【コメント欄より】どう在るか、がもっとも大切なことなのです。

今回は、koyukiさんから頂いたコメントとのびのびの返信を、参考までにご紹介させて頂きます。
(コメント欄からの転載です。)

**************

起こってくるものが、怒りなどの感情であっても、
表現したことが相手を傷つけると思われるようなことでも、

それも真我の現れとして、
ただ受け止めてあげればいいということでしょうか?

それとも、真我にあれて、
そこから起きているということが分かった上でのことでしょうか。


のびのびさん いつも読ませていただいています。

今日はなぜかコメントさせていただきたくなって
ご質問書かせていただきました。

質問が意味をなしているか、わかりませんが。。。


ありがとうございます!


2012-07-06 : koyuki

**************

koyukiさん

いつもお読み頂き、ありがとうございます。

すべての現象は真我(在る)から起こっています。
怒りもそうですし、怒りを表現することもそうです。
怒りを表現したことによって相手が傷ついたように感じるということもそうです。
現象のすべては真我(在る)から起こっています。
それは自然現象です。

すべては真我(在る)の表現なのですが、どう在るか、どの立ち位置に在るかということにより、現象、言動、体験は違ってきます。

マインド(個人・自我)であるか、真我(在る・愛)であるか。
真我(在る・愛)で在れば、そこから起こることは、純粋な愛の表現になります。
マインド(個人・自我)であれば、そこから起こることは、純粋な愛がマインドに歪められたものになります。

(ですが、マインドやマインド経由で起こってくるものも含め、すべては真我から起こっているのであり、それ(真我)は、すべてを許しています。
それは、絶対的な愛、無条件の愛です。)

ですから、起こってきたものの形(内容)ではないのです。
どう在るか、がもっとも大切なことなのです。

起こってきたものの形(内容)だけを見れば、一見、愛とは思えないようなものも、真我から起こってきます。
真我の愛はマインドでは計り知れません。

そして、起こることは起こります。
怒りが起こることも。
それを表現したことも。
相手が傷ついたように感じるということも。
その後、koyukiさんが何かを感じられたのなら、そのことも。

それら起こってくることすべてに気づいている、すべてを許しているのが真我(本当のkoyukiさん)です。

真我(在る・愛)で在れば、すべては自然に正されます。
自然に浄化されるものは浄化され、表現されるものは表現されます。
真我(在る・愛)で在れば、koyukiさんを通して起こる表現がより愛の質を帯びたものになってきます。


そして、本当は、koyukiさんも相手の方もいません。
個人がいるというのは幻想です。

ただひとつの意識(真我・在る・愛)が在るだけです。

その真の理解が起これば、現象には影響されなくなります。
いつも平和で愛に満ち、幸せで在ることができます。


2012-07-06 : のびのび

**************

koyukiさん

コメントありがとうございます。

> のびのびさま
> ありがとうございます。
>
> そもそもどの立ち位置に在るか、
> ということでそこから生まれてくる表現も違うし、

そうです。

>
> 真我にあれば、
>
> 現れているものがどのようなものであっても、
>
> ただそれに気づき、許すことが
> 自然に起きてくる、起きているということ。

真我はいつでも、すべてに気づいている、すべてを許している存在です。

実践としては、気づいたら、真我(在る・気づきそのもの)に戻る、ということだけです。
強いマインドが起こっているようなときは、なかなか戻れないかもしれません。
そのようなときは、「今はただそうである」と気づいていればOKです。
パターンになっていれば、何度も起こってきますが、気づき続けていれば、徐々に弱まります。
浄化が進み、理解が深まるにつれて、在るが確かなものになっていきます。

>
>
> まぁるくおさまっていて、
> かつどこまでも深い感じがします。

そのとおりです。
真我はいつもまぁるくおさまっていて、無限に深いものです。

>
>
> そして、
>
> ただひとつの意識・在る、が在るだけ、
>
> ということの、
> 真の理解が訪れるには、
>
> 在るを意識していくこと、
>
> それにつきる、
> ということなのですよね。

そのとおりです。

在るを意識すること、さらには、それそのもので在ることにより、理解が深まっていきます。

必要な気づき、インスピレーションなどが必要なタイミングで起こり、
自分自身がそれ(意識・在る・愛)で在ること、
すべてはひとつで在ること、
存在するのはそれだけであること、
が徐々に実感を伴って分かってきます。

ただ在ること。
書かれてあるように、それに尽きます。
それ(在る)しか存在していませんので。

>
>
> 。。。頭で理解しても仕方ないのですが、
> こういう理解であっていますか?

はい、そのような感じでよろしいと思います。
真我は頭の理解を超えていますが、頭の理解も大切です。
自己理解は直知(真我の真我による直接理解)によるものですが、頭の理解はそれをサポートします。

>
>
> では!
> ありがとうございます!

こちらこそ、ありがとうございました。


2012-07-08 : のびのび


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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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