ただひとつである真我にとって、すべての体験はかけがえのないものであり、そこに何ひとつ間違いはない

受講者
昨日、その前くらいから、色んな人に、意見を聞かれるような相談が入ります。(または本心を必要とするレベルの相談事です)
本当に、久しぶりの人も二人くらいいます。



真実を知ると、その存在にひかれ、自然にそのようなことが起こってくることもありますね。


受講者
私は、私の本心を話すと(私のもののとらえかた)、結局、空。の話しを話さねばならず、話します。
時間をとられてしまうことも難儀ですが、相手も本気なので、私も誠実にそうとしか話せず話します。
相手は、理解困難なこともありながら、私も、理解してもらおうと、頑張る。
すると、違和感がうまれます。



「私」が、頑張っているところにひとつポイントがあるかもしれませんね。
必要な時には、頑張るということが真我から自然に起こってきます。
すべて起こっているという理解で、起こっていることを所有せず(本当は所有する者(私・個人)も一時的、瞬間的現象であり、実在ではないのですが)、ただ在れればベストですね。

また、空の体験がない方に、それを理解してもらおうとしても、話がかみ合わないのは当然です。
私もセッションで経験しています。
(質問されるので応えますが、今在るところでしか受け取れないので(そして、今在る理解の中には答えがないので)、かみ合わないことがあります。)
その際、かみ合っていないという認識は起こりますが、違和感はありません。
あるいは、違和感らしき感じが起こったとしても、その違和感らしきものに違和感を持ちません。
(ラベル貼りをしないことと、起こることの全肯定。)

理解の深さ、広さ等の違い、立ち位置、視点の違いからくる違和感であればそれも自然なものだと言えます。

また、理解してもらおうという思いが、真我から自然に起こってきても、真我はその結果には捉われません。
真我は結果を求めず、ただ在るがままです。


受講者
なんだか違う気がするの。
こういうことじゃない気がするの。
何なんだろう。
私は、説得したくないのです。ただ在り、ただ起こる中でいたい。



マインドのパターンが起こっているのかもしれませんね。
それも起こってきているという理解で在れば、自然でいられます。

また、今回のような経験をすることにより、マインドの成熟が進み、また在り方が変わってくるかもしれませんね。

すべてはケースバイケースですが、基本としては、チャンスがあり、それを伝えるのが自然であれば、相手の方が今理解できるかどうかにかかわらず、真実を伝え、かつ、今出来ることをする(その方の今いるステージに合わせたアドバイス等)、今できる在り方で在る(その方をまるごと受容し、ただ話を聞くだけ、ただ共に在るだけなど)、という感じでしょうか。

(私の場合は、はじめに、真我の視点からは、~ですよ。とか、究極の視点からは~です。などというような言い方をしてから、その方に合わせた話をすることが多いです。)

その時に理解できなくても、いつか分る時がきます。
また、真実(真我・空)を知る者が共に在ることで、ある程度の共鳴は起こります。
それが問題の解決を促してもいきます。


受講者
確かに、これしかない。と確信があります。これは体験も含め確信です。
だから、相手の状態を否定してしまうのだろうな。
以前の自分をみてしまう。



真我はすべてをあるがままに認め、肯定しています。
全てを許しています。
(相手の状態をそのまま認め、受容し、そこから、自然な反応、全体の必要性、必然性の中で、否定するということが起こるということはあります。)

体験、経験を重ね、真我の態度を深く、身に付けて行くことですね。

でも、基本はやはりシンプルです。

ただ在り(真我・空として在り)、あるがまま、起こるがままです。

(真我・空・真の自己をまだ知らない状態でのあるがまま、起こるがままは、他と分離するマインドに巻き込まれたままで、全体的な秩序から離れた状態です。)

必要があれば何か言動、行動、出来事が起こり、何も必要でなければ何も起こらないということが起こります。

そして、起こったこと、起こらなかったことはすべてよしの全肯定です。

そこに即座の結果を求めたり、捉われたりしません。

(成熟していくと、そういう反応が起こらなくなります。)

ひとつの態度、言動が起こり、それが状況に合わないようなら、次の態度、言動がまた自然に起こっていくだけです。

真我は、そのようにして、源であるそれと、その現れであるそれとの認識、体験による相互作用を、それ自身の中で、それ自身で在るということは全く変わらないまま、永遠に繰り返し、無限の可能性そのものであり、未知である真我(空)それ自身を無限に知り、無限に深めていっています。

その永遠の歩み(それ自身の中でのそれ自身との相互作用)は、ひとつひとつがそれ自身の中で完結していると同時に、その完結したひとつの体験、ひとつの認識は叡智となり、次の瞬間の確かな準備、基盤となります。
それゆえ、それは永遠のステップとも言え、ひとつひとつ起こること、体験には何も間違いはないと言えます。
それは、ただひとつのものである真我にとって、絶対的な善であり、そこには絶対的な正しさがあります。
ひとつひとつ起こることは、真我に新たな体験、認識を与え、それ自身をその認識、理解、在り方においてより豊かなものにしてくれます。

また、すべて(世界、宇宙の中で起こる全て)はひとつであるそれ自身の中で起こっていることで、究極的にはすべては大丈夫であると深く知っていること(例えて言えば、夜寝ていて夢を見ているようなもの。夢の中で何が起きようと夢を見ている本人は全く変わらずそのまま。)も、態度、在り方に余裕を持たせますし、それ自体が、相手の方の癒しや気づきにもつながっていきますね。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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