これでいいのか、から、これでいい、にシフトしていく

受講者
前回のセッションでは「自分自身が、在るそのもの」というのを

意識して見てみたり、感じてみたりしていました。



これは、真の自己、本当の自分が在る(真我・愛・全体)であるという自己理解と受け容れを進め、深めていくという点でとても大事なことですね。
また、真我(真実・全体)を知っている個人(幻想・部分)から、個人(幻想・部分)を知っている真我(真実・全体)へと主体をシフトさせるという点でもとても大事ですね。


受講者
その状態でいるとき、無空さんから

「意識が自分自身へ(内側へ)向いているんだなということが

こちらからも、わかりましたよ」



というお返事をいただき、

へぇ~ 無空さんには分かっちゃうんだ~(゜0゜)



と驚いたのを覚えています。



目を見ると大体分かります。
けっして特別な能力などではありません(笑)


受講者
そして、先日リアル合同共鳴が行われたのですが

対面での共鳴をしていたときに、お相手の方が

目を閉じて共鳴をし始めたので、

私はその様子を見ながら、引き続き共鳴をしていたのですが、



お相手の方が、目を開けている時と

目を閉じている時とでは、

明らかに何かが違うことが分かりました。



お相手の方が目を開けている時は、私に向かって

(というか、世界に向かって)

なにかが発信されていくような、広がっていくような

そのようなエネルギー?を感じるのですが、



目を閉じて共鳴をされている時は、

私に向かってくるエネルギーがピタッと止み、

目の前に誰もいないかのようになるのです。

そして、その方が自分自身に向かって

意識が向いているんだな、ということが

はっきりとわかったのです。



もしかして、無空さんが言っていたのは

こういう感じのことなのかな、と思ったのでした。



そうですね。
そして、その感じが分かれば、目を開けながらでも自分自身に焦点を当てていることは可能です。
外側にも気づいていながら(真我の視点からは、すべてはそれであり、内も外もないのですが、ここでは便宜上、肉体を基準として外側と表現します。)、変わらない在る(純粋な気づき、純粋な意識)を自覚していることも十分に可能です。
無空庵でいう真我実現とは、日常で真我が自然に生きられるようになった状態をさしています。
日常生活とは、目を開けての生活です。

(日常で、真我が自然に生きられるようになった段階では、真我が本当の自分であるという自己理解と受け容れが進み、もはや、それに焦点を当てる、意識的に自覚するという感じではなく、ただそれであることが自然に実現されている状態、意識せずとも、心臓が的確に動き続けているように、呼吸が自然に行われているように、理解の力が自動的に働き、それであることが実現されている状態です。
また、本当の自分に気づくという真我の覚醒から、いわゆる悟後の修行を経て、そのようになっていきます。
前述の真我を知っている個人から、個人を知っている真我へと主体がシフトしていくということもその中に含まれます。)


受講者
最近の近況としては、お仕事で大きな失敗をしてしまい、



自分の未熟さや、愚かさに

あらためて気づかされた、という感じでした。



大変失礼なことをしてしまったし、

ご迷惑をおかけしてしまったので、



ただひたすらショックでした。





でも、ひたすらショックであるのと同時に

どこか冷静である自分もいました。



在る(真我・愛・全体)ですね。


受講者
「この方の怒りも、私のショックも、

いつか消え去っていくものだ」というフレーズが頭をよぎったり、



ショックで悲しいのに、

穏やかで平和な電車の車内に心が和んでしまったり、



障子に映る木々の影や、外の鳥の声に

平和を感じてしまったりするのです。



変わらない真我は、変化していく現われ(これを現れた真我と見ることもできます。)に影響を受けることはありません。
それは、平和そのもの、穏やかさそのもの、冷静そのもの、あたたかさそのものです。

そして、源である変わらない真我と、その現われが共存するのは自然なことです。
悲しみは、変わらない平和(真我・愛・全体)のひとつのバリエーションです。
ただひとつの源があり、そこから様々な感情、思考、その他森羅万象、すべての現われが現れていきます。
同じ平和でも、現われであり変化する相対的平和と、源であり変わることのない絶対的平和があります。
あなたは、すでに在る(真我・愛・全体)を知っており、あなたが感じているのは、在る・真我・愛・全体・純粋な意識・純粋な気づき・無・空そのものである絶対的な平和の方ですね。
源と現われについての理解、そして、それ(真我・在る・愛・全体)そのものであることの実感、体験を重ね、深めていくことにより、自然にトータルな理解が深まっていき、安定感が増していきます。
普段でも、また、日常的ではない様々な場面でも、自分自身の在り方、態度、姿勢、言動に対する疑問(これでいいのか)や葛藤などが少なくなっていき、調和的でバランスがとれ、存在としてよりトータルに自己肯定(これでいい)的で在れるようになっていきます。
(ここでいう自己肯定の自己とは、源である真我とその現われも含んでいます。)

これでいいのか、から、これでいい、にシフトしていきます。

在る(真我・愛・全体)は、常に、全肯定、絶対肯定、全受容、絶対受容の「これでいい」です。

(ここでも、相対的な「これでいいのか」と「これでいい」、そして、絶対的な「これでいい」が在ります。
現われの世界では、相対的な「これでいいのか」も状況により必要です。
相対的な「これでいいのか」は、絶対的な「これでいい」のひとつのバリエーションです。)


