どう在るかが最も重要

受講者
大きなこだわりがとれて

気づいている意識が

寸分離れず自分自身、それそのものと

日常が豊かでおおらかなものと映し出されております



とてもいいですね。


受講者
この気づいている意識は

いのちそのもので

その優しさは

そのまわりを柔らかく包みながら

その親切さにはいつも涙が出てくるのです


心のそこから

この人生を楽しみに生きていく

そのことを選んでいくことが出来ることに

感謝です



選んでいく(個)という立ち位置、認識と同時に、

必然(全体)・自然・ただそうであるという立ち位置、

認識が今はありますね。

個と全体の統合が進んできて、とてもいい感じですね。


受講者
共鳴は

話しているときも

話していなくても

その意識だと思うのです



そうですね。

ですから、共鳴が大事である、という言い方ではなく、

どう在るかが大事である、と言っています。

それに尽きると言ってもいいですね。

そこが究極であり、真髄とも言えます。


受講者
今在ることがすべて

そのままの響きと

共鳴が無くなることは

あるのでしょうか?

Gさんの記事にすこし驚いております



Gさんの理解も深まってきています。

今、どんどん進み、開かれていっているプロセスの途上

というところでしょうね。

その過程で、さらなるマインドの純化、成熟、

立ち位置のシフト、主体がより真我へと移行していくと

さらに素晴らしいですね。

これからも、引き続き、真実に誠実で、真摯に在れば、

それ(真実)はすべてですので、さらにトータルな視点から

見たり、表現したりできるようになっていくでしょう。

様々な視点からの理解等が統合、整理され、

表現することにより与える全体への影響などにも

より意識が行き届き、配慮されたものとなっていくでしょう。


受講者
共鳴は

何か真我に在るためのメソッドでもあるのでしょうね

そうであれば

真我そのもので在る世界が全世界実現すれば

そのメソッドの必要性はなくなるでしょうね



それが、共鳴のひとつの側面とも言えますね。

でもそれは、ある意味、共鳴の表面的なレベル、

ほんの一部に過ぎないと言うことができます。


受講者
しかしその深さは無限です

そのように感じております

この無限の深さを楽しみたいと思います



まさにそのとおりです。

無空庵のブログを読み続けられ、

そして、セッションで、そして日常で、その本質に触れ、

また、表層的なところから深遠な領域まで、

様々なレベルの理解が整理、統合されてきているのなら、

共鳴、そして、無空庵でいうゼロ意識共鳴とは、

どのようなものかがよく見え、よく分かるはずです。

感想などではほとんど登場されませんが、

無空庵でセッションを受けられている方の中で、

とても成熟されていて、素晴らしく自然体であるお一人の方からは、

これ(ゼロ意識共鳴)は、1000年、2000年続くものだから、

(ご自身がセッションの提供をはじめるのに)急ぐ必要はない

というような言葉が起こってきていました。


起こってくる言葉で、

または、その響き具合で、

その方がどのくらい本質、真髄を捉えているかが分かります。

普遍的なもの、本質は、消えて無くなることはありません。

共鳴をどのようなレベルで捉え、理解しているか、

それにより、見える世界、感じられる世界、生きられる世界が

違ってきます。

これも無限の在り方、無限の理解、無限の多様性を許している真我の愛ですね。

それで自然(愛)です。

ですから、現われのレベルは、「それぞれ」 でいいんです。

すべてである真我はすべてを応援し、それぞれが進みたい方向、

それぞれが開かれていく方向、そのすべてを同等にサポートしています。

真我のサポートは、全方向へのサポートです。

(もちろん、必要なときには、「正す」ということも起こります。)


相違は、現われの世界にあります。

無くなる、無くならないも、そうですね。

本質、真髄は、そこをはるかに超えています。

そこに在ること、それであることが大切です。

そうすると、無くなる、無くならない、という現われのレベルの話しに、

翻弄されなくなってきます。


さて、共鳴の本質、真髄はどこに在るでしょう。

それはやはり、現われのレベルを超えたところに在ります。

それは、あなたが書かれてある「意識」、「気づいている意識」のレベルにあり、

それは、気づいている意識そのものです。


では、「共鳴の本質は、気づいている意識(真我・愛・生命)そのものである」という視点から

少し見ていってみましょう。

真我、唯一の実在、存在そのものがそれ自身に気づく、(気づいている)

この「気づく」という動き、

ただひとつのものである真我における自分自身への距離ゼロの動き無き動き、

不動の動き、

(それは、「ただ在る」ということでもありますが。)

