真の理解(悟り)へと立ち戻ること

受講者
実は今日のセッションが終わってしばらく経ってから、
「消えてしまいそう」という感覚に襲われています。
自分というものが無くなってしまいそうで、
(その自分というのが自我なのかカラダなのかはよくわからないのですが。)
その感覚がとても怖くて怖くて仕方がないです。
「世界にはわたし一人しかいない」という感覚も同時にあります。
このわたし一人・・・というのは、ワンネスとか一体感とかポジティブな感じではなく、
孤独感があり怖い感じです。


わたしに何が起きているのか、もしくはここから脱却するにはどうしたら良いのか、
無空さんが感じられることがもしあれば、教えていただけるととてもうれしいです。



文章を読ませていただく限り、「消えてしまいそう」は、自我(個人)ですね。
主たる立ち位置が在るの方により近づいてきたとき、
(在るそのものとしてより在れるようになってきたとき)
また、在るの方によりシフトしていきそうになってきたとき(一時的なものも含みます)に
起こるマインド(自我・個人)の反応です。
孤独感も、在るの「ただそれだけがある」という満ち満ちた孤独ではなく、
何とも繋がっていない分離感からくる孤独という感じかもしれませんね。
前回、今回とかなりよい感じになってきていて、全体であり、同時に個であるという
感じになってこられているということでしたが、その個の部分、あるいは、
その個(まだ、ある意味、真我・在るとひとつに溶けあっていない状態で
真我・在るとミックスされている個)も含めた主体の純化、変容、成熟が、
もう少しというところですね。

今、起こっていることに気づいて在ること。
「消えてしまいそう」と思っているのは、本当のあなた(あなたの本質)ではなく、
常に起こっては消えていくを繰り返している自我(現れ・現象)の方であることの理解に
開かれて在ること。

そして、在るに戻ること。
在るそのものとして在ることです。

「消えてしまいそう」と思っている自我は、いつも起こっては消えていっています。
今回、はじめて消えるわけではありません。
それは、いつも消えていっています。
消えたり起こったりしています。
それでも、これまでまったく安全でした。
大丈夫です。

ではなぜ、自我はこれまでも消えていっていたのに、
今回のような怖さが起こってこなかったのでしょう。
それは、起こっては消えていっていることにすら気づいていない、
また、それはとても自然なものであり、何度も自然に起こっているものである等
のことが言えるかもしれません。
そして、起こっては消えていっていることにすら気づいていないというところを
もう少し見ていくと、
その背景には、自我はずっとある、いつもある、変わらずにある
という理解(観念等)があります。
それゆえ、実際は、自我が何度も消えていっているのに、
怖さが起こってこなかったとも言えます。
そして、そこから在るそのものであることが多くなり、
主たる立ち位置が在るの方へシフトしていき、
また、本当の自分は在るであるという自己理解が進んでくると、
それまで(理解において、あるいは、理解と実感において)主たる座にいた
自我の立場(自我という理解、観念等)が危うくなってきます。
そして、本当の自分は自我である、
また、「自我はずっと(変わらずに)あるものである」という理解が揺らいできます。
今回起こってきた怖さは、そのようなところから起こってきたものと、
ひとつの視点からは見ることができるでしょう。

でも、大丈夫です。
自我が消えていっても、その本質は残ります。
もし可能なら、何が消えていくのか、よく見ていましょう。
すべてに気づいている気づきそのものは残ります。
孤独感、怖さは消え去り、本体が残ります。
その表面を覆っていたもの、あるいは、観念、概念、
または、勘違い、誤解、誤認識、誤った理解
(それが必要とされているうちは、そこに在るからリアリティが与えられ、
ひとつのリアルなものとして作用します。)が消え去り、真実そのものが残ります。
まったく安全です。
いつも核にあったもの、中心は残ります。
純粋な主観性、真の自己が残ります。
存在性そのものが残ります。
それはけっして消え去ることはありません。
そしてそれは最も馴染み深いもの。
真の自分自身です。
ですから、何も変わらないと感じるかもしれません。
本当は、これまでもずっとそうであったのです。
いつもそうであったもの、ずっとそうであったものがそのまま残ります。
まったく大丈夫です。

ラマナ・マハルシ「不滅の意識」より

【われわれはわれわれ自身の真我を実現する努力を
あざ笑わなければならないときが来るであろう。
というのはわれわれは真我実現以前と以後において同じであることを、
見いだすであろうから。】

もはや、戻るや意識を向けるという感じではなくなってきた、ということでしたが、
それぐらいになってきたからこそ、微細に残っている未成熟な部分の
自我の反応が起こってきたとも言えます。


今回は、いわゆる「自我に巻き込まれている」という状態です。

また、基本に戻ることです。

そして、在るに戻る、立ち位置のシフトと言っても、
本当は場所が変わるわけではありません。

(感覚的に、移動感覚、距離感覚が伴うこともありますが。)

それは、理解です。

マインドを超えたところからの直接的な理解です。

その真の理解(悟り)へと立ち戻りましょう。

それは、知っている、ということ。

知っている、というところ。

知っているそのもの。

何を知っているということではなく、

未知をも含んだ知そのもの、

知っているそのものです。

(その中に、本当の自分は何ものであるか、あるいは、何ものでもないものである、

ということを知っている、という自己理解が含まれるとも言えますし、

知っているそのものが、大きな意味では、自己理解である、ということも言えます。)

それが、絶対安心、絶対安全、絶対大丈夫そのものでもあります。

本当のあなたは、知っているそのもの、

そして、決して消え去ることのない「在る」です。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

初めてご訪問頂いた方へ
悟り|無空庵
お知らせ
公開・週一合同ゼロ意識共鳴
ご案内
浄化のときにはこちらへどうぞ
最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク
検索フォーム
QRコード
QR
RSSリンクの表示