受講者
そして、世界は



美しさ・穏やかさと共に



悲しみや悔しさ、稚拙さも



すべてを包み込んで、



すべての重みに耐えてくれているんだと



気づいてしまうのです。



素晴らしいですね。

気づこうとしてそうなるのではなく、すでにそうであるから、自然に気づいてしまうわけですね。


受講者
もし、世界がすべての重みに耐えてくれていなければ、



私は押し潰されて、存在出来ていないでしょう。



もし、世界が悲しみや悔しさ、辛さの存在を許さず、



感じることも、味わうことも許してくれていなければ、



私は、存在することを許されていないでしょう。





世界は(真我は)、全ての存在を許していて



その存在すべてに、余すところなく愛を注ぎ込んでくれている。



それが、どれだけありがたいことか。





私はその時、悲しんでいいのやら喜んでいいのやら、



わからなくなりました(^0^;)



その立ち位置が真我を知っている個人です。
(本当のあなたは、世界全体として現れている真我の方、すべての重みに耐え、すべての存在を許し、すべての存在に愛を注ぎ込んでいる方ですね。)
もちろん、その立ち位置での感じ方を感じることができること、その立ち位置ではどのように感じるのかということを理解できることはとても大切です。
そして、主たる在り方、一番核となる在り方として、真我が主体となっている「個人(幻想・部分・現われ)を知っている真我(真実・全体・源)」として在れるようになるとさらにいいですね。
トータルな在り方とは、真我が主体となっている在り方が核として在り、その他すべての在り方、視点を同時に持ち、感じることができ、理解し、すべてを(絶対的な意味での)肯定、受容、包括できる在り方を言います。

そして、そのようによりトータルな在り方ができるようになるには、今回のような一つ一つの立ち位置による体験のすべてがとても大切です。
すべての基盤、核となり、また全体を包括する在る(真我・愛・全体)を知り、そして、様々な立ち位置においての実体験を重ね、それぞれの立ち位置による感じ方、見え方を理解していくことにより、存在としてよりトータルに在れるようになっていきます。
それは、絶対の真我、変わらない真我・愛・全体の成長とも言えます。

源である真我が現われの世界を通してより真我になる。

より自分自身を知っていき、

愛がより愛になり、

全体は全体であることは変わらないまま、さらに全体になっていきます。

少しずつ成長していきましょう。

理解し、肯定し、受容し、包括できる範囲を少しずつ広げ、深めていきましょう。

やがては、その存在のすべてで、宇宙全体、そして、未だ現れていない未知そのもの、無限の可能性そのもの、そのすべてを包括することができるようになるでしょう。

そしてそのときは、真の自己、本当の自分が、愛そのものであることをより深く、より強く、より確かに実感、理解できるようになっているでしょう。

愛(全体)は、愛(源と現われ)を通して、愛(全体)をより知っていきます。


受講者
なので、「悲しみの涙」と「喜びの涙」を同時に流しました(笑)



それがすべてである自然であり、全体性ですね。


受講者
私は、私自身を許して、



未熟な部分はこれから少しずつ成長していくしかないと思って、

次に進んでいくしか無いわけですが、



でも、果たしてそれでいいのかわからなくなってしまいました。





私は、こんなにあっさりと

気分を変えてしまっていいのだろうか?と疑問になりました。



マインドのとまどいですね。


受講者
もっと、人間らしく(長期間?)苦しまなければ

ご迷惑をかけてしまった方に対して失礼な気がして、



「あんた、本当に反省しているの?」って



思われてしまうのかも(・ω・;)?と思ってしまい、



せめて、2~3日はこの件で苦しんで、猛烈に反省しているという

姿勢を、見せなくてはいけない気がしてきました^^;



そのような思いがただ起こってきたということですね。


受講者
(もちろん、誰にも見られていない訳ですが

見られていないからといって、飄々と生きていていいものなのか?と思ってしまいました。)





なので、2~3日は



問題をぶり返してまた傷ついてみたり、悔んでみたり、

色々とやってみたのですが、



最終的にお腹が(胃が?)痛くなって来てしまい(^0^;)、

自分の身体が可哀そうになって来てしまい、



自分を責め続けたり、必要以上に責め過ぎたりすると、

やっぱり精神的にも肉体的にも悪いんだな、と思ったので止めました(^^;)


それは体験してはじめて分かること、あるいは、より深く再認識できることで、そのことにより、マインドの成熟と理解もさらに進みますね。


受講者
今回の件は、自分のふだんの状態管理が

不十分だったことも、原因のひとつだなと感じたので、



いつも、より自然でいられるように、

より愛でいられるように、



1日のスケジュールの中に、「瞑想時間」を組み込むことにしました。





前々から、やろうやろうと思いつつ、出来なかったのですが

今回のことを通して、



自分のコンディション(体調だけでなく、意識とか心のコンディション)も

日頃から整えていく必要があると感じて、



ようやく、「瞑想時間」を組み込むことに決めました(^^)



それはよいですね。

1日の中のどこかにひとつしっかりした時間があると、1日全体が整っていくのに役立ちます。

そして、それと同時に、あるいはそれ以上に大事なのが、その決まった瞑想時間だけでなく、

一日の中で、いつでも気づいたら在るに戻ること、在るを意識すること、在るそのもので在ることを自覚すること、認識することです。

ついつい瞑想の時間だけ、在るに意識を向けることをONにし、それ以外はOFFにしてしまいがちですが(はじめはそうでなくても、知らず知らずのうちにそうなっていくことがあります。)、認識としては、リラックスしながらも1日中ONのままにしておくこと。もちろん、仕事中は仕事に集中していただいて、1日のうち、起きている間にチャンスがあればいつでも戻るという感じがいいですね。寝るときもすっかり忘れていただいていいです。)

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のびのび さん


いつも、ありがとうございます。
あなたがいて下さったから
こんなところまで
歩いてこれました


のびのびさんの
存在は

宝です

Re: タイトルなし

リンさん

ひとつの愛の中で、現れとしてのリンさんにお会いできたことがとてもうれしいです。

共に学びながら、共に歩いています。

素晴らしい愛の体験をご一緒できることに感謝します。

いつも本当にありがとうございます。

プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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