかりやってくださいという姿勢でいるのは、そのようなことを防ぐため、

また、これは、やはり個人が真我に依存したり、真我を利用したりすることを防ぐため、
(それは個人の成熟、個人の純化にもつながります。)
真我に意識を向けているから、すべてうまくいく、なんとかなる、みたいな安易な考え(これは個人・マインドです。)に陥らないようにするため、また、真我をマインドの逃げ場、隠れ蓑にしないため(一時的にはそれが必要な場合もあるかもしれませんが)ということもあります。

真我に意識を向けているから、個人にとって、現われの世界ですべてが自動的にうまく運んでいくというわけではありません。


受講者
無空庵の視点では、真我に意識を向けるからいいことが起こるではない。



(個人にとって都合の)いいことを起こすため、
(さらには、“個人が思う”“全体にとっていいこと”、“個人が全体にとってよかれと思うこと”を起こすため)、
外側の世界を変えるための手段として、真我に意識を向けたり、真我そのものであったりするのではなく、
(その体験もまた、そのプロセスを通り、その結果を受け取る事により、マインドの成熟につながりますが。)

ただ真我そのもの、真の自己、自分自身で在ること。
ただ在るために在ること。
それ自身を他の目的のために使わないこと。
それ自身(すべて)は、ただそれ自身(すべて)のためだけに在ります。
それが純粋性です。
その純粋性が、ただ現われへと反映されていくだけです。

99%の真実は、多くの人のマインドとハートに心地よく響き、たくさんの方に受け容れられます。
それは、全体のプロセスの中で、ある意味必要なことでもあるとも言えます。
そしてそれは100%の真実を知る方の方便として使われることもあるでしょう。
また、多様性の中では様々な在り方があって自然です。

そして、そのような中のひとつの在り方として、
ただ在るために在る。
そのような在り方ができる方は、たとえごくわずかな人たちであっても、そして、誰に知られずとも、
深いレベルから、全体にとって大きな愛と平和の影響を及ぼし、
その存在そのものが、全体にとって大きな福音、大きな祝福となるでしょう。
純度100%の力(愛)は計り知れません。
それは、純度99%の力をいくら足してもかけても、到底及ぶものではありません。


受講者
真我に確立しているとこだわりがなくなるのは確か。

自分が考えることもクリアーになってくる。

現われに関しては、個人がこうしたいというのと、

真我のレベルからいいものとは完全に一致しない」



部分、有限であるもの(個人)と、全体、無限、永遠であるもの(真我)との視点は、必ずしもいつも一致するわけではありません。

ですが、全体、無限、永遠に立脚することで、部分、有限を栄光化することはできます。
主従の関係が真であれば、源と現われは、素晴らしきひとつ、素晴らしきすべてとなります。
全体、無限、永遠の立ち位置に立てば、各部分(それも全体そのものでもありますが。)は、全体の素晴らしき現われ、美しき輝き、尊き光となります。


受講者
私「私は目標、ビジョンを見て、それを実現するというのが

得意で、それをやってきました。



「私は~をやってきた」という認識、感覚、記憶は個人のものですが、それと同時に、目標、ビジョンを見て、それを実現するということが起こってきていた、という真我からの視点も持てるようになるといいですね。


受講者
しかしそれは個人から発する目標であり、それを実現したいという思いは

ただ見ていればいいのか?」



ここに書かれてある「ただ見ていればいいのか?」という言葉の響きから感じられるものに関しまして。

「行動していく、決めて実現していく傾向が強く、待っている、まかせるということができない」というあなたにとって、ただ気づいている(私からは「ただ見ている」という表現より、「ただ気づいている」、という表現の方が多く起こってきます。)、というのは、とても消極的なもののように思われるかもしれません。

ですが、ただ気づいていることの深みは無限です。

そしてそれは、けっして消極的なものではありません。

気づいていることは、愛です。

それは、許しであり、肯定であり、受容であり、祝福です。

それは、自分自身への愛であり、自分自身の現われであるすべてに対する絶対的な愛です。

ただ気づいていることの実践を繰り返していく中で、それをより深く知っていきましょう。


受講者
無空さん

「目標、ビジョンを見るというのはオッケー。

同時に真我に焦点を当てる。

『在る』はそのためだけに『在る』」



在るは、在ることがすべてです。
在るは、在ることで幸せであり、
在ることで満ち足りています。

その上で、目標を持ち、それを達成するということが
軽やかに楽しまれるといいですね。


受講者
私「ビジョンを見て、真我に意識を向けるのは

『個人』が『真我』を利用することにはならないのか?」



ビジョンを見ること、見るということが起こること。

真我に意識を向けること、向けるということが起こること。

これらをまったく別々に捉えられるとよろしいですね。

両者をリンクさせないこと。

それぞれは、それぞれが単独ですべてを含み、

ただそれぞれのためだけに、それぞれが独立して存在している。

それぞれがそれ自体で完結している。

起こってきている、という理解であると利用していることにはなりません。

(もちろん、すべてはひとつであり、自然な一連の流れもまた
ひとつであるものそのものでもありますが、
そこにマインドを介入させず、その流れを純粋なままにしておくことが大切です。)


受講者
無空さん

「真我がなんとかしてくれるだろう、

真我に意識を向けていればうまくいくだろう、という思いがなければいい。



真我に意識を向けるときは、ただ真我に意識を向けること。

何かを期待して真我に意識を向けるのではなく、他の何ものともリンクさせず、

ただ真我に意識を向けることが大事。

その純度の高さが大切です。


受講者
個人が真我を利用していることにはならない。

自然に真我がサポートしてくれることはあるだろうが。

マインドスピリチュアルで、真我がなんとかしてくれるだろうと

怠惰の方にいくのはダメ。

『自分がやっている』という感じが個人体験。

その『自分』がどんどん落ちていく」



「自分が」という感じや、「する」、「やっている」という感じが
真我に意識を向けること、真我そのものであることを繰り返していくことで、
どんどん透明に、どんどん軽やかになっていくといいですね。


