意図なく、目的なく在る愛。ただそれだけで在ることができる愛は、純粋で、絶対で、不変。それが真の愛の在り方

受講者
自分がしっかり在ることで、親兄弟のような縁の深い人は特に、近くにいても遠くにいても、深い核の部分を癒してあげることができるというお話も、とても参考になり生かしていけたらと思いました。



そうですね。
すべての現われは深い部分でひとつであり、繋がっています。
在ることは、現われているすべての存在の深い部分に、微細、かつ、深遠で多大な影響を及ぼします。
特に、ご縁が深い方、繋がりが強い方にはその影響は大きいです。

そして、理想的には、そのような影響があるということを“知っている”という理解を深め、現われのレベルにはあまり捉われないというのがいいですね。

意識を向けるということはとてもいいですが、あまり個人的な情などが入りすぎるとかえってその影響はクリアでトータルなものではなくなってしまう場合があります。

ニサルガダッタ・マハラジも、世界を改善したいなら、世界を超えることだ、というようなことを言っています。
逆説的ですが、本当に誰かのためを思うなら、個を超え、関係性を超えて在ること。
関係性を超えた愛そのもので在ること。
ただ在ること。
それが真の意味で、誰かのため、すべてのためになると“知っていること”

“ただそうであると知っている”

“ただ知っている”

という在り方がとても大切です。

(もちろん、必要な時にはそこから自然に必要な言葉や行動は起こります。)

それ(その理解、“ただ知っている”)は

絶対的で

それ自体で自立・独立していて

ニュートラルで

純粋です。

そこには、関係性の中で起こる依存的な質、執着的な質、粘着的な質は一切ありません。

ひとつであるという体験や、感覚が増してくると、すべての現われに対して愛おしいというような感覚も自然に起こってきます。

これもとても素晴らしい状態です。

そこには真我の真実が輝いています。

ただそのときも、関係性などすべてを超えた在るがしっかりと主体となっていること、土台となっていること、あるいは、背景にあることが大切です。

(これを可能にするのは、やはり深い理解、深い自己理解ですね。)

他の方にもお話しましたが、すべてが愛おしいという感覚は、関係性の中で起こってきます。

それは真我であるすべての源として在るときの、その現われすべてに対して、森羅万象すべてに対して愛おしいという感覚でもあります。

ただ、その関係性(源と現われの関係性。超えている源ではなく、現われの中にあるすべての存在の親、創造主としての立ち位置に立ったときの関係性。(真我は現われの中にも在り、同時に現われを超えてもいます。))に入ったとき、未成熟なマインドがあれば、それが入り込み、在るから主体の座を奪い、個的なもの、マインドや情、執着的なもの、粘着的なもの、支配的なもの、コントロール、自然ではないもの、上からの目線(視点)、傲慢さなどが知らず知らずのうちに出て来ることがあります。

関係性の中で、親、上司、先生、リーダー等の立ち位置に立った時などにも、それは起こってきやすいですね。

誰かのために、みんなのために、世界のために、などの思いはとても素晴らしいですが、その思いが強すぎると、いつの間にかマインドに主体の座を取って代わられることがあります。

自分の思いどおりにしたいという思いや相手に対する過剰な期待、過剰な感情移入や過干渉なども起こってくることがあります。

関係性の中にありながらも、同時にそれを超えたものがしっかりしていないと、その愛は純粋なものではなくなってしまう可能性があります。

相手の状況や対応、反応などに影響を受けてしまいます。
(自分の思いどおりにいかないときなど)

それはとても不安定です。

セッションを受けられている他の方が、その当たりのところをよく捉えられ、「その愛は本質からではあるがもろい」と、ブログ記事で見事に表現されています。


なぜ、もろいか、

ひとつの視点からは、それは起こってきた愛、現われの世界にある愛、関係性の中にある愛だからです。

起こってきたもの、この世界にあるものは常に変化し、様々な関係性の中で影響を受け続けます。

それゆえに、とてももろいと言えます。

さらには、その起こってきた愛を所有するのが個人であり(「私の愛」、「私の思い」などというように。)、それ自体が起こってきている不安定なものだからと言えます。

それに対し、絶対に変わらないのは、在るという愛、存在の愛です。

誰かのため、みんなのため、世界のために、という 自分と誰か、自分と何かという関係性の中にあるとき、同時に、その関係性を超えた「在る」(愛)がベースとしてあることが大切です。

起こっていった愛、現われの世界にある愛がしっかりと存在の愛で支えられていることが大切です。

存在の愛そのもの、超えていて、捉われない在る(愛)そのものとして在り、その上で、何かが起こる(誰かのために、世界のために、個人である現われの自分のためになど。)という感じになるといいですね。

その愛はすべてを超えていて、何ものにも捉われないがゆえに、絶対です。

トータルであり、とても自然です。

それはすべてに対して超然として在りながら、太陽の光のように、すべてに平等に行き渡る愛です。

そして、それは現われのすべての状況、反応により、影響を受けることはありません。

意図なく、目的なく在る愛

ただそれだけで在ることができる愛は、純粋で、絶対で、不変です。

それが在るの在り方

存在の愛

真の愛の在り方です。

それ以外何も存在しない、絶対的にひとつ(愛)であるという真実の深い理解そのものとして在り、現われの世界、関係性の世界を軽やかに、そして味わい深く楽しめるようだといいですね。

現われの世界、関係性の世界だけに巻き込まれていては、幻想といわれる現象現実を強化するだけであり、それでは重さ、深刻さ、複雑さ、大変さが増していってしまいます。

現われの世界は、「在る」という現われの世界を超えた絶対的な源を土台にしたとき、真の意味ではじめて栄光化されます。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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