立ち位置が変われば、自ずと、見え方、感じ方、反応等も変わっていく

受講者
今回もセッション時に私に起こっていたのは「怒り」でした。
常にその「怒り」に飲み込まれているのではなく、
「ある」でいられるときもあるのですが、
「ある」でいるときは穏やかで、何も起こってなくって、
でも、「ある」から「怒り」を見ることはできませんでした。
「怒り」が見えてくると、そこに飲み込まれてしまうことを、
繰り返していました。
なので、仕事がある日の前日なら、
「どうにかしないと、また、同じ状況になるかも」
と思い、その状況を思い出し、
「怒り」を思い出していたと思います。

でも、とりあえず、1週間以上は仕事はないので、
今はただ「ある」にいようと思っていました。



そうですね。
そのことにより、それはより確かなものとなっていき、
それが自然に起こるときは別ですが、必要以上に、
他のものにも引っ張られたり、巻き込まれたりしにくくなっていきます。
また、本当の自分は在るである、在るそのものであるという
自己理解(まずは、変わらない本質である“源としての在る”の理解、
そして、そこからさらに進み、あるいは、同時に、
現れも含めた“すべてとしての在る”の理解
━その中には、マインドも含めた現れの理解も含まれます。━
)が深まれば、焦点は他のところへ移動しても、
その理解の力が常に働くようになっていきます。
在るそのものであるという体験を重ね、自己理解を深めて
いきましょう。


受講者
セッション中のなかで、
「怒り」について無空さんに話を聞いていただいたとき、
「相手に話してもいいんじゃないか?」
というような内容をおっしゃっていただきました。
そのときは、「そうかも」と言う気持ちにもなっていました。

でも、後になって、
「言えなくさせている過去の体験」を色々思い出しました。
「怒り」についても子どものころの母との関係が関係していますが、
「相手の行動に対して、自分に対して、こうしてほしい」
と相手に伝えることについても、母との過去の体験が強く影響しています。
今もそれは続いています。
母は変わらないし、私もあきらめています。
話せば私の意図とは違うように勝手に解釈し、
ひどく怒り、私を責めるからです。

それについて、言えば言うほど、理解しあうどころか、
反対方向に行ってしまいます。
話している途中で、
「私が一方的にわかってわかって、になっているかな。
まずは相手の気持ちを受け止めないと」
などと考えながら、
すでに気持ちはいっぱいなのに、
言いたいこともあるのに、
ただ、話を聞くことになります。

ただ、もう、これを続けることはできないと感じています。
だから、「怒り」が起こったときも、
こんな状況になりたくないので、
何も言えないでいます。
相手に対して「やめて」と言えないんです。
それが「怒り」となっています。



相手の方を変えることは難しいですね。
そして、今の立ち位置にあるままご自身の反応等を
(根本的なところから)変えていくこと(マインドでマインドを変える、
個人で個人を変える、現れで現れを変える、現象で現象を変える、
幻想で幻想を変える)もなかなか難しいと思います。
立ち位置が変われば、山登りの際、ふもとと中腹、そして、山頂から
見える景色が自然に違ってみえるように、自ずと、見え方、感じ方、
反応等も変わっていきます。
それは自動的です。
(その立ち位置がまだ確かなものとなっていない場合、あるいは、
ひっぱるものの力がより強い場合は、それまでの感じ方等の影響も
受けることはありますが、立ち位置がより確かなものとなっていくにしたがい、
以前の影響はより軽く、より弱いものとなっていき、そこからより自由に
なっていきます。)
在るそのものであることの体験を重ね、真の自己理解を深めていきましょう。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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