マインド(現れ)=在る という立ち位置に立つには、すべてを超えていく必要がある

受講者
新年初のセッション。

今年に入り、新しいことにチャレンジしたい想いが
湧きあがっていることをお話ししました。

昨年までは、足し算よりも引き算、
手放すことを中心として、

穏やかで平和に「在る」そのものとして
過ごすことに意識を向けておりましたが、

今年は、クリアになかから生まれた純度の高い想いを、
顕れの世界で実践し行動してみたいが湧いてきました。

「マインド的でなく、在るそのもので
 これらを実践するときのアドバイスはありますか?」

無空さんにご質問をさせていただきました。
すると・・・

「マインドであるか、在るであるか
 判断さえしない、気にしないでただ行動していることが
 モアベターですね」



そのように自然に在れるというステージ(自己理解の深まり)があります。
そこではすべてが在るであり、マインドであるか、在るであるのかの問題は消え去ります。
そこは、マインドであっても(マインドと識別されるような現れ方のものであっても)、
マインドではないとも言えるステージ(自己理解の深まり)、立ち位置、
あるいは、マインド=在る、と言えるステージ(自己理解の深まり)、立ち位置です。

その立ち位置、在り方においては、起こっていること(姿形)、現れていること(姿形)は
それまでと同じように見えても、質がまったく違ったものになっていたり(純度、透明感、軽やかさ等)、
全体の中における自然さ等が違っています。

そのような在り方によりシフトしていけるといいですね。

参考までに、セッションを受けられている他の方からの感想に、引用されていたものを

ご紹介させて頂きます。

「禅友に贈る書」より引用
>
> *:..o○☆*¨*:..o○☆*¨*:..o○☆*¨*:..o○☆*¨
>
> ほどなくして、今まで「霧の中」のことが手に取るように解ったのです。
>
> 昨日とは違う世界が広がりました。
>
> 森羅万象が輝いているのです。
>
> 何も変わらないはずの森羅万象がそこにあるのです。
>
>
> 今振り返れば「仏法が理解出来た」のです。
>
> 当然、祖録や公案は我が事のようになりました。
>
> 「どこかの宗派・団体ならば【見性】だと大騒することになる」と、ある僧侶からも言われました。
>
> 確かに、以前とは違う自分がいるのです。
>
>
>
> 原田雪渓老師に独参し、様子を話しますと、老師は目を閉じ無言で聞いていました。
>
> そして、
>
>    「それで、貴方はどうですか?」
>
> と聞くのです。
>
>
> そこには、
>
> 「仏法を理解した自分」「仏法を知った自分」「それを眺めている自分」が残っていたのです。
>
>
>
>
> ここからが禅修行の始まりでした。
>
> 「仏法を理解した自分」「仏法を知った自分」「それを眺めている自分」を忘れる修行の始まりです。
>
>
>
> 禅修行は「眺めている自分」が無くならないといけないのです。
>
>
>
> 原田雪渓老師は数少なくなった「仏法を理解した自分」「仏法を知った自分」「それを眺めている
>
> 自分」を「忘れる修行」を指導出来る指導者です。
>
>
>
> *:..o○☆*¨*:..o○☆*¨*:..o○☆*¨*:..o○☆*¨

在るそのものであることを所有している自分、

在るそのものであることを使っている自分はどうか?

というところに気づいていきましょう。

そう在ることで、より主体の純化、そこから起こるものを含めた全体の純化が進んでいきます。

マインド(現れ)=在る という立ち位置に立つには、すべてを超えていく必要があります。


受講者
とのお言葉に、腑に落ちました。

本当にそうですね。

今ここで、判断さえない「在る」そのもので
淡々と起きてくる行動を、起きてくるがままにただやる。

それでいいんだと深いレベルで受け取りました。



はい、起こることを起こるがままに純粋に起こらせましょう。

在って、そして、気づいて在りながら。

(“ただやる”だと、現れモード、個人モードの可能性があります。━主体が個人━
それにも気づいて在れば、より在るの方に根付いて在れるでしょう。)


受講者
また、こんな質問をさせていただきました。

「これまでの共鳴2年の経緯もあり、
 だいぶ在るが浸透しているので
 マインドが差し込んできたら、
 すぐにそれだと気づくワタシ自身ではありますが、 

 『流れに乗っている』と思っている時こそ、要注意だなって
 感じています。
 『在るの仮面をかぶったマインド』を見逃してしまって
 後で気づく経験が多々ありまして・・・。

 ま、それでも結果的には、気づけているので、
 それでいいんでしょうけど・・・」

それに対し、

「気づいている意識に向けることです」

とシンプルなお答え。



ただ在る、ただ気づいている(在る)、気づいたら(在るに)戻る。

の基本は、すべてに通用します。


受講者
その瞬間にまた、いろんなことが腑に落ちました。

つい、ケーススタディ的なことを
問いかけてしまいますが、

原理原則はひとつ
「在るに戻る 在るに意識を向ける」

ということ。

顕れの世界では、
どんなにさまざまなバリエーションがあっても
これらは、本質、基本に集約される。

本当にそうですね。

ついわかっていても、現実の目新しいものに
目を奪われてしまい、
そこからはっと気づきもとに戻って行く、
この行ったり来たりのプロセスを味わっていますが、

「やっぱりそうだよね」 と

繰り返し、繰り返し、
一滴、一滴染みわたるプロセス

これも味わい深きものだなーと感じます。



はい、体験し、戻る。
それを何度も(純粋に、新鮮に、より味わい深く)繰り返していくのが、
動かざる在るの行進(更新)とも言えますね。


受講者
2014年も、すったもんだしながら(笑)
在るそのもので、体験し味わっていきたいと思います。

これまでどおりの温かな見守り、サポート
どうぞよろしくお願いします。



はい、昨年末のセッション、そして、頂いた感想に、

【「在る」そのものを主体とした生き方

2014年はそこに意図して・・・
いえ、意図するものがいなくなる・・・
そんな人生を味わえたらと思います。】

とありましたので、主体の純化、シフトというポイントにも

より注意を向けながら、在りましょう。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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