全体の中の部分もまた、全体そのもの

受講者
大いなるもの(神、真我、愛)を前にすれば、個人(私)など、どんなにあがいても、なんて非力で、無力なのか…



真我を忘れた個人、真我ベースでない(真我に立脚していない)個人、ある意味、真我から離れてしまった個人はそうですね。
でも、本当は真我から離れることなどできません。
すべては真我(愛)です。
ある意味、大いなるものと個人を分けて、別のものとするのはマインド(個人)であり、大いなるもの(真我・愛)の視点からは、すべてはそれ(真我・愛)であり、個人もまたそのまま真我・愛であり、それ以外の何者でもありません。


受講者
「ただ、そうである」 が残酷に胸に刺さっていました。刹那です。
そちらの方に視点がいってしまいました。



どの視点に立っているか、どの視点から見るかで、同じ愛、同じ真実でも、まったく感じられ方が変わってくるということですね。

気づきの度合いが、かなり大きく、深く、トータルで、そして、強烈でしたから、残っていたマインドの未成熟な部分が浮上してきたというところだと思います。
大きく強烈な気づきの光は、それまで気づかなかった深くに隠れていた微細なマインドさえも照らし出します。


受講者
私が個人で居続ける理由は、もうなくなってしまいました。死にたい気分でした。“私”の抵抗です。



個人は愛(空)の中に溶け、そして、必要に応じて、起こってきます。
それは、思考、感情、その他すべての自然現象と同じです。

真実は、愛だけがあり、それが必要に応じて、その都度、その都度、個人として、あるいは様々な現象として現われてきて、そしてまた、その必要、その運命が終われば、愛へと帰っていきます。

それは今でもそうです。
誰もがそうです。
24時間一瞬の隙間もなく、ずっと個人でい続けることができる人は果たしているでしょうか?
それは、24時間覚醒していることよりもはるかに難しいことです。
それは不可能です。
個人は現われては消えていくもので、それが一日の中でも何度も繰り返されています。
それ(個人)を、ずっと継続しているものとして見、そして、それ(個人)に執着してしまうところに、苦しみが起こります。
それは、真実を深く理解することでクリアできます。


受講者
でも…
そんなちっぽけな存在である私も、森羅万象、万物一つ一つも、全てをつくるための、地球を、ガイアを、宇宙を、愛をつくるための構成員であること。
均等に、同じだけ、尊く、なくてはならないもの…。
この事実こそ、「愛」なのですね。本当に美しいです。
それが、「一つで全て、全てで一つ」という意味なのですね。


そうですね。
そして、全体の中の部分(構成員)もまた、全体そのものであり、全体と部分という見方も、無限の視点の中のひとつであり、ある意味、単なる便宜上のものでしかないという理解もしっかりと持たれておくといいですね。

個として現われている真我も、宇宙全体、森羅万象を包み込んでいる真我もまったく同じものであり、ただひとつのものが、違う規模で、同じ次元、同じ時空、同じ世界に同時に重なり合うようにして現われているということです。

これが、ただひとつであるものが、多様となり、世界を作り、様々な関係性を作り、それ自身に無限の視点を与え、様々な体験を可能にするときの現われ方です。

ほんとうにちっぽけなもの、塵ひとつ、ほこりひとつでさえ、それは部分ではなく、あるいは、部分としても現われながら同時に、大いなる全体(真我・愛)“そのもの”なのです。

以前書いた記事の中でも、そのことに触れていますので、参考までに抜粋しておきます。

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ここまで、全体、全体と何度も書きましたが、今にすべてがあります。

今、目の前にいるのがたった一人なら、その一人の人がすべてであり、その人が全体そのもの、世界そのものです。

今、家にいるのなら、家族が全体であり、家族が世界そのものです。

そして、今、自分が世界にいるという認識を持つのなら、世界全体が家族になります。

そのときそのときの状況、認識の仕方に違いがあるだけで、真我の視点からは、たった一人も、家族全員も、そして世界全体もまったく同等です。

一人一人がすべてであり、その集合である(ように見える)世界全体もまた同等にすべてです。

ただひとつのものである真我は、そのような現れ方をし、多様性の世界をつくっています。

同時に、様々な規模、単位で、それは現れています。

(例えば、原子・分子・ひとつの細胞・人・家族・世界等)

在る(真我・実在・空)ということを分割することはできません。

それ(在る・真我)が、まるまるそのような形で、多規模・多単位・多重・多層・多次元的に現れているのがこの世界です。

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もうひとつ別の記事からも抜粋しておきましょう。

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(真我・空が、その本性から、それ自身を多様性として現わし、自分自身に様々な体験を与え、未知なる自分自身、無限の可能性をもつ自分自身を無限に知っていってるのも同じですね。)

合同ゼロ意識共鳴は、すべての存在、すべての現れ、そして、それそのもの(真我・在る・空・純粋意識・無限の愛・全体)に対して、絶対的に開かれています。

すべての人や物、道端の石ころ、大きな岩、美しい石など様々な鉱物、雑草、美しい花々、大きな木などの様々な植物、小さな虫達、犬や猫、空を飛ぶ鳥達、人と共にある動物達、野山をかけ、自然と共にある様々な野生の動物達、様々な次元に在る存在達、また、現れては消えていく一人一人の思考、感情も、そして、昼も夜も、一日も、一年も、あらゆる時代、すべてのとき、すべての瞬間、刹那も、永久も、光も、闇も、音や香り、甘い、辛いなど様々な味、多種多様な色、形、空気、空間、やさしい風、暖かな火、ぬくもりのある土、清らかな水、山や川、海や湖、空と大地、太陽と月、あらゆる星々、惑星、すべての銀河、あらゆる宇宙

これらすべては、ただひとつのものである真我の現れ。
ただひとつのものが、様々な形で、幾重にも重なり、同時に現れ、響き合い、響き渡っている、真我・真実・在るのシンフォニーとも言えますね。

その様々な現れ方の違いを軽~く飛び越えて、みんな“在る”同士、みんな“在る”仲間です。

現れ方、規模の大小、単位、階層、次元の違いなど問答無用です。

在るは違いを知りません。

愛はひとつのものしか見えません。

すべてはひとつであり、同時に、それぞれが同等であるものとして存在しています。

あなたと、太陽、夜空に輝く星々、銀河、大いなる宇宙もまったく同等です。

あなたと、石ころ、砂粒、道端の雑草も同じく同等です。

小さな虫たち、可愛い小鳥たち、美しい花々、別次元に存在する聖なる存在たち、

一日という時も、きれいな夕焼けも、静かな夜も、芳しい香りも、暖かな春も、ひとつの時代、ひとつの世界、ひとつの次元も、そして、すべてであるそれ(真我・在る・無限の愛)そのものも、

その存在、在るという点、またはその本質において、すべてはあなたと同等です。

ですから、すべてのものと共鳴が可能です。

すでに現れているもの、未だ現れざるもの、どんなものとも共鳴できます。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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