それそのものとして在ることを繰り返していくことで、存在全体の成熟が促されていく。そして、真なるものが実現されていく

受講者
無空さんがブログのプロフィールに書いていらっしゃる、「本質的に世界の役に立つ、万物のためになる、ということはどういうことなのか」ということを、最近は日々、自分に問うているような気がします。

考えるでもなく、ただ問うているその問い。

小手先ではなく、ほんとうに世界の役に立つということ。

言葉にすればひとことなのかもしれませんが、それを深いところから理解したい。

それを体現したい。そう強く願っています。



素晴らしいですね。

その思いは(思いの強さ、純度、真なる部分が)、真なるものの実現、体現へと導いてくれるでしょう。


受講者
無空さんのおかげで、日々満たされながらも、真のじぶんと向き合うことができています。

いつもほんとうに、ありがとうございます。



本当の意味で、(すでにそうであるもので在りながら)準備ができてきた感じですね。

あなたもスタートはそこからでしたが、今は全体の意識が高まってきて、

悟りの一瞥、覚醒体験などは比較的起こりやすくなってきているようにも見受けられます。

ただ、本当の意味で、準備ができている方、できてきている方はまだ少ないのではないかとも思われます。


(これもひとつの視点であり、誰もがすでにそうであり、今そうであり、

それぞれの今が完全に実現されている、すべての存在において等しく実現されている。

すべては同等、という視点も同時に在ります。

━すべては同等という視点は、在る、真なるところにおいては不可欠なものです。━

それぞれの在り方は、それぞれの方において、そのときの真実であり、そのときの絶対です。)


無空庵で言う「真我を知っている個人から、個人を知っている真我へ

━主体のシフト、主体の純化、

主体、客体という二元性を超えた主なるもの、

全体そのもの

それであるもの、

それだけで在れるもの、

ただそれだけであるもの、

あれでもなく、それでもないもの、

あれでもあり、それでもあるもの、

何ものでもないもの、

何ものでもあるもの、

すべてであるもの、

ただひとつであるもの、

ただひとつであるすべてへ━」、

また、無空庵のセッションで、必要に応じて起こる「(そこに)個人はいますか?」、「それは個人ですか?」等の問いかけ、確認。

以前、Y.Mさんの感想の中にあった原田雪渓老師のところで参禅されている方の文章の中にある、

「それで、貴方はどうですか?」という原田雪渓老師の問いかけ、

(その部分をY.Mさんの感想より、ご紹介させて頂きます。)

***********

以下 「禅友に贈る書」より引用

*:..o○☆*¨*:..o○☆*¨*:..o○☆*¨*:..o○☆*¨

ほどなくして、今まで「霧の中」のことが手に取るように解ったのです。

昨日とは違う世界が広がりました。

森羅万象が輝いているのです。

何も変わらないはずの森羅万象がそこにあるのです。


今振り返れば「仏法が理解出来た」のです。

当然、祖録や公案は我が事のようになりました。

「どこかの宗派・団体ならば【見性】だと大騒することになる」と、ある僧侶からも言われました。

確かに、以前とは違う自分がいるのです。



原田雪渓老師に独参し、様子を話しますと、老師は目を閉じ無言で聞いていました。

そして、

   「それで、貴方はどうですか?」

と聞くのです。


そこには、

「仏法を理解した自分」「仏法を知った自分」「それを眺めている自分」が残っていたのです。




ここからが禅修行の始まりでした。

「仏法を理解した自分」「仏法を知った自分」「それを眺めている自分」を忘れる修行の始まりです。



禅修行は「眺めている自分」が無くならないといけないのです。



原田雪渓老師は数少なくなった「仏法を理解した自分」「仏法を知った自分」「それを眺めている

自分」を「忘れる修行」を指導出来る指導者です。



*:..o○☆*¨*:..o○☆*¨*:..o○☆*¨*:..o○☆*¨

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フーマンの「恩寵の扉が開くまで」の中にある


【もしあなたが「数か月前と比べて自分というものをあまり認識しなくなった」と感じ始めたら、それが自分に変容が起こり始めたと知る時だ。】

という言葉。

これらを読んでいて、ポイントを理解できる方は幸いです。

ただ、「自分」(個人である自分)がなくなるということの真のところを、

その自分側、マインド側からは理解できません。

フーマンが言う「純粋な主観性」、

ニサルガダッタ・マハラジが「I AM THAT」の中で言っている

「アイデンティティは残る」と言うときの「アイデンティティ」。

(ここで言っているのは、個人のアイデンティティではありません。

もちろん、個人にまつわるものも、必要な時には自然に起こってきますが。)

これらは、ある意味、在るの一つの側面、在り方であり、

個人である「自分」、個人である「私」ではありません。

あるいは、個人である「自分」、個人である「私」の核にあるものとも言うことができるかもしれません。

すべてが落ちてもそれは残ります。

(ラマナ・マハルシ「不滅の意識」の中にある、

【われわれはわれわれ自身の真我を実現する努力をあざ笑わなければならないときが来るであろう。
というのはわれわれは真我実現以前と以後において同じであることを、見いだすであろうから。】

も、本質であるそれを見事に表現されていますね。)

それは、何が起こっても影響を受けません。

それは、状況、環境等に左右されるものではありません。

それは(その在り方は)、そこに映し出され、展開している映像やその内容に、

影響を受けないスクリーンのようでもあり、

また、その上で何が演じられていようともまったく影響を受けない舞台のようでもあります。

それは、気づいている意識そのものであり

在るという事実そのもの、

継続性そのもの、

存在性そのもの、

純粋性そのもの、

そして、愛そのもの。

真なるもの。


それを知り、

(さらに深く知り、

━それが、ただ在りながら、

あるいは、ただ在ることで、どのように働いているか、

その大きさ、深さ、精妙さ、微妙さ、絶妙さ、

的確性、絶対性、純粋性、全体性、無限性、事実性、

自然さ、普通さ、当たり前さ、単純さ、

不思議さ、神秘さ、玄妙さにおいて、

幽玄、壮麗、荘厳さにおいて、

やわらかさ、やさしさ、あたたかさ、明るさ、軽やかさ、

堅固さ、強さ、確かさ、静けさ、落ち着き、やすらぎ、くつろぎ等において

そして、その真の正しさ、真の美しさ、

幸せであること、よろこびであること、

その愛において、

どれだけの働きをしているかも含め、深く知り━)

その立ち位置に立ち、

(より的確に立ち)

それそのものとして在ることを繰り返していくことで、

存在全体の成熟が(さらに)促されていきます。

そして、真なるものが実現されていくでしょう。

(より深く、よりトータルに実現されていくでしょう。)

今、真なるところから強く願われているものが

実現されていくでしょう。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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