「在る」をより深く、よりトータルに知ることで、在り方もより的確になり、また、より大きく、よりトータルになる

受講者
人はその本当の望みを

知っているのでしょうか

私自身が

始めの頃より「なぜこの肉体を持って

この世にいますか?」など

なかなかにしつこい疑問なんです~~



究極的には、「ただそうである」ですが、

個々それぞれ、またそのときそのときで、

(そのときの状態や状況、立ち位置、視点、理解の深さ等により)

無限の答えがあるとも言えます。

一例として

源としての在ると、その現れという視点からは、

在る(の素晴らしさ等)を体験を通して知ること、

在るの表現、実感、

その無限の可能性の実現、

等をそこに見ることができますね。


受講者
まだまだ

すっきりと

ぴったりと

真我の実現は実感してないといったところでしょうか~



ひとつのポイントとして。

ニサルガダッタ・マハラジ「I AM THAT 私は在る」より

『ほとんど気がつかないほどの真我の実現が起こるかもしれない。
だが、とにかくそれには確信が必要なのだ。
変わったにもかかわらず、それに気づかないでいる。
そのような劇的ではない場合のほうが、
しばしば、もっとも信頼のおけるものなのだ。』

無空庵では、気づいたら変わっていた、ということがよく起こります。
そのような変容、真我の実現は、とても信頼できるものです。
それは、日々、日常を生きている中で、とても自然に起こっていきます。

(それゆえ、ご本人がそれに気づかない場合や、
気づかないゆえに実感が薄い場合もあります。
それを確認、自覚、確信できるように、セッションでご報告を頂いたり、
共鳴を通して、確認等を行っていきます。
そして、その確認、自覚、確信により、それはより確かなものとなります。

━実在が、より実在するようになります。
実在も気づかれなければ、認識されなければ、
あるいは、それに対する真の理解がなければ、ある意味、無いに等しいとも言えます。
(気づかれていなくても、真の理解がなくても、実在に支えられ、包まれ、
大きな恩恵を常に受けていることもまた、確かなことではありますが。)
それは、気づかれるべく常にそこに在り、
あるいは、自分自身(真の自己)として実在、常在していて、
気づかれる可能性はいつもある状態であるとは言えますが、
焦点がそこに的確に当たっていないならば、
あるいは、それに対する真の理解がないならば、
それはあるレベルでは活性化されておらず、
潜在している状態、眠っている状態とも言えるかもしれません。━

また、継続のセッションということで言えば、
確認により、在り方がより確かなものとなり、
今度は、その確かな在り方を足場として、
さらなる深まりへと進んでいくことができます。
そういう意味で、確認、確信というのは、とても大切です。)

真の変容や真我の実現も、それくらいとても自然なものとなっていて、
それは、けっして過ぎ去ったり、消え去ったりするものではありません。
そこには、それをとても素晴らしいものであると同時に、
とても自然で、とても普通で当たり前のものとして受け入れている
成熟したマインド(ハートとマインド)、
とても落ち着いたマインド(ハートとマインド)があります。

また、変容や真我実現が起こると、それはとても自然なものとなっているので、
「ずっと前からそうだった」という感覚になることもあります。
(以前の状態、在り方がなかなか思い出せなかったり、
本当にそうだったのか、あいまいになったりすることもあります。)
別の視点からは、「すでにそうであった」ことを思い出す、再認識する、
(初認識、初自覚とも言えますが。)とも言えます。
本質部分はまさに変わっていないとも言えますが、現れを含めた存在全体は、
大きな変容を遂げています。


その他のポイントとして、まだすっきり、ぴったりしていないということは、
より的確な在り方、立ち位置に立てる可能性が十分に残されている、
ということでもあります。

「在る」(その本性、在り方等)をより深く、よりトータルに知ることで、
在り方もより的確になり、また、より大きく、よりトータルになり、
お持ちの疑問も解消されていくでしょう。


受講者
いえいえ

ここまででも十分にその理解は進み

それを生きるところではありますが。。

きっと業が深いのか。。

何か大きな理解が抜けているような

とっても大事な部分が(メインデッシュのようなもの)

抜けているような気持ちでいます



在るの立ち位置に在れば、「なぜ」は起こりません。

(「なぜ」もまた、究極的には、在るから起こっているとも言えますが、

在るは、それ自身から起こったすべてのものから自由でもあり、

「なぜ」を所有することも、「なぜ」を引きずることも、

「なぜ」にひっかかることも、「なぜ」に悩まされることもありません。

在るは、それ自身から起こったものから、ある意味、まったく影響を受けません。)

また、別の視点からは、(真の)「なぜ」を通して、存在全体の成熟も進んでいくでしょう。

在るの無限の可能性が開かれ、実現されていくでしょう。

現れの世界も、より豊かなものとなるでしょう。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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