受講者


「私の見ているビジョンは『個人』から出ているものではないのか?」



無空さん

「個人から出てくるビジョンも目標も、真我から出ている。



真我から出て、個人を通って、という見方ができます。
その個人ができるだけ透明であるといいですね。


受講者
理解の上に立てば、個人感覚も問題ではなくなる。

個人感覚がなくなることはない。



必要に応じて、起こってきます。
個人感覚がないときも、もちろんあります。
よく観察すれば、その方が多いと思います。
ただ、マインドでときどき起こってくる個人感覚等をつなぎ合わせて、継続するひとりの「私」を作り上げています。

(個人感覚がないときがあっても、私は個人である、私は人間である等の観念、理解、また、習慣は継続して働いていて、その影響を及ぼし続けているとも言えます。
ですから、いちいち「自分は人間である」と思い出したり、意識したりする必要なく、人間としてある意味、うまくやれています。
そしてそれは、真我そのものである直接体験を重ねることによって、本当の自分は真我であるという自己理解、自己認識、自覚が深まれば、意識せずとも、その理解の力が自動的に働く、と言っていることと同じです。
その深い理解に在れば、その方からの言葉は真我からの言葉となり、その方の行動は、真我から直接起こる行動となります。
その方から起こるすべては、真我のクオリティを持つようになります。)


受講者
それもまた真我。



個のまま真我などとも言っています。

それは、個人と真我が真に統合された状態とも言えます。

色即是空という言葉もありますね。


受講者
現われの世界では、目標、ビジョンを見ながら

真我に意識を向けるのでいい。



仕事モード(マインドモード)と真我モードと別々のものと割り切って、行っていくといいですね。

真我実現が第一にあり、それに最もエネルギーが注がれていれば、やがて真我が優位となり、それは自然にマインドを変容させ、マインドは自然に統合されていくでしょう。

仕事があまりに忙しく、真我に意識を向けることすらできない、という状況ですと、その歩みはとてもゆっくりとしたものになるかもしれません。

(それも必要なプロセスであれば、全体の成熟は進みます。)

状況により真我に意識を向ける時間は少なくてもかまいませんので、その質、その純度を上げていきましょう。
また、とても疲れているときは、リアルで明確な実感がなくてもかまいません。
とにかく、それに意識を向けることをただ続けましょう。
そのような実践の中で、真我の在り方、姿勢というものが徐々に養われていきます。


受講者
個人のままやっていていい。

真我はどんどん強化されていく。



仕事は個人(マインド)モードでかまいません。

同時に、仕事以外のときに、真我に意識を向け、真我をより確かなものにしていきましょう。

真我がより主たるものになってくるにつれ、個は自然に統合されていきます。


受講者
その人その人のタイプがあり

このアドバイスが万人にいいということではない」



はい、これは、お仕事を頑張っていられて、

「目標、ビジョンを見て、それを実現するというのが得意で、それをやってきました」
というあなたに対する個別のアドバイスということになります。

あなたには、現在のところ、お仕事に関しては、そのままの得意のスタイルで継続していただいて、
お仕事以外のときに、それとはまったく別ものとして、真我に意識を向けること、真我そのものであることの実践を継続されていかれるとよろしいと思います。

そうしていると、真我の質が、日常全体に徐々に浸透していき、やがて、統合が起こってくるようになるでしょう。


受講者
ありがとうございます。

真我に立脚しながら

創造主としての自分でいたい、そのことが明確になりました。



真我に焦点を当てる、真我そのものであるというところを自覚しながら、創造主としてもある自分が純化されていくのを見ていてください。

ホ・オポノポノの本の中に、3つのステージについて書かれてあります。

【人生には少なくとも三つのステージがあり、始まりは「犠牲者」、次に人生の「創造者」へ移り、運がよければ「神の僕」として終わりを迎える。】


ここでは、「神の僕」のステージとありますが、創造者(創造主)を超えたところということで、大きく「真我」のステージと見ることもできます。



プロセスを通ってきて、真我のステージへとシフトしたからといって、それまでのものが失われるわけではありません。
それは経験、理解として残っています。
(習慣も残るものは残ります。)

ですから、マインドも理解できますし、巻き込まれている状態も分かります。
また、そのステージでの喜び、素晴らしさも分かります。
それぞれのプロセスがどのようなものか、また、最後のステージへ移行していく過程での、覚醒初期に陥りやすい罠や、悟後の修行の途上で起こってくる様々なマインドの抵抗や誘惑、浄化等も分かります。

プロセスを通ってきて、すべてを大きく見渡せるから、また未知なるものは未知であることも知っているから、それぞれのプロセスにある方へのサポートが可能です。
(歩みを始めたばかりの人やプロセスの途上にある人へのはげましや気づきの確認、また、ときには、例えば、かなりよいところまで来ていて、そこで巧妙なマインドにひっかからないよう、必要やタイプ等に応じて、あえて厳しいことを言ったり、まだまだプロセスの途上であり、謙虚であるよう伝えたりするということなども起こることがあります。)

すべてのプロセスを通り、それぞれの経験が理解として残っているからこそ、すべての立ち位置、すべての視点を持つことができます。

それが、あなたが望む、真我であり、そして、創造主であるという在り方を可能にします。

それは、実際にプロセスを通ってきた(生きてきた)理解の力によります。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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