在るがよりしっかりしてくれば、起こってくることとの距離をより保つことができ、より影響を受けにくくなっていく

受講者
最近自分に起こってくるのは、自分の怒りや反発心などのマイナスの感情を外に出したくない、でも感情が出てきて不快という葛藤があります。



便宜上、マイナスの感情というくくり方をしてもよろしいですが、それをあまり強く持たない方がよろしいかもしれませんね。
怒りは、ただ怒りであり、反発心は、ただ反発心です。
それらはただの自然現象、自然な反応であり、本来そこに善悪はありません。
それらの感情を体験することはやはり快適ではないかもしれませんが、そのようにニュートラルな視点から見ることができれば、それらの感情は必要以上に長引くことなく、起こってきたのと同様に自然に消えていきます。

(ここからは、あなた個人に対してではなく、ひとつの理解として参考までに書いておきます。)

起こってくる感情に、快不快はあると思いますが、起こってくるものを対象にして、快だけ、幸せだけを求めようとしてもそこには無理があります。

様々なものが起こってくることで成り立っているこの現象世界は、相対的な世界でもあり、また、その現象は、海の波のようなものであるとも言えます。
そこには、必ず山(頂上・高揚)と谷(底・静寂、あるいは落ち込み)がセットになってあります。
相対的な天国と地獄もそうですね。(絶対的な天国は、何も排除することなく、全てに開かれた、全てが在る全体そのものです。)
いつも幸せでいたい、いつも平和でいたい、というのは、自然なマインドの思いですが、起こってくる現象にそれを求めていてもそれを実現することはできません。
その視点、その立ち位置では、それは不可能です。
それが可能になるのは、山にも谷にもあるがままにただ気づいて在れるようになってからです(反応が起これば、それにもただ気づいて在れればOKです)。
そうすると、変化する部分だけではなく、それらすべての背景にあった、あるいは、それらすべてに浸透していた全体そのもの(真我・在る・無限の愛)に気づくことができるようになって来ます。
それは、起こっては消えていくものではありません。
それは、起こっては消えていくものすべての源、現われすべての共通本質です。
変わらない幸せ、安定した平和の実現のためには、その立ち位置に立ち、それそのものとして、その視点からすべてをあるがままに見れるようになること。
部分、現象だけに焦点が当たり、巻き込まれてしまう立ち位置から、全体そのものとしての立ち位置にシフトし、そこから変化し続ける様々な部分とそれらすべてを支え、育み、包んでいる変わることのない全体そのものが見えるようになることが大切です。


受講者
自分の意識に注意をむけることが習慣になってきましたが、このときは半分マインドの状態で、静かさとマインドの声が交互にやってきます。



できるだけ静かで在りたいというのは自然なことではありますが、マインドの声がいくらあってもかまわないというくらいの態度、在り方に徐々になっていけるといいですね(在る・真我はそのように在ります)。
マインドの声を嫌うのはマインドであり(気づくのは意識)、それが気にならなくなってくるのが(気づいていて、ひっかからない)マインドの成熟です(マインドの質的な変化とも言えますね)。

気づいて不快に感じるまでは自然なことで、ある意味、必要なことでもあります。
そこから必要以上にそれを嫌わず、ただその状態に気づいている、その状態を受容している、許していられるようになれるといいですね。(そうすると、起こってきた自然現象であるマインドは、自然に変化したり、消えていったりします。)
真我・在る・無限の愛は常にそのように在ります。
理解がさらに深まっていき、在るがよりしっかりしてくれば、起こってくることとの距離をより保つことができ(あるいは、可能な限り近くに寄り添い、それをよく感じ、味わいながらも、意識もしっかりと保つことができる)、より影響を受けにくくなっていきます。

今、書いたことを別の形で、簡単に示してみますと、

①怒り等が起こる②それに気づく③不快な感じを味わう④それを嫌い、そこから逃れようとする、それを何とかしようとする。(ただ在ること、ただ気づいていることで、真我・在るから直接、「なんとかしよう」が起こってくる場合もあります。)

パターンに気づけていない人、それを見ることができない人、あるいは、気づいていてもまだ在る(気づいている意識)がしっかりしていない人、気づいているという実践がまだ十分に重ねられていない人は、ここまでが完全にひとつになっていることがあります。

①②③④ではなく、その人にとっては①の場合があります。
(その状態のときには、隙間すらありませんので、セッションのときなどは、こちらから踏み込んで指摘することは不可能です。そこにちょっと隙間が見えたときに、必要であれば踏み込んで指摘するということが起こります。
これはひとつの観念、思い込み等に関しても同じことが言えます。気づきの力が増してきて、それが少し緩んできたときなどに、踏み込んで指摘をするということがあります。)
それが、在るという意識レベルに焦点が自然に在るゼロ意識共鳴を継続して受けていただくことにより、在る(気づいている意識)を認識できるようになり、そして、それそのものとして、気づきの主体としての自覚を持ちながら、起こってくる感情、思考、それらのパターンなどにもより気づけるようになって来ます。
①が①と②になり、そして、①②③となり、①②③④となっていきます。
ひとつの塊にしか見えていなかったものが、ふたつの組み合わせに見えてきて、それが3つになり、実は4つの構成要素からできていたことが分かるようになります。
よく見えるようになってくるというのは、一例としてはこういうことを言っています。
(その他に、それぞれの質、強さ、厚み、大きさ、深さ、重さ、度合い等様々あります。)
そのように見えるようになってきた頃には、気づいている主体である在る(純粋な意識・気づきそのもの・真我・無限の愛・全体)が、それらに巻き込まれず、ただ気づいているということができるようになってきています。


受講者
自分にとって根深いものなのだと思いますが、繰り返し気づいていくようにしたいと思います。



はい、そのシンプルな在り方が、根深いものを根っこから変容させていくのにベストですね。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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