悟りは、すでにそうあるもの、すでにそれであるもの

受講者
最近感じることは、「すべては幻影」「自分(意識)しか存在しない。他人は確かに見えているが、その人、その人の経験が実際に存在するかは疑問。ちょうど映画の中の人や経験が存在しない(フィクションである)ように、見えてはいるが存在しないのではないか。」「いわゆる悟り体験(愛、至福体験など)は在るかどうかは??で、これが悟りだとか、彼が悟ったとかも存在しない気がする」「『自分は至福や愛、宇宙体験を体験していないから悟っていない』と考えること自体、マインドの産物で無意味。」「無思考(沈黙)のみがすべて。すべては運命かどうか、悟りの条件は?などと考えること自体、マインドの産物で無意味で、問い自体存在しない。自分がするのは、無思考・在る・気づきに戻ってそれを続けることだけ。」などです。
経験は続いていますが、経験と自分(意識)が結構離れてきた気がします。



非常にいいですね。


受講者
以上を無空さんに言うと、「それを悟りとも言う、これからは悟後の修行ですね」と言っていただきましたが、マインドは「これが悟りなのか」と疑問を持っていますし、真我は悟りとは関係ないところにいます。
悟りすら本当は存在しないとも思いますし。



多くの方が言っているのは、真実を知ってみると、自分(マインド)が思っていたものとは全然違うということです。

そういう点で、悟りすら本当は存在しない、というのは正しいですね。
あなたがこれまで思っていた悟りは存在しません。
それは思うもの、思い馳せるものではありません。
すでにそうあるもの、すでにそれであるものです。

ある意味、悟りという言葉自体がやっかいなものであるとも言えますね。
(変わらない真実を深く知った人は、まったく気にしませんが。
また、それと同時に、とても注意深く言葉を使うということも起こりますし、必要なときには、誤解、中傷、批判を恐れずに、堂々とその言葉を使うということが起こることもあります。
それは、大いなる愛の為せる業と言えますね。)

また、「真我は悟りとは関係ないところにいます。」
この言葉から、あなたが真実を知った、そして、マインドの誤解・とらわれから解放されたということが分かりますね。


受講者
何も気にせず、ただ、「自分はこの意識している気づきである」「私は在る」「自覚」をしていきます。



今なら、ラメッシ・バルセカールの「誰がかまうもんか?!」の意味がお分かりになると思います。
よかったら、お持ちの本の2ページから3ページをもう一度、読んでみて下さい。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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