すべてはただひとつであるものの中で、ただひとつであるものとして繋がっている

受講者
最初の共鳴
外に向かって広がっていく、全体。途中で家の外で会話している声が耳に入りましたが、その声も全体だと感じました。
また途中で先週起きた出来事が出てきましたが、その過去の出来事も全体と感じました。



はい、全体とはまさに全体、すべてのすべて、あらゆるものを含み、あらゆるものを包み込みます。
在るは、全体そのものであり(その他、同時に全体の一部として自己認識される在り方や、よろこびそのもの、
平和そのもの、自由そのもの等、無限の在り方があります。)、それは愛としての在り方とも言えます。


受講者
アイコンタクト
広がっていくのを感じていたら、身体が気になり、「身体が制限」「思うようにならない身体」というのが出てきました。
ぼわーっとした感じになったのですが、アイコンタクトだったことを思い出したところ、在るに戻ってきました。



はい、そのように自然に広がり等を感じられたり、在るに戻ったり等を繰り返していかれるといいですね。


受講者
瞑想
上下左右のない、無重力の広がり。その中で急に寒気を感じ、そうしたら身体に焦点が移った感じになりました。



上下左右のない・・・というところは、「何ものでもない(あるいは、何ものでもない何か)」というところの本質(無、空)でもあり
それ自身を支えるそれ自身とは別の対象(セルフイメージ、自己観念や記憶等も含め)がない状態、
他の何かを通して自己を認識するということがない在り方、
直接的な在り方、
自らに虚しく(空しく)在り、自らに満ちて在る、
それ自身がすべてであり、それだけで在れるもの、他の何ものも必要とせず、それ自身から始まれるもの、
在るですね。

寒気は、本質的に在ることで、何か浄化的なものが起こったのかもしれませんね。


受講者
在るは全体でもあるけれど、身体や個人で区切られることによって、違った感じ方や体験を味わえるのかなと思いました。



はい、在るは全体であり、また無限ですが、その在り方、立ち位置、視点、理解等により、
それぞれに違った感じ方や体験が可能となり、無限であるそれ自身を無限に知っていくことができます。


受講者
ハートの共鳴
暖かく広がっていく感じとそれを包み込む感じの両方を感じました。



ただひとつであるもの、あるいは、すべてのすべてであるものは、そのような在り方をしています。
トータルな感じですね。
(いつも両方というわけではなく、片方だけが感じられる場合もあります。)


受講者
日常生活では、一つ一つあったことを思い出すと、不快感だったり、胸に嫌な感じが残るようなこともあったのですが、
それらの感情や感覚を長く引っ張らないようになってきたかなと思います。全体として見ると「大丈夫な感じ」がしました。



在るが意識されることで、その質(本質)がより開かれ、活性化し、存在全体、そして、それそのものである日常に、
より浸透してきている感じがありますね。


受講者
生活の中で在るを意識することが、だいぶできるようになってきた感じがある一方で、
これは本当に在るを感じられているのだろうかという疑問になって現れたり、
またある時は、在るって前から普通に自然にそこにあったのに、在ると認識していなかっただけじゃないかという思いが出てきたりしました。



それがそうであると、在るが在るであると認識されること、自覚されること、

さらには、自分自身、自己が在るであると自覚、そして、理解されることがとても大切です。

そのことにより、その本質は存在全体により開かれてくるようになります。

それまでは、在るの自己覚醒が起きていない状態、あるいは、在るの自己覚醒を認識できていない状態、

在るがそれ自身を自覚できていない状態、在るが自分自身に目覚めていない在り方であるということもできます。

(「在る」の直接的な自覚がなくても、あるいは、在るが開かれてあることの自覚がなくても、本質が活性化され、

また、様々な経験により存在全体が成熟し、ご自身なりの自己理解、世界についての理解を持たれ、

素晴らしい在り方をされている方はいらっしゃいます。

存在の在り様は、無限に多様です。)


受講者
「在る」が、すごく特別なものでもない、と感じられたことは、自分にとってはほっとすることでもありました。



はい、すべてであり、また、すべてを支え、すべてを育み、すべてに浸透し、すべてを包み込んでいるもの、

時空次元を超え、不変不動、普遍的であるものは、普通そのもの、当たり前そのもの、自然そのもの、日常そのものとして、存在、実在しています。

本質的なもの、普遍的なものは、(特別なものとしても現れることはありますが)特別なものとして存在することはできません。

在るということ、存在している、ということは、存在するすべての存在にとって、特別なことではありません。


受講者
自分がこれまで学んできたことや体験してきたことの中に「在る」が元々あったことに気づき、繋がっている感覚を覚えました。



ただひとつであるものの中ですべてが起こり、流れ、循環、(そのときどきで個々別々に見え、感じられる)展開そのものが、
ひとつであるものとしてのそれである、という理解の助けになるかもしれませんね。

これまで学んでこられたこと、体験されてこられたことは、すべて繋がっていて、どの一つの学び、どの一つの体験も、
他のすべての学び、他のすべての体験のためになっており、すべてが(すべてである)自分自身のためになっています。
すべてが何一つ例外なく、すべてが何一つ排除されることなく、すべてのためになっています。

(ただひとつであるものである在る、ただひとつであるすべての中で起こるひとつひとつも、すべてそのものです。
全体そのものが減じられることはけっしてありません。
その視点、立ち位置、理解等により、一部と感じたり、様々な角度を体験することは可能ですが、
その本質自体は変わることがありません。
全体から起こることすべては、全体そのものであり、そして、ひとつひとつがそれ自身で完結しているとも言えます。
━そのような視点からは、全体から起こるひとつひとつが完結していて独立していると見ることができ、
また、同時に、すべてが繫がっていて、すべてが無限に関係している、という在るの
マインドではとらえきれない大きく奥深い在り方を理解する助けになるのではないかと思います。
それは、絶対的に独立していて、そして、自分自身であるすべてと無限に関係しています。
無限に関係していながら、絶対的に自由です。
自らに由るそれは、そのような在り方で在ります。━
あるいは、同時に起こっているすべての関係性そのものとして完結しているとも言えます。
そして、時間の流れ、物事の展開という視点から見れば、起こったそれが存在に吸収され、叡智となり、種となり、
そこから新たな起こり、創造、誕生があります。
そのような視点からは、前述したことと重なる部分もありますが、
起こる一つひとつは、それ自身がすべてであり、それ自身で完結していると同時に、
時間の流れ、時空の中で起こっているすべてと繋がっている、すべてはただひとつであるものの中で、
ただひとつであるものとして繋がっている、ということができます。)

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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