「する」ではなく、「起こっている」という立ち位置にあることが大切

受講者
ものすごい忙しさの中で

消耗していて

セッションは意識がマインドにいくことが多かったです。

ただ真我はそこにありました。

ただただ眠く、体が休養を必要としていることをマジマジと感じました。

共鳴を始めたころに戻ってしまったような感覚の中で

共鳴を続けても今と何も変わらないのではないかという

思いも出てきました。



よく出てくるマインドですね。

やはり今はあまりに忙しすぎる状況だと思います。

肉体にも休息を与える必要がありますね。


受講者
私の中で「やりたいこと」があり、

それができたら喜んだり

できなかったら落ちたり

頭では意識のあらわれとわかっていることに

左右されていることをお話ししました。

それもただ「在る」と見ていればいいのだということはわかっているのですが。

無空さんからは、どんなに疲れている時でも

真我は疲れていないという言葉にハッとしました。



そんなまだ迷いの中にいる今日、

ある人のブログを読んで

今の私には必要なメッセージのように感じました。



シャクティ・ガーウェインの瞑想の3ステップについて書かれていました。
「1、川の流れに、逆らったり、もがいたりして、苦しみを体験し、その苦しみをどうにかしたいという段階。
 2、どうにもできずに、川の流れに身を任せてみたら、なんのことはない、何の苦痛もなかった。
    はじめから問題はなかった、と気づく段階。静寂。 平和。
3、それがつまらなくなってきて、川に逆らってみたり、川を横切ってみたり、自由に泳ぐことを満喫する段階。
   創造。自由。」



と書いてありました。

そして

「観照者になって観照をするというスタンスではなく

観照が起こっているというスタンスで瞑想してみたら」



という文章もありました。

この文章、とても惹かれて

今日「観照する」のではなく「観照が起こっている」というスタンスに立ったら

いい感じがしました。



そうですね。

「する」ではなく、「起こっている」という立ち位置にあることが大切です。


受講者
3ステップは、無空庵からみたら

やはり個に立っている瞑想なのでしょうか?



無空さん、教えてくださいね。



「観照が起こっている」というスタンスで瞑想してみたら、とも書かれてあり、

そのとおりに、「観照する」のではなく「観照が起こっている」というスタンスに

立ったらいい感じがしました。とのことですから、

3で言えば、「つまらない」が起こってきた。

「川に逆らってみたり、川を横切ってみたり、自由に泳ぐことを満喫する」

ということが 起こっているという立ち位置に在れば、よろしいと思います。

それは、真我の立ち位置です。


受講者
観照者でありながら

創造主であるという私が読んだブログの立ち位置は

「個」なんでしょうか?



ベースに在るがあり、その理解に確立していれば、巻き込まれずに、

創造主としての立ち位置を楽しむ事も可能です。


受講者
私がその立ち位置に惹かれるのは

なぜなのでしょう?



その「私が」の「私」は、個人でしょうか、真の自己である真我でしょうか?

すでに真我に確立した上で、自然にそちらに惹かれるのであれば、

それは軽やかに楽しまれます。

そうでなければ、それは、マインドにとってとても魅力的なものであったり、

マインドの成熟という過程で、その体験をしてみたい、もっと必要だという場合にも

それに惹かれていくということが起こります。


以上、ご参考までに。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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