客体なき主体

受講者
アイコンタクトでは

今までは気づいている主体を探していましたが、



(それで見つからない場合は、探そうとしている主体に

とどまること、自分自身にとどまること、どこへもいかないこと、

自分自身であること、探そうとしている者の出発点、根っこ、発生地点、

探そうとしている者は、どこから起こってきたのか、等に

注意を向けてみられるのもいいかもしれませんね。)


受講者
すべてが真我という視点だと、全体が主体。



その視点だと、そうなりますね。

そして、全体そのものとして在り、その主体感覚、

まるごと(ある意味、全身で)それそのものであることの感じ、

その在り方を重ねていくことで、より自己理解が深まっていきます。

また、通常使われることが多い相対的な意味での「主体」は、

客体との関係性においてはじめて現れますが、

無空庵で言っている「気づいている主体」は、

客体が消えても、残ります。

それは、純粋な主体、純粋な存在、純粋な存在性そのものです。

それは、客体が消えても残るもの。

それだけで在れるもの。

ただ在れるもの。

主そのもの。

自己。

真の自己。

自らを客体なしで、認識できるもの。

他の何にもよらず、自らに気づけるもの。

自らの存在に、

自らが存在していることに気づけるもの。

ただ気づけるもの。

それをそれ自身により自覚できるもの。

それは、存在そのものであり、

気づきそのものであり、

それが、真我

在る

唯一の実在です。



すべてが真我という視点で、全体が主体となった場合、

それは、はじめから客体なき主体、

純粋に絶対的な主体です。


受講者
ハートの共鳴では、

現れは在る、純粋意識より現れている彩りである。

真我らしい質と無意識のうちに思っていた無や静けさ等の他にも

怒りや悲しみも真我の質があるのだなという発見。


でした。



在る・真我の立ち位置、在る・真我そのものからの視点ですね。


受講者
「これでいい」について、

「こうでしかありえない」という理解が今までにはありましたが、

悲しさや不如意感が同時にあり、

「これでいい」とは違うような気がしていました。


セッション後に

在るでないものを探す→すべて在るである。を

感じながら生活していると、

「このままでいい」がやってきました。

これが「これでいい」と違うのかは分かりませんが、

「これでいい」に近づいた気がしました。



はい、とてもよい感じですね。

上に書かれた

「 在るでないものを探す→すべて在るである。」の流れから来た

「このままでいい」であれば、「これでいい」と同じであるとも

言えますね。

ただ、在る・気づきは、一瞬一瞬そう在る、そうである、ということですので、

一度起こった、「このままでいい」、をずっとそのまま持っていると、

頑なになってきたり、微細なマインドが入ってくる可能性もあります。

「このままでいい」は、時間的な要素も入っていますので、

場合によっては、よく「もう大丈夫」、「分かった」などが起こってきた後などに、

マインドに足元をすくわれることなどがあるのと同じようになる可能性も

ないとは言えませんが、

(今、この瞬間に対しての、「このままでいい」であれば、大丈夫ですね。

また、別の見方をすれば、時間的な要素が入っている分、

一瞬一瞬の「これでいい」をより多く包含している、そこには、より多くの愛や

あたたかさがあると見、感じることも出来ますね。)

それでも、表現として、「このままでいい」の方が、自然で適切な場合も

たくさんありますので、現れた形にあまりこだわり過ぎずに、

「在るでないものを探す→すべて在るである。」

を“繰り返して”頂くとよろしいと思います。

大事なのは、起こってくる姿形、様相よりも、その中身、実質、実相の方です。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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