やわらかく在ること。やわらかで在ること

受講者
セッションは、極上の柔らかさでした。
それは、光沢のある、きめ細やかな絹。
赤ちゃんが離さないお気に入りの毛布。
空気を含んだふわふわの真綿。
まぶしいほど白く、無垢で
純なやさしさの、微笑みをたたえ、
静かに穏やかに…  喜びの雫がこぼれ落ち…
始終、その甘い甘い、心地よい、大きな安心に包まれていました。
私のなかから、泉のようにあふれ出しているそれは、
柔らかさの極みでした。
同時に、そのなかで溶けていました。



やわらかさの中に、存在のすばらしい質をたくさん感じとられていますね。
あなたを通して開かれている素晴らしい純粋性の中に、今回感じとられたやわらかさもさらに開かれ、育っていくといいですね。

日常の中でも、純粋であるとともに、やわらかく在ること、それを意識されてみるのもいいかもしれません。

真の強さと、深い愛がないと本当の意味でやわらかく在ることはできません。

(そのやわらかさは、ときには堅固さや強靭さとして現われることもあります。)

ただ在るときも、何かをするということが起こったときも

やわらかく在ること

やわらかで在ること

全てをやさしく包む空気のように、

ゆるやかに流れる川の清らかな水のように、

純粋でやわらかく・・・


あなたのブログ記事に、

「まっすぐに、生きるとは、あちこちにぶつかるということ。」とありましたね。

純粋性の中にまっすぐは含まれています。

でもそれは形にこだわるまっすぐではなく、その質をどこまでも貫くもの。
何があってもその質において変わらない不変性、絶対性。
それは愛であり、真のやさしさであり、清らかさです。

それは決まった形を持ちません。
その無限のやわらかさは、その現われにおいては、ときにはまったく愛でない、まったくやさしくない、まったく清らかでない、というように現われることも厭わないほどのやわらかさであり、愛であり、やさしさであり、清らかさです。

愛はすべてであり、ただひとつであるそれ自身が、対極するもの、矛盾するもの、対立するものを含んだすべてとして現われています。

全体性からの視点をさらに養っていきましょう。

愛で在るとき、全体性の視点に立つとき、その愛あるやわらかさからの、状況に応じた適切な在り方、現われ方はまさに変幻自在です。

ニサルガダッタ・マハラジの「I AM THAT」の中に、

「生とは生きられるものであり、分析のための時間はない。反応は即座でなければならず、それゆえ時間を超えた自発性が重要だ。私たちは未知のなかで生き、動いているのだ。既知とは過去のものだ。」

というところがありますが、

ここで書かれてある「生」、「即座の反応」、「時間超えた自発性」を可能にしているのが、無限のやわらかさでもあります。

現われの世界で、形においてもまっすぐすぎると、やはりいろんなところにぶつかります。

ときにそれは自らを傷つけ、さらには相手をも傷つけてしまうこともあるでしょう。

現われの世界、マインドの世界は、ある意味、矛盾だらけです。


超えていきましょう。

超えて在りましょう。

愛で在りましょう。


自らの純粋性はそのままに

全てをやさしく包む空気のように。

ゆるやかに流れる川の清らかな水のように。

あるいは、すべての流れを抱きこみ、そして、その中であらゆることが起こることを許している大海のように。

全てをそのままやさしくやわらかな愛で包み込み、そこに必要があれば、自然な癒しや気づき、変容が起こるようなそんな存在で在れるといいですね。


もちろん、マインドからの視点も持っていてもよろしいですが、ベースには、いつも真我の視点、存在の愛の視点、全体性の視点を持っていたいですね。

存在の愛は全てが起こることを許しています。

現われに対しては、愛で在れば、不完全の完全、不調和の調和なども含め、適切な反応、態度、言動が起こってきます。

現われの形に影響され、それにこだわり、真の愛、存在の愛の座から離れることがないよう、強く、深く、大きく、やさしく、そして、やわらかく在りましょう。



あなたのブログ記事の中にある

「では、マインドの視点からは?」

「私、個人の純粋さ、それは何であるのか?」

この2行から、残っている個人(自我・パターン)の強さが感じられます。


ここは、以前頂いたメールで、

「これじゃあ、どうなんだろ、って思っていたけど、不器用にしか生きられません。」

と、あなたが書かれていたところへ 

私が、

『不器用でもいいじゃないですか。
体験を重ねながらマインドは成熟していきますが、
ひとつのものを深めていくのなら、ある意味、不器用な方がいいかもしれません。
そして、今深めているものはすべてを包括し、すべてを愛で包んでいけるものです。
そのまま進まれたらよいと思います。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