ゆらぎ(ゆらぎ無きゆらぎ)、

あるいは、凹凸ゼロの波(平ら。それがすべての波を含んでいます。)、

無音の響き(無限の響き)、響き無き響きが、ゼロの共鳴です。

それを「原初の共鳴」という言い方もできるかもしれませんね。


原初のゼロ共鳴。

それは、そこから現われるすべてのレベルの共鳴を含み、

それ自身の中に、

ゼロという形無き形の中に、

それらすべての共鳴を内在させています。

そしてそこが、無空庵で言うゼロ意識共鳴のレベルであり、

そこに、ゼロ意識共鳴の核があります。

それは、気づきに気づいている共鳴、

ただ在ることの共鳴、

ただ自分自身(真我・真の自己・愛そのもの)であることの共鳴、

そのままであること、

在るがままであることの共鳴であり、

それを、共に在ることで強力に活性化するのが、

ゼロ意識共鳴です。


ひとりで真我に焦点を当てるよりも、現れた二人が共に在るとき、

真我のゼロレベル、形無き形、響き無き響きのレベルで響き合うとき、

その感覚は増大し、それ(真我)自身をより強く感じられます。

(ネットの辞書などで、「共鳴」という言葉を調べてみても、

「振動体や電気振動回路などに固有振動数と等しい振動を外部から加えたとき、

大きい振幅で振動すること。」とあります。

同じゼロ振動のレベルで共に響き合うことで、それは互いに増大、増幅されます。)

ゼロ意識共鳴は、真我の自然本性による無限の深まり、無限の広がりを

より強力に推進していくものということができます。


源から現われまで、無限の層があり、様々なレベルでの共鳴があります。

単に共鳴と言っても、どのレベルでの共鳴か、どこに注意が向けられた共鳴か、

理解がどこまで及んでいるのか等によって、それぞれの響きが違ってきます。

ですから、どう在るか、どこに注意が向いているか、

主体が個人(マインド)ではなく、真我(愛)であるか(ただ気づいているか)、

真我である在り方、その理解がどこまで深まっているか、

存在全体として統合されているかどうか、などが重要であるとお伝えしています。



それから、無空庵ブログの方に、何度も書いていますが、

ゼロ意識共鳴は、真我の真我による真我のための共鳴です。

それは、それ自身の自然本性により起こっているもの。

そこには、無限の深まり、無限の広がり、無限の継続性があります。

それ(真我)は、それ自身に気づいて終わり、それ自身を自覚して終わりではありません。

もしそうであるならば、現われの世界、多様性のある世界はとっくに終わっているはずです。

でも、創造は続き、世界は続いています。

(別の視点からは、世界はなく、真我だけがあるとも言えますし、

世界ははじめからない、と同時に、世界は無限に続いていく、とも言えます。)

真我は、その多様な現われの世界を通し、自分自身に気づくことができ、

自分自身を体験することができます。

そして、それだけでなく、現われの世界を通し、言い方を変えれば、大きな意味での共鳴を通し、

真我は、無限にそれ自身への気づきを深め、広げていくことができます。


セッションを受けられている方々はすでにお分かりのように、

本質(真我)に気づいてもそれはスタートに過ぎません。

そのことは、禅の方ではずっと前から悟後の修行ということで言われてきました。

真我に気づいてから成熟していくプロセス、

真我の純粋性により、不要なこだわりやパターン等が落ちるよう

マインドを純化していくプロセスが必要です。

個人から真我へと主体がシフトしていく流れ、

そして、存在全体が統合されていくプロセスがあります。


真我が主体として確立して、ある意味はじめて、

それは個人利用されるものでなく、そこから真のゼロ意識共鳴が始まります。

そこからが、ゼロ意識共鳴の真骨頂です。

終わるのは、主体としてある個人の立場であり、

そこで共鳴が無くなるとすれば、それは個人・マインドに必要な共鳴です。

あなたがブログで書かれた真我と真我の響き愛が、恒常的に始まるのはそこからです。

理解が深まっても、巧妙なマインドはしぶとく、根強く残っています。

より微細になればなるほど、本人が気づかないような微細なマインドが働き始めます。

真髄に触れたとしても、真実は広大無辺、無限です。

そこにスポット的に触れて、それがすべてだとするのは早計です。

(もちろん、触れた一点一点がすべてであり、そこにすべてがあるとも言えるのですが。)

また、深いレベルを知ったとしても、主体が個人であることが多かったり、

個人と真我の間を行ったり来たりしているような段階、

特に、そのことに気づいていない段階では、

真我が主体であるときは、純粋で素晴らしい響きがありますが、

まだ存在全体としての統合がなされておらず、ひとつひとつの視点、理解も不安定、

次々と変わって行ったり、様々のレベルについての理解も、整理、統合されておらず、

混濁しています。

真摯な姿勢での悟後の修行の継続がとても大切です。

真実に対しての誠実で、真摯な姿勢があれば、

その混濁は、純化、統合、整理されていきます。

姿勢、在り方、どう在るかが最も重要です。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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