超えているものの視点

受講者
先日のあるがままの集いに参加させていただき、どの方との共鳴も素晴らしかった事と
翌日の午後に突然、体の中のエネルギーが抑えが利かなくなり、
ハートからも頭頂からもドバーっと溢れ出た事。
そして、それ以来、今までは「静寂や愛」が自分の中から展開されている感じから
外からも展開されるようになり、
内から展開されないもしくは分かりにくい時にマインドが騒ぎ始めていたのが、
外から展開される事でマインドが随分おとなしくなり、
実践の良い循環ができているとご報告させていただきました。



はい、はじめは、どうしても体が自分、そして、体を中心として、内側から起こってくる思考、
感情、体験しなれたマインドのパターン等を自分(個人)のものとして固く捉えがちですが、
すべての現れの源である在るの立ち位置からすれば、誰の思考、感情、マインドのパターン等、
というものはなく、すべての現れた存在の思考、感情、マインドのパターン、あるいは、
素晴らしい体験等も含めたすべては、同等です。
それが、超えているもの(現れを超えているもの)の視点です。

体を中心に見た場合で言うその内側で起こった体験も素晴らしい、
そして、その外側、現れている他の存在の内側で起こった体験もまた、
まったく同等に素晴らしい、
それが、すべての現れの源である在る、個人的な体、あるいは、個人と同一化していない
純粋な在るの立ち位置からの視点です。


(実際の日常生活の中では、自然な必要性━そのときの社会全体の集合意識の
レベルに合わせたもの、集合認識に合わせたものということもできますが。━、
全体的な調和の自然性等から、個人感覚等も自然に起こってきますが、
個人性を離れた純粋な在るの視点が開かれ、それが最も深いところの真実、
理解として在るようになってくるといいですね。)

今回の体験で、これまでマインドを落とそうとしていたのが、静かになったとの
ことでしたね。
自分のマインドとして、落とそうとしたり、手放そうとするのは、個人です。

(個人の立ち位置にある場合、または、個人の立ち位置しか知らない場合、
知らない段階では、ある意味、これしかないとも言えます。
それは、個々の現れに関しては、有効━ある意味、一時的に有効━
であるとも言えます。)

ただ、それも個人が主体ではなく、在るから自然に起こってくる(~しようという形
をとって)場合もありますので、在り方、態度としては、やはり、ただ気づいている、
ただ気づいて在る、起こるがまま、あるがまま、がいいですね。

落とそうとするが起こっているということに気づいて、起こるがままにして在る。
落とそうとする個人が起こっていることに気づいて、起こるがままにして在る。
起こっていることに気づいているとき、起こっている個人に気づいて在るとき、
その立ち位置は、在るです。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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