マインドが一時的にかなり落ちている状態

受講者
先日、車を運転中、ヒヤっとした事がありました。
運が悪ければ、即死だったなーと思った瞬間、もしかしたら死んだのかな?と

一瞬、生きているのか?死んでいるのか?分からなくなりました。



あなたのことですから、それを機に、マインドが落ちたのかもしれませんね。


受講者
他人と会話ができたので、生きているんだろうなーって感じです。
家に帰り、家族とも話ができたので生きてる。と確認できました。

そして、その生きているのか?死んでいるのか?分からない感覚は丸一日たった今もあり、死後49日間のこの世にさまよっているような感覚です。



あわてるわけでもなく、感情も起こらず、冷ややかで、ただ静です。
今を生きておらず、どこか死んでいるようです。
この感覚は何なのでしょうか?



マインドが一時的にかなり落ちている状態です。
そのときの感覚は、人それぞれとも言えますが、わたしも25年くらい前に、会話などの受け答えはできていましたが、その内容、その他、すべての物事の重さ、価値観がなくなったという体験が数時間続いたことがありました。(やはり、あわてることもなく、変わった状態だなあ~、これはいつまで続くのだろう、くらいに思っていました。)
その他、その体験の最中には、本を読んでも内容が分からないという方もいらっしゃいました。
また、10円と1000円の違いが分からない状態という例えを使われた方もいらっしゃいます。
(実際は、正しい支払い等は起こるでしょう。)
でも、物事は滞りなく流れていきます。
マインドが起こってこないので、そこに個人はいません。
(落ち方もある意味、それぞれとも言えますが、微細で透明な認識、ある意味、最小限のゆらぎとも言える物語化していかないシンプルな思考等はあるでしょう。また、現れの世界で、関係性等を含め、自然に機能する上での必要最小限の透明な個はあるという言い方もできるかもしれません。)
それまで、すべて、個人が行っていたと思っていたものが、個人がいなくても、同じように起こって来ているのが、確認できるかもしれません。

「あわてるわけでもなく、感情も起こらず、冷ややかで、ただ静です。」

それは、静かそのものです。

「今を生きておらず、どこか死んでいるようです。」

それは、現れ的な生死を超えています。

「生きる」というのは、現れの中(あるいは、現れを通して)で可能なこと、

起こることです。

「生きる」を超えているものは、生命そのものです。

それは、相対的な生も死も超えています。

ただ、それが在るのすべてではありません。

(その体験の中に、すべてが含まれている、隠されている、ということはできるかもしれませんが、

感じられている質等は、ある意味、無限にある在るの質の中のひとつ━そして、その無限にある質の

ひとつひとつにも、無限の深さ、広さ、厚み、奥行きがあります━、ひとつの側面ということができます。)

マインドもまた戻ってきます。

(大きく変容して戻ってくる場合もあれば、一部が変容、あるいは、深いところでの変容はあるが、

現れている部分ではほとんど変わらないような場合もあるでしょう。

それは、その体験前のマインドの成熟度合い等にもよります。

━思いっきりマインド的でそれが極まで達していたり、限界まで個人が頑張っていた場合、

また、これもそれまでの体験、人生経験の積み重ね、成熟度合い等にもよりますが、

個人ではとても耐えられないような状況、受容できない状況等に直面した場合などにも、

マインドがかなり落ちる、一方の極から反転するように、かなり変容するということもあるでしょう。━)

体験を重ね、在るをよりトータルに知っていきましょう。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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