そのマインドにも気づいて在ること

受講者
人として

真我で生きること

その有様というのはそれぞれでもありますが

こと真我に対する理解を口にすることは

真我が実現されていることとは

まったく別なことという理解なんです

さらに解脱もまた同じです



そのようにも言えます。


受講者
自己理解は深いからこそそこに至福もあります
理解は無限ですね



そうですね。


受講者
ちょっと知ったくらいで

どやさ!!って(笑)思います!!!

(このマインドにも気がついておきましょう~~)



その通りでもありますが、やはり書かれてあるように、

そのマインドにも気づいて在りましょう。

ここのポイントに関し、何度かご紹介しておりますが、

ニサルガダッタ・マハラジ「I AM THAT」からご参考までに。

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質問者
ラーマクリシュナ・パラマハンサの妻であるサーラダー・デーヴィは、彼の弟子たちの行き過ぎの
努力をよく叱ったそうです。
彼女は、彼らを熟する前に摘み取られたマンゴーに比較して、「どうして急ぐの?あなたが完全に熟し、
甘く、芳醇になるまで待ちなさい」と彼女はよく言ったそうです。

ニサルガダッタ・マハラジ
何と彼女は正しいことか!
多くの者たちが、完全な真我実現前のつかの間の体験で夜明けを昼と間違え、過剰な自尊心から
彼の得たわずかばかりでさえも台無しにしているのだ。
謙遜と沈黙は、どんなに進歩していてもサーダカ(真我の探求者)にとって本質的なものだ。
完全に成熟したジニャーニ(賢者)だけが、己に完全な自発性の発揮を許すことができるのだ。

質問者
あるヨーガのアーシュラムでは弟子が光明を得た後、沈黙を七年、十二年、あるいは、十五年、
または二十五年にわたってまでも守っていくといいます。
バガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシでさえも教えはじめる前に、彼自身二十年もの沈黙を守ったのです。

ニサルガダッタ・マハラジ
そうだ。内なる果実は熟さなければならない。
それまでは戒律を守り、気づきのなかに生きることが必須となる。
徐々に修練はより微妙になっていき、最後にはまったく形のないものとなる。

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また、「理解は無限」ということに関しても、一箇所だけご紹介させていただきます。

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質問者
探求は終焉するときが来ます。
探求者は残るでしょう。

ニサルガダッタ・マハラジ
いいや。探求者は消え去るが、探求は続く。
探求は究極であり、永遠の実在だ。

質問者
探求とは、欠けていること、欲していること、未完成、そして不完全を意味します。

ニサルガダッタ・マハラジ
いいや。それは不完全と未完成の拒絶と拒否を意味する。
実在の探求自体が実在の動きなのだ。
ある意味では、すべての探求は真の至福、実在の至福のためのものだ。
しかし探求ということで、私たちはマインドを超えた光としての、意識的存在の根本である真我を意味している。
この探求が終わることはけっしてない。
それと同時に、それ以外のすべての落ち着きのない切望が終わらなければならないのだ。
 実在、神、あるいはグルの探求は、真我の探求と同じだということを理解しなければならない。
ひとつが発見されると、すべては発見されるのだ。
「私は在る」と「神は在る」があなたのマインドの中で区別不可能となったとき、何かが起こる。
そのとき疑いの余地なく、神が存在するのはあなたが在るからであり、あなたが存在するのは神が在るからだと知るだろう。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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