在ることですべて

受講者
それから、以前の共鳴中、「真我の見守り」の理解について
更に、ひらたく理解が起こり、見守りは守ることではなく、やはりただ観ていて、気づいて在り、そのまま在る、
そうであることなのではないかと思いました。



そうですね。
理解が進むと、よりトータルにすべてを含み、シンプルでやわらかく、やさしい理解になりますね。

在ることですべてです。
真の自分自身(真の自己・真我)であること、在るがままそのまま、ただそうであること、それがすべてであり、それですべてです。
そこに見守ることも含めたすべてがあり、在る(真我・実在)はただ在ることですべてを為しています。
それは、無為であることで全為です。
在るが在ることで、すでにすべては、その存在において守られており、すでにすべては為されています。

在るからすべて(認識・理解・概念・行為等を含めた森羅万象すべての存在、すべての創造物)が生まれていきます。
在る自体に意図はなく、それは自然本性(愛)から起こっていきます。
(意図なく(愛)、目的のない(愛)ところに間違いというのは起こりえません。そのような点からもそれは絶対であり、在るがままで正しい、在るがままが正しいと言うことができます。)
そして、在るが在ること、存在が存在することは、そこから起こる創造行為、創造物からはまったく影響を受けません。
そのような点からは、在るはすべての現われを超えているものでもあるということができます。
在るは、そこからすべてが生まれ、その中ですべてが展開し、その中にすべてが吸収されていくという点からは、すべての現われに関与しているとも言えますし、また、在る自体は、すべての現われに対して、まったく意図なくただ在る(愛)だけで、すべての現われからその存在自体にはまったく影響を受けないという点からは、すべての現われに対しては、まったく無関係であるとも言えます。

それは、「ただ」そうであるのです。

真に、ただひとつであるすべては、そのように在ります。

そのような在り方、そのような真実、そのようなただの事実から、上に書かれてある「真我の見守り」ということに関して言えば、

在るは、すべてを守らずして、守っている、
守るを超えて、すべてを守っている、
あるいは、すでにすべては守られている、
(その本質においては)守られる必要があるものなどどこにもない、
すでにすべては(その本質において)絶対安心、絶対安全、絶対大丈夫である、

と言うことができます。

変わらないものと、変わっていくもの(起こっては消えていくもの)を知ること。
変わらないものは、変わらないことが本性(愛)であり、自然であること。
変わっていくものは、変わっていくことが本性(愛)であり、自然であること。
変わっていくものは変わらないものの現われであり、姿形、在り様は変わっても、その本質は不滅であること。
その本質が変わらない本当の自分、真の自己(真我・在る)であると知ること。
そして、前述したように、その本質の現われの本性は、移り変わっていくものであることを知ること。受け容れること。
変わっていくことが自然であるものに執着したり、抵抗することで苦しみや問題が生まれることを知ること。
それ自身がただ在る(真我・愛)で、在るがままであり、その現われを一瞬、一瞬、あるがまま、起こるがままにしておくこと(現状を放置する、見過ごすということではありません)、あるがままに気づいていること、あるがままに観ること、あるがままに楽しむこと。

そのようなことが大切ですね。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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