在ると現れの距離感

受講者
自我の話の流れで、前回の個人のミックス度合いのお話をした所、
個人と在る、個人と現れの距離感もありますねとお話しいただきました。
そういえば、在ると現れの距離感?ミックス度合い?もあるなあと思いました。



そうですね。
前回は、存在全体における在ると個人(感覚)━透明な輪郭、枠組みと言ってもいいかもしれません。(視点によっては、それを個人はまったくないと捉えることもできますが。)━の自然な配分、“在るの自己理解がある上での”存在全体における(在ると)個人の配分割合(「ミックス」という表現でもよいのですが、まだ主体が純化されていない場合に「ミックス」されているという表現を使うことが多いので、今回は、「配分割合」という表現を使いました。)という視点からお伝えしました。

(単に配分だけでなく、在るの自己理解がある上でということですから、在るが主体、土台、核となっている、あるいは、在るが土台として全体が統合され、トータルでひとつのものとなっている在り方で、そのような場合には、たとえ在るが1%でも、全体に統御、バランス等の作用が及びます。逆に、在るの割合がどれだけ多くても、個人(自我・エゴ)が主体となり、それを利用しようとする場合には、在るの無限性が限られたものになったり、純粋性、透明性が曇ったり、真正なものがゆがんだものになったりすることがあります。)

ポイント(配分割合)を分かりやすくするために、それだけに絞ってお伝えしましたが、その他に、在ると現れ(個人を含む)の距離感に関しましても、
在るの自己理解が深まっても、いつも必ず、絶対的な距離を保ち、俯瞰、観照しているというわけではなく(タイプ等含め、人それぞれであるという部分もありますが。)、そのときどきの状況、環境、関係性の度合い等により、様々であるということも理解されておかれるとよろしいと思います。
それは、とても自然なことです。
在るが、現れと絶対的な距離を持ち、俯瞰、観照している状態のときもあれば、とても近い距離にあるとき、あるいは、重なっているような状態のとき、さらには、純粋に現れそのものとして在るときなど、その在り方は本当に様々です(どの状態のときも、度合いはそれぞれですが、気づき自体はあります。)。
在るは、それ自身も含め、すべての現れを支え、同時に、包み込み、また、見守り、さらに、すべてに浸透して在ります。
支えているという在り方は、現れに触れています。
見守っているという在り方は、現れと距離があります。
包み込んでいるという在り方には、両方があります。
そして、浸透しているという在り方は、現れと重なったり、それそのものとして在ったり、内側からインスピレーションや衝動、気づき等を起こしたり、それそのものとして起こったりしながらサポートしています。
(在るは、在るもの、起こすもの、起こるもの・現れるもの、起こす行為、機能、作用、働き、プロセス、そのすべてであります。)
そのように、在るの在り方は、多様、無限であり、それが、現れをも含めた在るのトータルで自然な在り方です。
そして、それらすべての在り方が、自己理解(知っているということ)の深さ、広さ、厚さ等により支えられるということになります。

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プロフィール

Author:のびのび
2010年8月に『無空庵』に出会い、師からの直接伝授(ゼロ意識共鳴セッション)により、本当の自分(ゼロ・空・愛)を思い出すことができました。
今も継続してセッションを受けています。
師の言葉は、分かりやすく、深く、やさしく、愛に溢れています。
師を通して伝えられたことを、私なりに整理してみたくなりました。
私の学びのノートです。

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