在る(不動・無為)=気づく・知る(動・行為)

受講者
なぜ
個と分かれて
ここに?

何のために
もともとひとつであったものがなぜ
ここに?

新たな問いです



真我から起こってくることに、「なぜ」はありません。
ただそうであるから、そうであるのです。
それは自然本性によるものです。

もう少しマインドよりな視点から見ていくためのポイントをいくつかあげてみれば、

それはただひとつのものであり、それ以外何も存在しないということ。
そして、それは意識・知そのものでもあり、
その性質ゆえ、それ自身が在るということに気づく、
それ自身の存在を知るということが起こるということ。
あるいは、永遠に気づき続けているということ。
それ自身を知り続けているということ。

ここで、

ひとつであるものが意識であるがゆえに、

在る(不動・無為)=気づく・知る(動・行為)

ということが分ります。

その気づき、それ自身への気づきが、それ自身の中で永遠に起こり続けているというのは、例えて言えば、海(ひとつであるもの)があり、そこに無限の波(気づきという動き・それ自身の中でのゆらぎ・振動)、多種多様な波が起こっているようなもの。

その波が個人、そしてその他森羅万象であるというような理解も、ひとつの見方としてはできるかと思います。

ですから、個人(波)は、ひとつであるもの(真我・実在・空・愛)が意識であるがゆえに必然的に起こってくるということが言えます。

そして、その波である個人は、当然、そのまま意識(海)であり、それが存在する(在る)という属性を帯び、あるいは、それが反映され(すべての波に)、(個人的な)「私は在る」が生まれ、波の数だけ無数の視点が現われます。

それ(真我・空・愛)はそれ自身の中で、無数の視点(波・波である海、個・個である全体)を持ち、それらの無限の相関関係、無限の反響、無限の共鳴の中で、無限に、そして永遠に、それ自身を知り続けていきます。

自分自身が波(個)でしかないと認識しているうちは、視野も狭く、波であるゆえにアップダウンがあり、また、他の波(個)との関係性の中で、苦しみに巻き込まれることがありますが、本当は海であることを再認識すれば、分離していたと思っていたすべてはひとつであるということが分り、ひとつの波(個)と現われている自分自身を含め、すべての波を自分自身で在るものとして認識、肯定、受容することができるようになります。
それが愛の状態でもありますね。

実在・真我は、ひとつのものであり、それが意識であるがゆえ

在る(不動・無為)=気づく・知る(動・行為)

であること

ただ在ることにより、すべては為される。

ただ在ることにより、そこからすべては意図せず、ただ起こってくる。

本当は何も起こっていない。

絶対安心。

絶対安全。

絶対大丈夫。

すでにそれである。

なども導き出されます。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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