どこまでも、ただ在ること

「する」という個人が主体となった習慣は、微細な形で何度もやってきます。

どこまでも、ただ在ること。

そして、そこから必要なことすべては起こってくるという理解が大切です。

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いつも、いつも、ありがとうございます。

のびのびさん

いつも、ありがとうございます。

なぜか?幼いころから 「 一人残らず救いたい 」という気持ちが強く強くありました。

でも、今、しずかに

ただ【 在る 】そのものであるとき

「救う人がいない」ことに気づかせて頂きました。


なぜか?長年、連れ添ってきた想いでしたので

たまらない気持ちでいっぱいです。

のびのびさん

ほんとうに、いつも、ありがとうございます。

さらに、さらに、楽になり

さらに、さらに、自由そのものの自分が在ります。

「在る」それ自体が「わたし」なのだと

今まで感じたことのない

しずかで感慨に満ちた大きな喜びでいっぱいです。

感謝



No title

どこまでもただ在る。

今日も、師からのセッションの返信のメールで
改めて再認識していたところです。

源はさらに無限の無限。

ありがたいことです。

それから、どちらでご報告してよいのかしらと
思いこちらでさせていただきます。

事後報告ですが、ブログに、のびのびさんのこのノートを
アメブロですので、ブックマークに登録させて頂きました。
よろしくお願いします。

mako

No title

のびのびさんのこのブログのタイトル

「本当の自分は、ただ在るだけで幸せです」

そして、今回の記事

「どこまでもただ在ること」

少し、前までは、なんかわかったつもりでいたことに
^^:
「ただ在る」ってどういうことをいうんだろう?

皆さん、素晴らしいシェア、コメントをしているので

こういうこと初歩的なこと?を聞くのは恥ずかしいこと

かっこ悪いからやめなというマインドが起こっていますが^^;

書き込みしてみました。

わかりやすく教えていただけるとありがたいです。

Re: いつも、いつも、ありがとうございます。

ひとみさん

コメントありがとうございます。

> のびのびさん
>
> いつも、ありがとうございます。
>
> なぜか?幼いころから 「 一人残らず救いたい 」という気持ちが強く強くありました。
>
> でも、今、しずかに
>
> ただ【 在る 】そのものであるとき
>
> 「救う人がいない」ことに気づかせて頂きました。

そのとおりですね。

>
>
> なぜか?長年、連れ添ってきた想いでしたので
>
> たまらない気持ちでいっぱいです。
>
> のびのびさん
>
> ほんとうに、いつも、ありがとうございます。
>
> さらに、さらに、楽になり
>
> さらに、さらに、自由そのものの自分が在ります。

「在る」(真我)は自由そのものですね。

それは、何ものからも影響を受けません。

>
> 「在る」それ自体が「わたし」なのだと
>
> 今まで感じたことのない
>
> しずかで感慨に満ちた大きな喜びでいっぱいです。
>
> 感謝

日々、理解の深まりが素晴らしいですね。

そして、自分自身を知っていく喜びは、何ものにも代えがたい大きな喜びですね。

その理解、そして、喜びが宇宙全体に広がっていきます。

そして、それこそが、「最高の救助」ですね。


喜びがとても伝わってきます。

ありがとうございます。

のびのび

Re: No title

makoさん

ブックマークに登録して頂き、ありがとうございます。

これからも、よろしくお願いします。

ところで、makoさんのブログは、無空庵のリンクの欄には載っていないですよね。

よかったら、教えてくださいね。


Re: No title

kazukoさん

コメントありがとうございます。

> のびのびさんのこのブログのタイトル
>
> 「本当の自分は、ただ在るだけで幸せです」
>
> そして、今回の記事
>
> 「どこまでもただ在ること」
>
> 少し、前までは、なんかわかったつもりでいたことに
> ^^:
> 「ただ在る」ってどういうことをいうんだろう?
>
> 皆さん、素晴らしいシェア、コメントをしているので
>
> こういうこと初歩的なこと?を聞くのは恥ずかしいこと
>
> かっこ悪いからやめなというマインドが起こっていますが^^;
>
> 書き込みしてみました。

