真の普通

受講者
瞑想では、見ている私が、どんどん退行してゆき
消滅し、宇宙空間にいるような感じになりました。

凄いより、普通でした。
でも、凄いって言った方が、伝わるかしらとも
思いました。



はい、「普通」は「すごい」ですし、「すごい」は「普通」です(すごい=普通)。
それが、在るの場の事実、
在るの事実(在り方)です。


受講者
でも、本当は、とても普通でした。



そうです。
それ、そこは、本当はとてもとても自然で馴染み深いところ、
そのままの自分自身であるところ、
とっても普通なところです。


受講者
ハートの共鳴では、こだわりや、判断をもっと
無くしたいと思いました。
とても、身体が暖かくもなりました。



真の自己、在る、本来の自分、そのままの自分であれば、
後から付け加わった余分なものは、自然に落ちていきます。
あるいは、それだけがあるという視点からは、
それ自身の中で起こった、ある意味、偏った見方、一面的な視点、制限や歪み、
滞り、疲労、または、ただ単に、状況、環境により、自然に生じた見方、
視点、理解、習慣、観念等で、今は不用になってきたものは、
自然に溶け、本来のニュートラルな状態、ニュートラルなもの(ゼロ、無、在る、愛、全体、ただひとつであるもの、普通)に
還っていきます。
そして、真のニュートラル(ゼロ、無、在る、愛、全体、ただひとつであるもの、普通)は、それ自体は完全なニュートラルですが、
今回、身体が暖かくなられたように、それに触れるものすべてに暖かさを与えていきます。
(必要なときには、クールダウンも起こるでしょう。)
またそれは、それ自体は明るくありませんが、触れるものすべてに光(気づき、明るさ、明晰性等)を与えていきます。

(それ自体がそれに触れること、それ自身に気づくこと、それ自身をそのまままるごと━知らない、分からない、
未知そのものであるという側面、明るくないという側面も含め━受け入れることにより、
自らも光そのもの、輝きそのもの、気づきそのもの、自覚そのもの、覚醒そのもの、光明そのものとして在るようになります。
━知らないを知っている状態、受け入れている状態、在り方、理解━
それは、それ自身で在り続けること、在るで在り続けること、自らに気づき続けることで、
自らに与え続けていきます。すべてに与え続けていきます。
すべてである自分自身に与え続け、また、受け取り続けていきます。
ただひとつであるものの中で、絶対安心、絶対安全、絶対調和の中で、
無限の循環、永遠の循環、循環なき循環、更新、深まり、拡大が続いていきます。
自らはそれらを十分に認識し、気づき、体験し、実感し、実現し、味わいながら、同時にまったくとらわれず、すべてを超えて在りながら。)

さらに、それ自体は生命そのものでもあり、生きているという表現は適切ではないとも言えますが、
それに触れるものすべてに生きる力、生命力、活力、創造性を与え、
また、必要なものには、休息、癒し、正され、整えられる、バランスされること等が起こります。


受講者
終わった後もあまりにも普通すぎて、本当は
普通が、すぐそばにあって
今までは、全然普通ではなかったように
思いました。



はい、真の普通を知ると、そのように感じるのも自然なことですね。

そして、書かれてあるように、普通はすぐそばに在ります。

それが一番大切なものです。

最も大切なものは、最も大切なだけに、最も近くに、けっして離れることなく、
自分自身から距離ゼロのところにあります。

自分自身から距離ゼロのところに在るものとは、自分自身です。

そしてそれが、普通そのものでもあります。

そこは、とても安心できるところ

真に安らぎ、真に寛げるところ

そのまま、素のままの自分で在れるところ

とても懐かしくもあるところ

普通そのものは、自分自身にとって最も近くに在る最も大切なものであり、

それこそが、自分自身とゼロ時間、ゼロ距離に在る自分自身です。

愛とは、最も大切なものを、最も大切にすること。

それは、自分自身から距離ゼロのところに在ること。

自分自身であること。

在るであること。

ただ在ること。

在ることが愛。

本当の自分とは、愛そのもの。

そして、本当の自分とは、普通そのもの、

それはいつも変わらずに在るもの。

愛=普通=在る=本当の自分

それ(在る、愛、真の自己)は、あまりに近くに在りすぎて、馴染みすぎていて、普通すぎていて、
なかなか注意が向けられず、また、注意が向けられてもなかなか気づかれず、

(マインドはその自然な傾向により、普通でない方により注意が向きやすく、普通でない方に気づきやすいです。
━また、普通をつまらないと感じやすいです━
生存本能により、危険を察知したり、移ろいゆき不確実な自らを他と比較し、その違いや特別性を感じることで
自らをより確かなものと感じるために、
あるいはただ単に、個人としての自らに━究極的には在るに━様々な体験を与えるために、
また、今よりももっとよくなろう、よりよくなろう等の性質がそうさせます。
━在るの自然本性にもまた、無限にそれ自身を更新し、深め、広げていくというものがありますが、
ある意味、未成熟なマインド、分離感、欠乏感等をベースとして働く場合のマインドのそれと識別することができます。
在るのそれは、満ちたまま、全体性をもったまま、それ(自己更新、無限の深まり、無限の広がり)が
自発的に自然展開されていきます。
わたしたちの生活は、新しいものが発明されたり、様々なものが改良、改善されたりしながら
どんどん便利で快適になっていきますが、そこには、在るのそれ、あるいは、在るのそれと成熟したマインドが一緒に働いています。
人を通してのその純度や深さ等がどのくらいか、そこにどのくらいの全体性・愛、全体的な視野等が純粋に働いているか等により、
それが全体に与える影響等が違ってきます。━)

そして、一時的に気づかれても、そこに落ち着ける準備ができていないと(プロセスという視点からの成熟)大切にされません。

また、「今までは、全然普通ではなかったように思いました。」と書かれてありますが、
ただひとつであるものである普通そのもの(在る、真我、愛、全体、気づいている意識、無、空)がそれ自身に気づき、
それ自身を深く知る(それ自身の普通さや凄さ、素晴らしさ等)プロセスとして、
普通ではないという視点、見方、波、ゆらぎを自らの中に起こし、
あるいは、それぞれの在り方、立ち位置、理解等に応じた「様々な普通」という視点、見方、波、ゆらぎを自らの中に起こし、
その視点、その経験を通っていくことで、真の普通が実現されるという見方もできます。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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