変わらない源である真我の視点からは、ただひとつの真我から多様な個人、多様な個々が現れている

受講者
真我と言うと大体の人は個人の真我を言っています。
例えば、悟りを開くことは真我に目覚めることだとか。
それは、個々の真我という感じの言い方ですよね。



はい、現れ側から言うと、どうしてもそのような表現になってしまいますが、
(そのような表現の方が個人の立ち位置にいる方には通じやすいため。)
変わらない源である真我の視点からは、
ただひとつの真我から多様な個人、多様な個々が現れています。


受講者
真我に目覚めた人でも、個々に見ているものが現実では違うわけですよね?
真我から見た時でも、現実が影響して同じように見えると
言うわけでもないのでしょうね。



本質は同じですが、その感じ方、感じる深さ等には違いがあるということは
言えます。


受講者
真我というのは究極的には同じなんでしょうけど、
真我の一部で各自が観ているという感じなんでしょうか?
よく言葉では表現できないと言いますから、
良く解りませんね。



はい、真我は無限であり、計り知れないもので、
無限の視点、無限の側面がありますから、
マインド的に理解しきることは難しいですね。
真我の一部という表現すら、適切でない場合もあります。
(そのような表現が、視点や話の流れとして自然な場合もあるかもしれません。)
それは、均質でひとつであり、これも適切な表現ではないですが、
どこをとっても全体であり、すべてです。
真我はそのような在り方をしています。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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