マインドの動きによく気づかれていますね。

>
> わかりやすく教えていただけるとありがたいです。

まずは、在る(真我)は、マインドを超えていますので、それそのものを言葉で表現することは不可能です。

ですから、ここでは、言葉を使って指し示すということになります。


在るとは、純粋な存在感覚であり、自分自身への気づきです。

自分が在るということに気づいている、

気づいている意識に気づいている、

状態、感覚です。

本当の自分である気づきそのもの(純粋な気づき、純粋な意識)がそれ自身に気づいているということです。

それに馴染み、そこに確立できるようになることが大切です。

それ(在る・真我)は、いままでもずっとあり、これからもなくなることはありません。

それ(在る・真我)は、愛そのもの、幸せそのもの、自由そのもの、平和そのもの、喜びそのものです。


マインドは意識をそこ(在る・真我)からそらそうとします。

気づいたら在るに戻る、在るを意識するということを繰り返すことによって、徐々に、習慣が変わり、日常的なものとなっていきます。

また、そのこと自体がマインドを成熟させていきます。

そうやって、「ただ在る」ことが確かなものになっていきます。


ありがとうございました。

のびのび

No title

承認ありがとうございます。

私のブログはこちらになります。


http://ameblo.jp/1111111-0/

無空庵には、次のセッションのとき
ご報告します。

No title

のびのびさん、ありがとうございます。

怒りが沸いた時に

あ、今、怒りというマインドが起こったなと気がついた意識が在る

ということに気がついていく(意識を向けていく)

そういう事をただただ習慣づけていくそういう理解でよろしいんでしょうか?

Re: No title

kazukoさん

コメントありがとうございます。

> のびのびさん、ありがとうございます。
>
> 怒りが沸いた時に
>
> あ、今、怒りというマインドが起こったなと気がついた意識が在る
>
> ということに気がついていく(意識を向けていく)
>
> そういう事をただただ習慣づけていくそういう理解でよろしいんでしょうか?


「在る」とは、「気づきそのもの(真我)に気づいている(意識を向けている・焦点を当てている)こと」です。

怒りというマインドが起こっているとき、「今、怒りというマインドが起こっている」と気づいていれば、怒りに巻き込まれている状態ではなく、怒りから離れていますね。

そのとき、クリアで気づきの力が強ければ、気づきそのもの(真我)に自然に焦点が当たっています。

でも、気づきの力が弱かったり、起こっているマインドの力が強かったり、また、クリアではなく、次から次にマインドが起こってくるような場合は、気づきそのもの(真我)に焦点を当て続けることができず、どうしてもマインドの方に焦点が当たってしまいます。

気づきそのもの(真我)に焦点が当たっていれば、気づきはすべてを正しますので、全体にとって必要でないものであれば、消えていきます。
(パターンになっていれば、すぐには消えないかもしれませんが、何度も気づくことにより、徐々に弱くなっていきます。)

その立ち位置に在ること(気づきそのもの(真我)に焦点が当たっていること、気づきそのもの(真我)として在ること)が、「ただ在る」ということです。

でも、「ただ在る」ことができるようになるには、多くの場合、時間もかかりますし、真剣さや努力も必要です。

日常で、気づきそのもの(真我)に焦点を当てることを何度も何度も繰り返し、その実践のなかで、理解が養われ、徐々に「ただ在る」にシフトしていきます。
(ゼロ意識共鳴は、それをよりスムーズに進めていきます。)

ですから、怒りなどのマインドが起こった場合は、できるだけ、気づきそのもの(真我)に焦点を当てようとすること。
それが難しい場合は、(マインドの力が強ければ、なかなかできないかもしれません。それが普通です。)、「今、怒りというマインドが起こっている」、「今、それを責めるマインドが起こっている」、「今、巻き込まれていた」等と起こっていることすべてに気づいていて、どこまでも、起こっていることから、離れていてください。

