大事なのは、そのときにどう在るか

受講者
瞑想では


無空さんに尋ねておりました。。


無空さんは

何かを伝えている人なのでしょうか


「在る」ことで伝わっていく

このいのちの喜びは

誰のものでもありません

そんな風に思うのです



はい。

誰のものでもなく、

(誰かが独占し、所有しているものではなく、

あるいは、本質的には、それは所有するという類のものではなく、

また、それを所有できる存在というのも実在ではなく、)

また、すべての存在に開かれているもの、

ただひとつであるものでありながら多様性として現れている、

(現れていながら、けっして現れていない)そのような在り方の中で、

すべての存在が、それそのもの(いのちの喜びそのもの)であることを

それ自身として認識し、味わうことができるものであると言えます。

(味わうものと、味わわれるものはひとつである。

わたしは、よろこびであり、

よろこびは、わたしである。

わたしは、いのちであり、

いのちは、わたしである。)


受講者
先生という立ち位置に立ってしまうと

伝えるとか教えるとか

肝心なものはまったく伝わりようがありません。。。



どの立ち位置に立とうとも、

あるいは、どの立ち位置が現れようとも、

それが純粋なものであれば、

あるいは、立ち位置そのものとしてただ在ることができれば、

必要なものは伝わっていきます。

あるいは、そのときに必要なことが起こります。

(起こること、伝わることが、必ずしも、受け取る側の自我が

期待するものでない場合もあります。

━真我、在る、愛、全体、自然は、何が起こっても、

その一瞬一瞬において、ただそうであるの全肯定、

相対的な否定、否認、非受容も含め、

「ただそうである」で在り続けます。━

何も起こらないことがそのときに必要であれば、

そうなることもあるでしょう。

そして、体験を重ね、マインドの成熟も促されてくると、

全体として、そのときはそれでよかった、

あるいは、そのときはそれが起こるのが自然なことだった

等の理解も起こってくるでしょう。

いずれにせよ、起こることが起こります。

大事なのは、そのときにどう在るか、

起こったことをどのように受け取り、

どのように認識、理解できる視点、立ち位置に在れるか、

どのような存在として在れるか、

どんなときも自分自身で在れるか、

全体としての自然(愛)、

自然としての全体(愛)で在れるか、

そのようなところですね。)

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

初めてご訪問頂いた方へ
悟り|無空庵
お知らせ
公開・週一合同ゼロ意識共鳴
ご案内
浄化のときにはこちらへどうぞ
最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク
検索フォーム
QRコード
QR
RSSリンクの表示