自他を区別するマインドが落ちているとき、マインドを超えた真実が直知される

受講者
他人はいないという意味は、他人だと認識しないことだったんですね。



自他を区別するマインドが落ちている状態ですね。

そのとき、マインドを超えた真実が直知されます。


受講者
私にとっては、しびれるような一体感を感じることではなく、ただ別体感??を感じない、ことでした。

そんな感覚です。



私も、“しびれるような”一体感など感じたことはありません。

それぞれの方の感じ方、そこまでのプロセス、その体験の直前の状況などにより、一体感の感じ方などは違うものになるのではないかと思います。

また、「しびれるような」という感じは一時的な体験ですね。

いつもしびれていたら、大変です(笑)

大切なのは、一時的な体験よりも、いつも変わらずに在るものを知り、その理解を深めていくことです。

それから、一体感という感じや表現が起こるときには、ある意味、自他の区別や多様性があることが前提となっているとも言えます。

完全にマインドが落ちているとき、あるいは、それ自身だけに100%焦点が当たっているときには、ただそれだけが在る、それ以外何も存在しない等の感じになり、一体感という感覚や表現は起こってきません。


受講者
今も静寂のなかにありますが、もしこれが消えたとしても、また見つけられるのがわかっているので、いっとき見失ってもかまわない。

ダイジョブ。

静かなあかるさのなかでそう思います。



そうですね。

それは、真の自分自身ですから、焦点が当たらないこと、当たりにくいことはあっても、消え去ることはありません。

見失ってしまったと感じている者、見つけようとしている者自体、あるいは、その核に在るものが、それそのものです。

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のびのびさん



いつも、のびのびさんの、セッションの感想などで、よく書かれている


~そのもの

は、そういうことだったのですね。



何度も、何度も、拝見しているのに、
分かっていませんでした。



はじめて、そうだったのか。。。と 気付きました。







それ そのもの

なのですね





照らす灯を感じました。


また、ひたむきに、粛々と、在ってゆきます。


ありがとうございました。

Re: タイトルなし

リンさん

コメントありがとうございます。

「それそのもの」という感覚は、

ただただそれ自身に溶け込み、それ自身とひとつになっている感覚です。

個人はなく、ダイレクトにそれそのものであることを感じます。

そのとき、ただそれだけ、自分自身だけが在るのを感じます。

愛そのものである状態です。

のびのび さん


はい。
本当に、そうなのですね。
私は、分かってませんでした。


観察者がいました。




自分自身で在ること


それそのもの
であること



それが道の灯と感じます



粛々と、在っていきます。
大切な灯を
ありがとうございました。
プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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