真我は、その純粋さを何よりも大切にします。
それはこの世界にあってもです。

それぞれのタイプがあります。
不器用にしか生きられないというのは、ある意味、とても素晴らしいことです。
そのときそのときの純粋な質が、社会意識を超えて、世界に現われたがっているということです。

・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・

私が、あなたが素晴らしいと思っているのはその突出した純粋性です。
そこをさらに伸ばしていきましょう。

そして、その他の部分は進みながら、成熟させていきましょう。

焦点を当てるのは、パターンの方ではなく、愛・在る・純粋性です。』

とコメントした部分を受けてのことかもしれませんが、

あなたが個として世界とぶつかり、傷つくことは誰も望んでいません。

(愛として世界にぶつかるのであれば、誰も傷つかず、結果もより大きな愛となるでしょう。)

個(自我)として世界にぶつかることが、個の成熟につながっていくことはあり、ときにはそれも必要ですが、

あなたが傷つけば、深いところでは相手も傷ついています。

世界が傷ついています。

あなたが泣けば、世界が泣きます。

でも、本質は変わりません。

本質は一切傷つくことはありません。

本質はいつも笑顔です。

それが本源、すべての源泉です。

形、現われに一切とらわれることのない

悦びそのもの、

愛そのものです。

だから、世界は救われているのです。

だから、何があっても世界は現われ続けることができます。

悲しみ、苦しみから世界が起こっているのではありません。

それは、相対をこえた絶対的な悦び、絶対的な愛、絶対的な幸せから起こっています。

世界はその中で学び、そして、成長していきます。

太陽は日中、たとえどんなことがあったとしても、毎朝同じように昇ってきます。

それは、変わらない愛、絶対の愛が現われているひとつの姿でもあります。

太陽は、沈黙のうちに、その在り方、その変わらない態度でそれを示してくれています。

以前、自然が師ということも言われていましたね。


形にこだわりすぎることなく、やわらかく愛で在ること、

(全体の必要性から、こだわるということが起こり続けるときはそれでOKです。)

いつも笑顔である本質そのものとして在ること、

そう在り続けることは、

個のあなた、そして、現われの世界をも笑顔に変えていきます。

その影響は全体へと広がっていきます。


「では、マインドの視点からは?」

「私、個人の純粋さ、それは何であるのか?」


こ(個)の部分が、ただ愛で在ることで、

より軽やかに、そして、より透明になっていくといいですね。

そのときそのときで、個を通して起こってくることに正直で在ることは

純粋で在ることであり、私も変わらない在るを再認識するまではずっとそれが基本であり、一番大切にしてきたことでもありました。

それが真実へと導いてくれたとも言えるでしょう。

ただ、その個の部分は絶対ではありません。

それもまた、その瞬間、瞬間の現われであり、変わっていきます。

全体の必要性から起こってくることは、あるものは現われのレベルでも一定期間一貫性があるかもしれません。

またあるものは次々と移り変っていくかもしれません。

でも、どちらも、そのときそのときの自分に正直で在ること、自分自身の真実に誠実であることに変わりはありません。

自分自身の内側から起こってきたことに対して、正直に、そして、誠実で在ることはとても大切です。

そしてそれと同時に、それにもとらわれないこと、そこからも自由であることが大切です。

とらわれ、こだわり、執着、我の強さ、態度のかたくなさが苦しみを生み、問題をつくります。

現われのレベル、起こることのレベルでは、

自分自身(に起こってくる思いや感覚)に正直に在り、かつ、自分自身(に起こってきた思いや感覚)からも自由で在りましょう。

(マインドの視点からは個がありますが、真我の視点からは個は存在しません。あるいは、個のまま真我、個即真我です。個が存在しないという視点からは、ただ起こってくる思いや感覚だけが純粋に現象として存在しているだけで、それは誰のものでもありません。それを「私の思い」、「私の感覚」というように所有するものはいません。)

やわらかく在ること。

それは、言葉を変えれば、何事にもとらわれず、一瞬、一瞬、純粋に今という未知、真我、真の自己、形を持たない愛、そして起こってくる全て(起こっていくすべて)に対して、あるがままに開いているということとも言えますね。

そしてそれは、現われのレベルを超えた愛そのもの、やわらかさそのもので在るとき、それに立脚しているときにはじめて可能になると言えます。

必要なときには記憶を使うということが起こってきます。

それ以外はこだわらず、とらわれず、やわらかく、いつも新しいすべて(愛・今・真の自己)に開いていられるといいですね。

いつも新しく、変わることのない愛で在りましょう。

やわらかくそう在りましょう。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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