マインドに対してできること
マインドはとても巧妙です。
常に目的、目標を掲げ、その達成感を味わい、それに満足し、自分の手柄にするのがマインドです。
多くの時間、真我で在れるようになってくれば、そのこと自体がマインドの成熟を促し、変容させていくということもありますが、それでもしぶとい(笑)マインドは、素晴らしい状態、大きな達成の足元をすくい、そのすべてを自分のものとして持っていってしまう可能性があります。
(あるがままに開いている真我を覆い隠す、あるいは、コーティングしてしまうと言ってもいいかもしれません。このような状態では、まだ真我を知っている個人であり、マインドが主になっている状態です。)
そのような性質を持つのがマインドですので、それに対してできることは、マインドはそうであると、ただ気づいていること。
そのようなマインドを排除しようとしたり、抵抗しようとしたりせず、“ただそうである”という理解・気づきを持って、そのようなマインドも含め、すべてをまるまる受容すること。
(まるごとすべてを受容できているときは、全体そのものである愛・真我・在るという状態です。)
そう在ることができれば、まるで真我をコーティングしていたかのように、真我にぴったり張り付いていたマインドは、徐々に、真我から剥がれ落ちていくでしょう。
まるごと受容の愛の中で、自分が愛であったことを思い出し、愛の中に溶けて行くでしょう。
常に目的、目標を掲げ、その達成感を味わい、それに満足し、自分の手柄にするのがマインドです。
多くの時間、真我で在れるようになってくれば、そのこと自体がマインドの成熟を促し、変容させていくということもありますが、それでもしぶとい(笑)マインドは、素晴らしい状態、大きな達成の足元をすくい、そのすべてを自分のものとして持っていってしまう可能性があります。
(あるがままに開いている真我を覆い隠す、あるいは、コーティングしてしまうと言ってもいいかもしれません。このような状態では、まだ真我を知っている個人であり、マインドが主になっている状態です。)
そのような性質を持つのがマインドですので、それに対してできることは、マインドはそうであると、ただ気づいていること。
そのようなマインドを排除しようとしたり、抵抗しようとしたりせず、“ただそうである”という理解・気づきを持って、そのようなマインドも含め、すべてをまるまる受容すること。
(まるごとすべてを受容できているときは、全体そのものである愛・真我・在るという状態です。)
そう在ることができれば、まるで真我をコーティングしていたかのように、真我にぴったり張り付いていたマインドは、徐々に、真我から剥がれ落ちていくでしょう。
まるごと受容の愛の中で、自分が愛であったことを思い出し、愛の中に溶けて行くでしょう。