それを、繰り返していくうちに、徐々に、クリアになり、気づきの力も強くなっていきます。

どうしても、はじめのうちは、起こっていることの内容の方に焦点が当たってしまい、巻き込まれていくことも多いです。
(でも、このような理解があると、巻き込まれても早く気づけますね。)

とにかく、繰り返し繰り返し「在る」(気づきそのもの(真我)に焦点を当てる)に戻ることです。

そして、大切な理解は、

マインドをなんとかしようとしないこと。
(なんとかしようとするのもマインドです。)
(なんとかしようとしていたら、それにも気づいていてください。)

思考や感情(マインド)にふたをしようとしていたり、見て見ぬふりをしようとしていたりすることもありますので、そういった微細なマインドの動きにも気づいていること。

怒りなどを悪いものと判断しないこと。
(起こってくることは、すべて同等という理解が大切です。)

起こってくる思考や感情(マインド)を自分(個人)のものとして所有しないこと。
(すべての現れは真我からただ起こっています。)
(マインドも真我の現れですから、真我そのものです。)

浄化しようとするのではなく、「在る」とき、必要であれば、浄化が起こるという理解を持っていること。
(真我にとっては、在ることが唯一の目的です。)

こういった理解は、日常で、「在る」(気づきそのもの(真我)に焦点を当てる)ことを繰り返すことによって、徐々に養われ、深まっていきます。

そして、その理解の力がマインドを静めていきます。


それから、もうひとつ大切な理解は、

気づきそのもの(真我)と、マインドは同レベルにあるものではないという理解です。

映画で言えば、スクリーンが気づきそのもの(真我)、映像がマインドです。

スクリーンは映像が流れていようが、流れていまいが関係なく、いつも在ります。

また、どんな映像が流れていようが、全く影響を受けません。

このように、気づきそのもの(真我)は、マインドが起ころうが、消えようが関係なく、いつも背景にあるものです。


本当のkazukoさんは、kazukoさんの一番近くにはじめから在った気づきそのものです。

それを深く受け入れていくことが大切です。


日々の小さな合同共鳴や週一合同共鳴に意識参加されると「在る」がより分かりやすいかもしれませんね。

ありがとうございました。

のびのび

No title

のびのびさん、ありがとうございます。

怒りが起こった時に怒りや怒りの内容や怒りの原因などに焦点を当てるのではなく、

「今、急に怒りというマインドが起こって、マインドに巻き込まれている」

「怒りというマインドを表に出していること(家族や職場の人に)を責めている、

という気づきに焦点を当てるということが

それが、気づきそのものの意識(真我)に焦点を当てるという事になるのでしょうか?

あと、気づきと気づきそのものの意識は、違うのでしょうか?

何度もすみません。

何か、霧だらけの風景から、晴れ間がほんの少しですが見え始めている感じがしています。

また、教えていただけたら嬉しいです。

よろしくお願いします。

Re: No title

kazukoさん

コメントありがとうございます。

> のびのびさん、ありがとうございます。
>
> 怒りが起こった時に怒りや怒りの内容や怒りの原因などに焦点を当てるのではなく、
>
> 「今、急に怒りというマインドが起こって、マインドに巻き込まれている」
>
> 「怒りというマインドを表に出していること(家族や職場の人に)を責めている、
> 」
> という気づきに焦点を当てるということが
>
> それが、気づきそのものの意識(真我)に焦点を当てるという事になるのでしょうか?

思考、感情に焦点を当てるのではなく、気づきそのもの(気づいている意識・真我)に焦点を当てるということが「在る」です。

1 思考、感情に巻き込まれている

2 思考、感情に気づいている

3 思考、感情に気づいている意識に気づいている

3番目が「在る」です。
でも、気づきの力が弱い場合やマインドの力が強い場合は、なかなかしっかりと「在る」ことができないかもしれません。

その場合は、2番目のように、とにかく思考、感情に気づいていること、思考、感情が起こっていることに気づいていることです。
そうすれば、1番目のように、思考、感情に巻き込まれて無意識になっている状態ではありません。

できる範囲で構いませんので、徐々に、1から3の状態になるように意識してください。

様々に表現できるのですが、「在る」とは、気づきそのものに気づいている、意識自体を意識している、気づいている主体に気づいている、意識である自分自身を自覚している、自分自身が在ることに気づいているということです。

以前にも、書きましたが、言葉でお伝えするには限界がありますので、実践のなかで、感覚をつかんでいってください。

>
> あと、気づきと気づきそのものの意識は、違うのでしょうか?

気づきそのものとは、純粋な気づき、純粋な意識、真我そのものです。
気づきそのものがすべてに気づいています。
気づきとは、気づいているということです。
(でも、真我を気づきそのものと表現したり、気づきと表現したりということはありますね。)

言葉はそのときどきの流れで使い方が変わってきたり、使う人によっても微妙にニュアンスが違っていたりしますので、全体をハートで感じる、全体のエネルギーを感じるというようにされるといいかもしれません。
また、実践を重ねていくうちに、徐々に、その言葉の意味するところが理解できるようになってきます。

とにかく、起こっていることに気づいていて、そこ(起こっていること)から離れているということが大切です。
そして、戻れるときは、在るに戻ってください。

>
> 何度もすみません。
>
> 何か、霧だらけの風景から、晴れ間がほんの少しですが見え始めている感じがしています。
>
> また、教えていただけたら嬉しいです。
>
> よろしくお願いします。

晴れ間が見え始めてよかったですね。


日常で実践を重ねながら、「在る」を実感していってください。

いつでも、どこでも気づいたら、「在る」に戻ってください。

それを繰り返すことによって、習慣が変わっていきます。

理解の深まりとともに、徐々に「在る」にシフトしていきます。

そして、クリアになっていくほどに、それ(「在る」)が、平和そのもの、喜びそのもの、幸せそのもの、愛そのものであることなども分かってきます。

存在するのは愛だけであり、自分自身が愛そのものであるということも分かってきます。

そこにシフトしていく過程で、マインドが抵抗したりすることも起こってきますが、とにかく理解を深めながら、実践していくのみです。

そうしていけば、変容していきます。

もともとそうであった、本当の自分に還っていきます。


ありがとうございました。

のびのび

No title

のびのびさん、ありがとうございます。

あれから、2,3日しかたっていませんが、

「あ、今、少し、イライラしている」

「今、イライラしていることに気が付いている意識は?」


また、日常生活の中のささやかなシーンでも

「今、洗い物ををしている」

「今、洗い物をしていることに気が付いている意識は?」



その意識のほうに目を向けるようにしていますが、そんな感じでよろしいんでしょうか?


この意識、捉えやすいマインドと違い、色や音や形がない空気のような存在だったんですね^^;

だからはっきり、認識できなかったというか・・・


でもいつも変わらず不動で在りますね。











Re: No title

kazukoさん

コメントありがとうございます。

> のびのびさん、ありがとうございます。
>
> あれから、2,3日しかたっていませんが、
>
> 「あ、今、少し、イライラしている」
>
> 「今、イライラしていることに気が付いている意識は?」
>
>
> また、日常生活の中のささやかなシーンでも
>
> 「今、洗い物ををしている」
>
> 「今、洗い物をしていることに気が付いている意識は?」
>
> と
>
> その意識のほうに目を向けるようにしていますが、そんな感じでよろしいんでしょうか?

はい、そんな感じでよろしいと思います。

>
>
> この意識、捉えやすいマインドと違い、色や音や形がない空気のような存在だったんですね^^;

そうですね。

>
> だからはっきり、認識できなかったというか・・・
>
>
> でもいつも変わらず不動で在りますね。

はい、それは、いつも変わらず不動で在ります。

それが、本当のkazukoさんです。

それに馴染み、それで在ることを確かなものにしていってください。


ありがとうございました。

のびのび

プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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